ドーキンスの本ということで買ってみた。いうまでもなく
ドーキンスは進化論の論者であるが、本書は進化はどのようにしておきたかではなく、進化は事実としてあったのだということを論じたものらしい。しかし「訳者あとがき」で訳者の垂水氏が述べているように、「なんでいまさら」であり、「本書は誰に向けて書かれたものなのか」である。反進化論者は本書を読まないだろうし、読んでも説得されないだろう、と垂水氏は書いている。その通りだと思う。「
利己的な遺伝子」などはまさに進化が事実であったことを説得する本としてもとても優れたもので、眼のような複雑な構造を進化で説明できるのかというような素朴な疑問に見事に答えるものであった。
創造論者などを相手に議論するなどというのは時間の無駄ではないかだろうか? 思えば、S・J・グールドなどを相手に議論してころはとにかく討論になっていた。そもそも
創造論者のようなひとたちがなぜ存在しているのかは、
脳科学があるいは
進化心理学が説明していて、その説が正しいとすれば、そういうひとたちがいることはいかんともしがたいのである。
中島梓氏の本は、「夢見る頃を過ぎても」や「コミュニケーション不全症候群」などを随分と一所懸命に読んだ。
乳がん闘病記である「アマゾネスのように」や子育て記である「息子に夢中」なども読んだ。本書は中島氏の死にいたるまでの闘病記である。黄疸で発見された膵がんであったらしい・・。