D・カーネマン「ファスト&スロー」(11)第24章「資本主義の原動力」
われわれは世界を実際より安全で親切な場所であると考え、自分は将来を適切に予想をできると過信している。われわれは一般的に楽観的であるが、並外れて楽観的な人間がいる。そういう人間が発明家、起業家、政治家、軍の指導者になる。行動をおこすときは楽天家であるほうがいい。
アメリカでは起業家が5年生き延びる確率は35%である。しかし、起業家自身はそれを一般には60%くらいと思っており、自分自身の成功できる確率は、起業者の8割は70%以上と思っており、33%は100%だと思っている。楽天家は壁にぶつかってもめげない。このような楽天家の積極的なリスクテイクが資本主義を活性化させている。
専門家は高い自信を示すべきだと思われている。自信のなさそうな専門家はテレビの解説にはお呼びがかからない。自信のなさそうな医者は信用されないだろう。
成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい、というのが楽観主義者の信念である。学術研究もきわめて失敗率が高い分野である。楽観主義をもつことが成功の必須の条件であるかもしれない。成功した研究者で自分の研究の重要性について妄想をいだいていない人間はあまりいないかもしれない。
楽観による失敗を防ぐにはどうしたらいいか? クラインは「死亡前死因分析」というやりかたを提案している。何かを計画したら、一年後にそれがうまくいかなかったと仮定し、どのように失敗したかを考えてみるというものである。
シュンペーターが「血気」といっていたものは一種の楽天主義なのだろうか? 楽天家の多くはカーネマンのいう通り失敗する。そういう他人の失敗をみてもなお参入してくる、そういう気概?をもつものが資本主義の歯車をまわしていくのであろう。わたくしのような血気ゼロ、気概ゼロの草食系は絶対に起業などできない。開業などということを一度も考えたことがないのは多分、そのためである。人を雇ってそのひとに給料を払うなどということは思うだに煩わしいことである。そんなことに頭を使いながら仕事をするなどということは絶対にしたくない。
研究ということに結局関心がもてなかったのも楽天の資質を欠いているためであろう。一応、博士号をとるために研究めいたことをしたが、こんなことは実際の役にはたたないなといつも感じていた。ある種の血液診断手技の改善のような研究?をしていたのだが、感度が悪く、費用が高く、実際には使えないと思っていた。その後、感度の改善、費用の低減ができたようで、現在、一応、検査として細々と使用されているようである(AFP L3分画)。わたくしの業績?は、その測定を日本で最初にした数人のうちの一人ということだけである。それで、学位をとれる目処がついた段階でさっさと臨床にうつった。臨床家のやっている研究は基礎医学の研究者からは馬鹿にされ、医学部の基礎医学の研究者のしている仕事は理学部の研究者からは馬鹿にされているのだそうである。自分でもやりながら些細な重箱の隅をつつくようなことをしているなと思っていた。
そういう人間であるので、患者さんの前ではったりをかますようなことが苦手である。診断がわからないと、困りましたわかりません、などと言ってしまう。患者さんから信用されていないだろうと思う。しかし、患者さんというのは楽天家?のはったりは案外と気がつくのではないかとも思う。嘘を信じてもらうためには、言っている人間が嘘だと思っているのでは迫力を欠くので、言っている当人が自分の嘘を本当と思いこむことが必要である。そういうことができるひとはあまりいないのではないだろうか? だからわたくしのようなものでも臨床のニッチのどこかでは使い道があるのではないかと思っている。しかしそれもすでに根拠のない楽観、自分を客観視できない人間の愚かさを示しているのかもしれないが。
アメリカから来た学者の発表などをきくと、謙遜のかけらもないような言動に驚くことが多い。自分はこの分野の第一人者であるなどと平気でいい。自分の業績を滔々と述べ続ける。よく恥ずかしくないな、などと感じるわたくしは学者世界で生きてはいけない人間であることは確かである。
ところで「死亡前死因分析」というのは、医者は日常普通におこなっていると思う。患者さんには希望をもたせるために楽観的な見通しを語っているときでも、こころの中では、この人あと一年は厳しいだろうな、などと考えている。たくさん患者をみてきた経験で、このような病気でこのような状態なら平均的にはどのような経過をたどるかが常に頭に浮かんでいる。基準率情報をつねに参照しているわけである。
世の中一般の治療成績ではこの位のものだが、俺は名医だからこの患者さんの予後はそれよりももっとずっといいはずであるなどと信じている医者はまずいないだろうと思う。しかし、患者さんあるいは家族にとっては、そのような医者がどこかにいるはずという信仰あるいは幻想はなかなか捨てられないもののようである。
だから「神の手」などといわれる医者がでてくる。その「神の手」医師は、自分では「神の手」でないことを重々知りながら、患者さんやその家族の希望を奪わないために、あえて「神の手」を演じているのだろうと思う。それとも超楽天的な起業家のように、自分は例外、自分なら他の人ができないようなことでもうまくやってのけることができると本気で信じているのだろうか? まさかとは思うが・・。
ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?
- 作者: ダニエル・カーネマン,友野典男(解説),村井章子
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