みたままつり

 
 九段にある病院に見舞いにいって、九段下の駅が若者でごった返しているのでびっくりした。みんな靖国神社のほうへいく。最近の若者の右傾化なのであろうか?とも思ったがどうも変なのは、多くが浴衣をきたりしていて盆踊りかなにかいく若者の雰囲気なのである。
 先週病院にいったときも、靖国神社の前に「みたままつり」という垂れ幕があって、英霊をしのぶ戦中派が集うのであろうかなどとも思ったのだが、とんだ勘違いであった。年寄りなどまずいない。若者たちはみな靖国神社の「みたままつり」にむかっていくのである。
 家に帰ってからネットで検索したら、若者にとっての東京での最大の夏祭りであるらしい。もう随分と以前からそうであったらしいのだが、わたくしがまったく知らなかったのは新聞やテレビでは一度もみたことがなかったためである(あるいはテレビではあったのかもしれないが、テレビはあまりみないのでよくわからない)。普通なら浴衣姿の若者がたくさん集まるのなどは「夏の風物詩」などといって格好の報道対象になりそうである。(この辺りは毎年必ず報道される花見の名所である。) しかし靖国神社という名前がそうさせないのであろうか?
 ネットでみて驚いたのだが、そこに集う若者の多くが靖国神社がどういう神社であるかを知らないのだそうである。「みたま」といっても何も感じないのかもしれない。
 降る雪や明治は遠くなりにけり 夏祭り昭和は遠くなりにけり
 もう平成26年である。今の若者は戦争どころか昭和を知らない。
 それにしても靖国参拝であれだけ騒いで、こういう祭りには知らぬ顔をしているというのも、やはり一種の報道の偏向のように思う。そこに集う若者たちは実に長閑なのである。靖国神社という場所に若者がおだやかに集っている、それだけで、実にいろいろなことを考えされられる。平和とは戦争をしないことではない。こういう長閑のことである。