新年、久しぶりに本屋さんにいくと、ついつい本を書ってしまう。ということで以下。
 
 的場昭弘「「革命」再考」
   角川新書 2017年1月

 今年は2017年で、考えてみればロシア革命後100年である。しかし、マスコミなどでもそれを指摘しているものはあまりないように感じる。フランス革命が1789年であるから2039年にはあるいは、フランス革命」250年などということが話題になるかもしれないし、毎年7月14日はパリ祭で、別にそれはフランス革命を偲んでいるわけではないのかもしれないが、それでもフランス革命というものがまだわれわれの頭の中にあることの一つの証拠なのかもしれない。現代社会がいまだにフランス革命の申し子であることは続いていると思う。
 それに比べると、何だかロシア革命というのは、そんなものはあったのかしら?というような扱いであるのが不思議である。わたくしは1947年の生まれであるから、ロシア革命から30年で生まれて、1991年のソヴィエト崩壊の時には44歳で、今までの人生の過半にはソヴィエトは存在していたわけで、その間のマルクス主義がもっていた威圧力というかというか威光というはとても強いものがあった。それがここまで力を失ってしまったのが不思議である。
 しかし著者は未だに「革命」という言葉の輝きに執着があるひとらしい。ここでの「革命」という語は「政治的な政権奪取」だけではなく、既存の価値観の転覆」をも意味するのだとされる。しかし、やはり革命というのは暴力的手段あるいは非合法的手段による政権の奪取というということなのだと思う。既存の価値観の転覆は「非合法的手段による政権の奪取」以外の方法ではなしとげることができないというのが、革命という言葉が輝きをもつ理由なのではないだろうか? 今の世の中は根本のところ、根底のところで間違っている。それは微温的な手段によって改変することなど不可能である、とする信念を持つものが「革命」という言葉に希望の光をみるのであろう。
 本書では「最初にひとこと」で今年がロシア革命から100年であることが指摘され、「はじめに」の最初には「社会主義の亡霊がもう一度復活する?」と書かれ、「今資本主義はゆらぎ始めていて、ひょっとすると新しいなにかが生まれ出ようとしているのかもしれない、と言われいている。トランプ氏の大統領選挙勝利とかにも著者は希望を見いだしているようで、「エスタブリッシュされた既存の制度や価値観に対するアンチ、つまり抵抗です。いいかえれば「革命」です、などと言われている。
 ここでさかんに民衆の不満ということがいわれ、今年のフランスの大統領選挙でル・ペンが勝利するかもしれないことを既得権益を持つものたちがポピュリズムなどと非難しているが、本当におきてきるのは「人民参加型政治」などだといっている。また決断型政治とか救世主型決断力ということもいっている。いま必要とされているのは意志と決断力であるなどともいっている。
 わたくしは人間を不幸にしてきた最大のものは人間が人間以外のあるいは以上のもっと崇高な存在に変わりうるという考えかたであると思っているので、ここでの著者のいうことに根底的な疑問を感じるのであるが、実はまだ最初の導入の部分だけである。そこの最後に「革命はやはり資本主義を揚棄するものと考えたいのです」とある。揚棄というのもいやな言葉だなと思う。本書を買ってきたのは、おそらく[左]のひとがソ連崩壊後の世界をどう見ているかを知りたいと思ってというようなことなのだが、目次をみるとアーレントとかフュレのついて項目があったのでということもある。それでアーレントとフュレの部分だけつまみ読みしてみたのだが、何だか随分と底の浅い議論であるような気がした。どうも著者はマルクスが好きで好きで仕方がないところがあるようで、何だかマルクス様に比べればというような感じである。マルクスという人間が世界の構造の根源を解明したというような見方は、あるいは人間の歴史の流れから抽象的な法則を発見できるという見方は、人間の能力についての典型的な過信の例、あるいは歴史というものへの誤解の例であると思うのだが、以前マルクス主義の思想の陣営にいたひとが今どのような立ち位置にいるかということをしるのは面白い本であるかもしれない。
 
 磯田道史「徳川がつくった先進国日本」
 2017年1月10日 文春文庫  2012年にに刊行された本の文庫化らしい。今の日本人の考え方は非常に強く江戸時代を引きずっていると思っているので(そう思うようになったのは山本七平氏の本を多く読んで、それに説得させられたことによるところが大きいと思う)、それに関係がある本であろうと思って購入した。
 
 尾本恵市「ヒトと文明 ー狩猟採集民から現代を見る」
 2016年12月 ちくま新書 進化論的にみるとわれわれ人間で遺伝的に既定されている部分は狩猟採集時代に決定されていて、農業以降、ましてや近現代の文化などは何の
影響もあたえていないらしい。
 著者は人類学者であるらしい。進化論者でない人間からそのような点がどのように論じられているかに興味があって。
 
 日高敏隆「人間はどうして老いるのか」
 2017年 朝日文庫 1997年刊行されたものを改題して刊行したもの。 日高氏は進化の側の人であるから、こういう問題を論じても超越的な立場からものをいうことは決してない。
 最後の章が「ミーム」でそこだけ読んでみたら、「ミームという逃げを打った(?)ドーキンス」とあった。グールドがドーキンスと対立したのは、グールドからみるとドーキンスの言っていることはあまりに即物的で、「人間の尊厳」への畏怖がないようにみえたからであろう。だからグールドは宗教についても腰がひけていて、ドーキンスからみると隙だらけのことをいった。しかし、われわれ読者から見るとドーキンスのものよりグールドの書いたもののほうがはるかに面白い。ドーキンスは何か子供みたいと思えるところがある。生物学から見て人間に尊厳などあるはずはないわけだから、グールドの宗教擁護論など支離滅裂なのだが、そうかといってドーキンスの宗教攻撃など読むともうちょっと大人になったらといいたくなる。しかしいくらドーキンスが進化生物学者であっても人間ではあるわけで、人間を単なる動物の一種であると突き放すことはできなったので発明したのがミームの概念なのであろう。「逃げ」というのはいいえて妙であるなと思った。
 
三好春樹「介護のススメ!」
  2016年12月 ちくまプリマー新書 三好氏の「介護覚え書」は大変面白い本で、ナイチンゲールの「看護覚え書」を意識した本で、看護の現場批判という色彩も強い本である。それで、何人かの看護師さんにこの本を薦めてみたのだが、どうもあまりぱっとした反応がきたことがない。看護師さんの世界というのはどうも頭でっかちな方向にいき過ぎているのではないかと思う。
 本書は、広くは「専門化」しすぎていて「科学」志向に傾きすぎ「客観的」にもなりすぎている現代医療への批判という性格もあるから、もちろん刃の先は医者のほうにも向けられてもいるわけである。
 ちらちら読んでいると「生きがい」などという言葉も出てきている。「生きがい」などというのは絶対に「科学」とは両立しない。
 というようなこともあるが、本書を買ってきたのは、現在、95歳になる母の介護にほとほと困っているからというのが第一の理由である。
 三好氏はわたくしより少し若いかたと思っていたが、本書で、氏が高校生のころ学生運動に参加した経歴のかたであることをはじめて知った。
 次の本も同じような理由から。
 
東田勉「親の介護をする前に読む本」
  講談社現代新書 2016年 12月
親の介護をする前に読む本 (講談社現代新書)

親の介護をする前に読む本 (講談社現代新書)

 著者は介護などの分野を専門とするライターということである。こういう本を介護が必要になる前にあらかじめ読むひとはあまりいないだろうと思う。