
- 作者: テリー・イーグルトン,川本皓嗣
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/07/13
- メディア: 単行本
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偶然本屋で見つけた。へえ、イーグルトンがこういう本を書くのかと思い買ってきた。
イーグルトンは煮ても焼いても食えないおじさんで、しかも、稀代のアジテーターであるから、普通の本など書くわけがないのだが、目次をみると意外にまともである。
こういう本の楽しみは、いろいろと引用してある詩を知ることで、一種の詩のアンソロジーとして使えればそれでいいのだが、本書でも、いろいろな詩が引用されていて、それだけでも楽しそうである。引用されている詩はすべて翻訳と原詩が並べられている。詩というのはどうしても翻訳だけではだめで、原詩も並べられているのでないといけない。翻訳者の創作として読むのであれば別であるが。
川本皓嗣氏の訳はすぐれたものであると思うが、なかにイーグルトンがディラン・トマスの「ロンドンで死んだ女の子・・」の詩を徹底的にやっつけているところがあって(この詩の一見荘重な聖書まがいのイメージは、実は詩の中身が空っぽなのを隠すためのトリックなのだ、とか)、それはそれで一つの見方であるとは思うのだが、翻訳者もそれにひきずられてか、わざと変に訳しているように思われて、ちょっといただけないと思った。
最初の死者たちとともに深々と、ロンドンの娘が眠っている―
長い友人たちや、
歳月を超越した穀粒や、母の暗い静脈に、ぬくぬくとくるまれて、
浮かび漂うテムズ河の悼みなき水のかたわらで、ひそやかに。
最初の死のあと、もう二度目はないのだ。
長い友人?、ぬくぬくと?、歳月を超越した穀粒?、浮かび漂うテムズ河?、悼みなき水? なんだか変である。
吉田健一訳では、
ロンドンの娘が最初に死んだ人達とともに深い場所に今はゐて、
それは長く知つてゐた友達に包まれ、
その肌は年齢を越え、母親の静脈を受け継ぎ、
それを悲まずに流れ去るテエムズ河の
岸に隠れてゐる。
最初に死んだものの後に、又といふことはない。
となっている。きちんとしたセンテンスになっていて、ちゃんと意味がわかる。
原詩のこの連は6行であるが、川本氏の訳では5行、吉田訳では6行である。
川本氏の訳で、穀粒と訳されている grains はもちろん、穀物であるのだが、石などの肌理とか肌という意味もあるのだから、これはやはり肌なのではないだろうか?