今日入手した本

 

論文捏造 (中公新書ラクレ)

論文捏造 (中公新書ラクレ)

 本書は2006年の初版。入手したのは2014年4月30日の5版。
 最近のいろいろな問題から増刷されたのだろうか?
 NHKで放映された「史上空前の論文捏造」という番組を書籍化したもの。
 シェーンという人が2000年から2002年にかけて、超伝導が従来よりも格段に高い温度条件でもおきるということを示して一時、学界の寵児となったが、結局、示したデータはすべて捏造であることがわかったという事件をあつかっている。
 2000年当時、シェーンは若干29歳。発表されたジャーナルは「サイエンス」。所属はベル研究所。共著者はバトログという超伝導の世界での権威者。
 シェーンはドイツの中堅の大学であるコンスタンツ大学をで博士号を取得後、1998年アメリカに渡った。ドイツでの指導教授がベル研究所の研究員も兼務していた関係でベル研究所に採用されたらしい。最初の2年間は目立った業績なし。しかし3年目の2000年から画期的な成果を次々に発表するようになる。2年半で「ネイチャー」に7本、「サイエンス」に9本の論文が掲載されている。
 しかし、世界各地で追試がされたがどこでも再現ができなかった。シェーンはベル研で仕事をしていたが、超伝導実験に用いる素材の作成や実験そのものはドイツのコンスタンス大学でしていることになっていたため、ベル研の内部でもその作成過程をみたものはいなかった。
 追試して再現が成功できなかったものの多くは、コンスタンス大学の装置とシェーンのみがもつ「こつ」の二つがあってはじめてうまくいくのではないかと考えた。そこでシェーン自身がそこで再現実験を自ら示すことになった。それを見るために集まった研究者は、まず装置を見て驚いた。旧式なおんぼろの装置だった。またシェーン自身の実験をみてさらに驚いた。その研究をしているひとならしないであろうようなことを平気でしていたのである。公開実験は失敗した。しかしシェーンはもともとこの実験は成功率が低いのでうまくいかないことが多いのだと説明した。
 そのうちに論文にデータの使い回しやデータがあまりききれいなのがおかしいという指摘がでるようになった。決定的であったのは、「ネイチャー」と「サイエンス」に載った別々の論文に同じグラフがあたかも別のもものに見えるように細工されて使われていたことが内部告発によって明らかになったことで、それによりベル研内部に調査委員会が設置されることになった。シェーンは「サイエンス」誌にグラフを「ミス」で取り違えたとして修正のグラフをおくり「サイエンス」誌もそれを受理した。
 調査委員会が調べると、データは存在しなかった。シェーンが提出した膨大なデータと称するものはコンピュータからのプリントアウトであり生データではなかった。実験ノートもなかった。使っていたコンピュータは旧式で記憶容量が少ないため、以前のデータは消去していまったとシェーンはいった。委員会に対し、「自分はいくつかのミスをおかしたことはわかっているが、二度目のチャンスが自分に与えられることをねがっている」と主張した。「自分は実験でいろいろなことを確認しているし、論文での主張は本物であると確信しているし、将来的に再現されると信じている」ともいった。ミスがあったが意図的な不正はしていない、とした。共著者のバトログはデータは見ていたが実験そのものは確認していなかったことがわかった。共著者のなかには、論文が掲載されるまでその中身を読んでいないものもあった。調査委員会はシェーンの捏造を認定しベル研究所から解雇した。しかし、共著者は不問に付された。
 その後、シェーンの発表した計63本の論文は撤回され、あたえられていた賞もすべて剥奪された。
 出身のコンスタンツ大学での学位論文でも「誤りや不正」が発覚したが、シェーンはこれを「データの取り違え」と説明し、大学も「悪質な改竄ではなく、重大な不正行為とは認めない」とした。しかし博士号は剥奪された。
 シェーンはいまでも「たしかにミスはしたが、捏造や、意図してのデータの改竄などはしていない」といっていて、その親友も「誰か一人を悪者にして、ほかはみな、無罪放免でいいのでしょうか? シェーンに成果をだすように大きなプレシャーをかけていた共同研究者やベル研、ジャーナル、科学界全体も問題をうやむやにしたままではないか」とっている。
 当時のベル研究所ルーセント・テクノロジー社という企業の傘下にあったが、おりからのITバブル崩壊で業績が悪化しリストラがおこなわれ、研究費が削減されていた。その中でシェーンが示した華々しい結果は会社にとっても好ましいものであった。
 シェーンがなぜこのような捏造をしたのかはいまだに明らかになっていない。本書での推定は、シェーンが確信犯的に捏造していたのではなく、彼が捏造したデータをいつの間にか自分で本当に成功したものと思い込むようなことがおきていたのではないかというものである。

 ここに描かれているのは、もう15年近く前のことであるが、読んでいて、まるで同じことが現在の日本でもおきているとしか思えず、暗澹としてきた。