D・カーネマン「ファスト&スロー」(10)第23章「外部情報に基づくアプローチ」
カーネマンは若い頃、判断と意志決定を高校生に教えるためのカリキュラム作成と教科書づくりにかかわったことがある。そのためのチームを作成し、毎週金曜の午後に集まった。一年たった時点で、カーネマンはチームの人たちにあと何年で教科書は完成すると思うかを聞いてみた。ほとんどがあと2年くらいという答えであった。ちなみにその時点では、シラバスの大筋が決まり、教科書の最初の2章が完成していた。チームのなかには教科書づくりの専門家もいた。カーネマンは、その人に、今までの経験では、われわれくらいの段階まできてから平均あと何年くらいで完成するものなのだろうか、と聞いてみた。返事は、プロジェクトが完成しなかったチームも40%くらいあるし、完成したチームも7年以下でできたものはなかった(10年以上もなかったが)、というものであった。彼の評価によれば、カーネマンらのチームは教科書作成チームとしては平均レベルをやや下回る水準のチームであるという。そしてその彼も、今後の完成までの期間の予想では、そういう自分の知識は考察にまったく利用していなかった。彼の情報をきいても、なおカーネマンは現実にきわめて順調に進行しているようにみえるこのプロジェクトが、そんなに長時間完成までにかかるとはどうしても信じることができなかった。プロジェクトが順調に進行しているというのはカーネマン・チームの感じている実感だった。教科書づくりのベテランが提供した情報は、基準率情報だった。なぜその情報を知った時点で教科書づくりを放棄しなかったのか? けれども彼らは、その情報はなかったことにして、プロジェクトを続けることにした。完成したのは8年後!であった。できた教科書は一度も使われずにお蔵入りになった。外部情報は利用されず、内部情報のみで計画は続行されたのである。
内部情報はしばしばベスト・シナリオに近いものとなる。進むか止めるかの選択においては、道半ばで放棄するのではなく、合理性を排除するほうが選ばれることが多い。「見たものがすべて」となるのである。教科書作成プロジェクトを後から考えると、完成した2章は一番やさしい部分だった。つまり「無知であることに無知」なのだった。「くそおもしろくもない統計情報」は、個人的な印象と一致しないかぎりゴミ箱いきになりやすい。
医療の現場でも、しばしば「患者さんは一人一人みな異なる」というようなことがいわれる。それと対立するエビデンス・ベースの医療(EBM)が浸透してきているにもかかわらず、この信念は根強く残っている。医師たちの多くは外部情報に基づくアプローチに懐疑的で、統計学やチェックリストに頼るのは非人間的だと感じている。
このような「計画の錯誤」は現実にしばしばおこっている。スコットランドの国会議事堂建設計画では、当初4000万ポンドと想定された建設費は最終的には4億3100万ポンドになった。多くの鉄道建設において利用者は過大に見積もられ、建設費は過小に見積もられることがわかっている。
楽観バイアスが過度のリスクテイクの原因となる。これは人間は確率的に有利な場合のみリスクをとるという標準的な経済学モデルには反する。
われわれは、これまでの努力を水の泡にするくらいなら、外部情報は無視するという選択をしやすい。思考が停止するのである。何がおきているのかを考えなくなる。
こういう話は太平洋戦争での日本の行動をきわめてうまく説明できるように思う。戦艦大和はなぜ出陣したのか、それを建造するためにどれほどの努力が必要だったかを考えると合理的な考えは吹き飛んでしまう。
ある会社の経営が苦しくなってきたとき、生き延びるためには、これしかないとなると、それがうまくいく可能性はほとんどなくても、それに賭けてしまう。これまで会社の運営にどれだけの力を注入してきたかを考えると、それを簡単には放棄はできないのである。
EBMの問題は医療においては非常にホットな問題である。というのはエビデンスにはいろいろなエビデンスがあるからである。たとえば血清コレステロールレベルが高いと冠状動脈疾患の発生率が高くなるというエビデンスがあったとする。これは事実である。また血清コレステロールレベルが高いと死亡率も高まるというデータがあるとする。これまた事実である。それならば血清コレステロール値を低下させることが望ましいのは論理的に当然である。しかし、冠状動脈疾患の発生率が高まるのは血清レベルが240mg/dl以上の場合であり、一方、死亡率が高まるのは280mg/dl以上であり、240〜280ではむしろ死亡率は低くなるというようなデータがあったとすると、どのレベルから下げるべきかは非常に悩ましい問題となる。すでに冠状動脈疾患をおこした人に次の発症をさせないための場合と、一度も冠状動脈疾患をおこしていないひとの場合では対応は当然に異なる。患者の個別性を考慮にいれざるをえなくなる。では患者さんに糖尿病がある場合は? 血圧が高い場合は? 肥満がある場合は? 考慮に入れなければならない条件は無数にあり、しかもこのようなエビデンスを提供してくるのはしばしば薬を使ってほしい製薬会社であるというバイアスまでかかっている。
こういうことを考えていると最終的にはわれわれの生の一回性ということにたどり着いてしまうように思う。統計は複数の事象の観察から抽出されてくる。この病気にこの治療をした場合の成功率は40%である。成功すれば、病気は完治する。成功しなかった場合には自然経過を見た場合ほり寿命は短くなる。一方、治療をしない場合には、5年生きられる確率は30%である、治療をするべきか? ということにどう対応したらいいだろうか?
あなたはいま、急性に発症した脳梗塞で病院に救急搬送された。意識は清明である。左の上肢下肢の動きが悪い。医者がきて説明する。「脳の血管につまっている物質を溶かす治療をすると80%の確率で後遺症なく治ることが期待できる薬がある。しかし30%の確率で脳梗塞が脳出血へと悪化し、症状がもっと悪くなる可能性もあり、下手をすると命に関わる場合さえある。この薬は早期に使わないと効果はないので、使うならあと一時間以内で使う必要がある。この薬を使いますか? あなたが使ってほしいなら使います。」 あなたはどう判断するだろうか? あるいはあなたのお父さんについてそう聞かれたらどうするだろうか? あるいはあなたの子供の場合なら・・。
ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?
- 作者: ダニエル・カーネマン,友野典男(解説),村井章子
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