(20)正月

 

  正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいりる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を通すことを願うのは人間である所以に適っている。

 「私の食物誌」の「東京のおせち」から。
 吉田氏は食通とかいうことになっているらしいが、〇〇庵の蕎麦がどうとかとかいうことを書いたわけではなく、この「私の食物誌」でも、神戸のパンとバタであり、北海道のじゃが芋であり、近江の鮒鮨なのである。吉田氏は地霊などというものを信じた人ではなかったであろうが、土地に根付くということにはとてもこだわったひとで、氏がフォースターの「ハワーズ・エンド」の名訳者であったことは故なしとはしない。
 この「東京のおせち」は「私の食物誌」の最後のほうに「東京の雑煮」と対になっていて、「東京の雑煮」では「誰でも自分が生れて育った所の仕来りに執着するものであるから」とある。それでこの「私の食物誌」でとりあげられている東京のものは、握り鮨、佃煮、こはだ、慈姑、べったら漬け、そして雑煮とおせちということになる。
 わたくしは東京に生まれて東京で育った人間で、東京以外を知らないが、東京の食べ物は?ときかれても答えられない。やはり鮨なのだろうか? 確かに地方に出かけた時に、そこで鮨を食べようとは思わない。それに地方でも鮨やは江戸前などというのを売り物にしている。
 この「東京の握り鮨」に「もともと江戸というのは田舎の町である」とある。そして「そこにもし少しでも取るに足るものがあるならば、或は今日でもまだそれが色々あるとしてその根本をなすものは開府以前にあった関東の漁師の淳朴を都会であることに向う為の洗練が消化し切れずにこれと不思議な混り合い、綯い交ぜをなした結果生じたように思われる」と書いている。確かに小さく握ったご飯の上にただ切っただけの魚をのせるというのは随分と野蛮な料理であって、フランス料理などと対極にあるものなのかもしれない。だからこそお寿司屋さんは魚に仕事することにこだわるのかもしれないが。
 以前、竹村公太郎氏の「日本文明の謎を解く」を読んだとき、その巻頭の「新・江戸開府物語 なぜ家康は江戸に戻ったか」で、1590年、秀吉から家康が江戸に転封を命ぜられたときの江戸の地というのがいかに劣悪で希望のない土地であったかということを知って驚いた。関東平野縄文時代には海の下だったのであり、家康転封時にも大湿地帯であったのだとそこには書かれていた。「見渡す限り続くヨシ原」であり、「雨になれば一面水浸し」になったのだ、と。それを肥沃な関東平野に変えるには、利根川の流れを変える必要がある。それによって湿地帯は農地へと変わっていく。
 いま東京の人間が暮らしている土地は500年前にはひとの住めない湿地帯であったわけだから、そこにまだ洗練などが生まれていないのは当然なのである。応仁の乱を昨日のことのようにいう京都の人にかなうわけがない。握り鮨というのはまさに東京にふさわしい食べ物なのかもしれない。吉田氏によれば東京の雑煮も餅以外には菜っ葉くらいしかない、素朴といえばこれ以上ない素朴なものである。
 この「私の食物誌」を読んだのが昭和47年(1972年)の末で、25歳の頃、おそらく医学部の卒業試験とか国家試験の準備とかでばたばたしていたときで、この「もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を通すことを願うのは人間である所以に適っている」という部分を読んで、随分と吃驚した記憶がある。自分はこれから果たして、そんな気持ちで生きることができるだろうかというようなことを思った。爾来、四十有五年、目の前のことに対処することに追われているうちにただ時間が過ぎてきてしまったように思う。
 この「一年の計」の文は「時間」劈頭の「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのでなくてただ確実にたって行くので長いので短いのでもなくてそれが時間というものなのである」にも、「酒宴」の「本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて、翌朝まで飲み続けることなのだ、というのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間そうなるのかを心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止まっていればいいのである」にも通じている。
 お正月に気分がいいのは、特になにもしなくてもいいというだけではなく、昼から酒を吞んでいても特に誰も咎めないということにもあるのではないかと思う。
 

私の食物誌 (1972年)

私の食物誌 (1972年)

日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント

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