隆慶一郎「吉原御免状 隆慶一郎全集1」
新潮社 2009年9月
かなり以前、網野善彦氏の本をいろいろと読んでいたことがある。「無縁・公界・楽」とか「異形の王権」とか本当に面白かった。アジールという言葉をそこではじめて知ったのかどうかはもう思い出せないが、病院は一種のアジールなのではないかといったことを考えて、余計に面白かったのかもしれない。歴史の本がこんなに面白くていいのだろうかと思った。そのころ、隆慶一郎というひとの書く読み物が網野史観に依拠しているというような話をきいて、へーっと思ったがそのままになっていた。今度、何度目かの隆氏の全集がでたのを機会に読んでみた(なんと、巻末には「「無縁・公界・楽」の行方」という網野氏の一文が付されていた)。
読み始めは、男が無心で暴れていると美女に惚れられるという例のお伽話かと思った。三島由紀夫「第一の性」によれば、「男というものは、シャンとして黙って立っていれば、必ず誰か女がやってきて愛してくれるというのが人生の真相」なのだそうで、それは「女は愛する存在で、男は愛される存在」だからであり、それというのも男は愛については初心者で、愛されることの心地よさしかわからないから、ということになる。この小説は最初「週刊新潮」に連載されたはずで、「週刊新潮」はまず女性は読まないから、男性読者むけにそういう大人の童話を書いたのだと思った。
「富士に立つ影」の主人公を思わせないでもない無垢で世間知らず若者の冒険譚と思ったのだが、半分を過ぎた頃から急に調子が変ってしまう。主人公がどこかにいってしまい、関ヶ原から江戸にかけての歴史がかたられ、明智光秀は死んでいなかったとか、徳川家康は関ヶ原で実は死んだといった山田風太郎風の綺談の中から、ほとんど網野史観そのものといってもいいような物語が立ち上がってくる。吉原の町は反権力・反権威の町であり、漂泊の民、「道々の輩」である海民・山民・遊女・白拍子・博打打ちなど天皇の供御人・神社の神人の聖地、アジールであり砦・城であった、というのである。今回読んだ本で全部で400ページほどのうち100ページ近くが《「道々の輩」の「自由」》の話でとられてしまうのであるから、小説としては完全にバランスを欠く。作者としてはそれを覚悟してでもいいたいことがあるということなのであろうが、アジ演説がはじまったみたいで興ざめである。読み物としてはルール違反ではないかという気がする。
昔、網野氏の本を読んだ時、一番面白かったのは、農民以外が歴史に果たした役割の指摘、あるいは百姓という語が農民だけを表すだけではないとする論であった。農業によってひとは土地に縛りつけられ「不自由」になった。ほんらい人間がもっていたはずの「自由」は漂泊の民に受け継がれている、という見方である。
原始、人間は自由であった、ということである。マルクス主義から出発した網野氏は原始共産制への郷愁のようなものを生涯捨てられなかったのではないか。そして、この「吉原御免状」をつらぬくものは、本当は人間は「自由」な存在なのであるが、ひとは定着することでその自由を失い、また権力がその「自由」を抑圧している。しかし、権力に対して黙々と戦っている自由人の集団がある、というテーマなのである。
問題は主人公が実は貴種であるという設定である。この物語は一種の貴種流離譚なのでもあるが、貴種は日本では当然天皇制とむすびつく。「無縁・公界・楽」は、網野氏が高校教師の頃、生徒から「なぜ日本では天皇制が滅びなかったのか」と質問されて答えられなかった、という「まえがき」からスタートしている。「無縁・公界・楽」はそれへの一つの回答なのである。わたくしは網野氏が一般向けに書いた啓蒙書しか読んでおらず、学問的著述である「日本中世の非農民と天皇」などは読んでいない。したがって誤解をしているかもしれないが、氏は現実の天皇制は否定したにもかかわらず、理念としての(あるべき?)天皇制は肯定したのではないかと思う。氏の空想するあるべき天皇制とは、漂泊の民の自由を保証する存在としての天皇である。
この小説でも、漂泊の民のアジールとしての吉原を徳川幕府に公認させるということがメインのストーリィになっている。そしてその「自由」を守るために主人公が貴種であることが利用されようとする。権力からの自由を権力に保証してもらうという構造が基本にあり、一旦得た「独立」にふたたび権力の介入をさせないために、今度は、主人公に「貴い」血が流れていることが焦点となる。
山本七平氏が縷々述べたように、日本は、平気で養子をとる、主君押し込めを平然とする実力主義の社会である。しかし、天皇家は養子はとれない。徳川幕府だって養子はとれない。権威は血でつながり、その権威にまもられて実力のあるものたちが実際に世を運営していく。橋本治氏が「権力の日本人」や「院政の日本人」などの著書で倦まず追求しているのがそういう日本の権力構造のありかたである。そして本書もまた、その日本の権力構造を見事に反映したものとなっている。
もう一つの問題は吉原が舞台となっていることである。一歩吉原という地に足を踏み入れれば、そこでは世間の身分などは一切問題にされなくなり、吉原独自のルールが支配する、ただ粋か野暮かがすべてを決める世界となるといった話である。これは小谷野敦氏が批判する「江戸幻想」そのものかもしれない。矢田挿雲の「江戸から東京へ」を読んでも、その神話は大正から昭和にかけてもまだ生き延びていたようであり、そこの「明治初年の吉原の遊郭」という写真などを見ると、建物が立派であることにとてもびっくりする。少なくとも高級な方面では、独自のルールというのも、ある程度は事実としてあったのかもしれない。
「江戸幻想批判」に収載された小谷野氏との対談で、川村湊氏はこの「吉原御免状」に直接言及している。吉原の周囲にあった悲惨を切り捨てて、吉原を奇麗事として描いていると批判している。とすれば、やはり吉原では神話は通用したのだろうか? 川村氏は、網野氏が議論を中世に限局していたにもかかわらず、輶氏がそれをうまく利用して江戸時代をもまたきれいな物語で書いてしまったと難じている。川村氏は中世から近世の間に断絶があったというのだが、そうであるなら遊女=聖女論は中世までは通用するのだろうか? 小谷野氏は「遊女の高尾太夫が崇拝されていたといっても、それは蔑視と裏腹の崇拝である」という。そのほうが実際に近いのではないだろうか? 崇拝もあったし、蔑視もあった。それは中世まででも同じことなのではないだろうか? 江戸になり、豪華な花魁道中とかが行われるようになったとしても、それでもやはり同じことだったのではないだろうか?
「吉原御免状」でも当然、高尾太夫がでてくる。副主人公である。「江戸から東京へ」によれば、高尾太夫は六代も七代も連綿として栄えたのだそうである。子持高尾・石井高尾・仙台高尾・駄染高尾・小袖高尾・・・。何だか歌舞伎役者の襲名である。つくづく日本だなと思う。それら高尾太夫たちについては、山東京伝、太田蜀山人、柳亭種彦などが競ってその来歴を考証したりしているのだそうである。江戸文化の下らないところで、だから「江戸にフランス革命を」おこさなくてはならないのである。吉原はアジールであるなどとうれしがっていてはいけない。
「江戸から東京へ」によれば、新吉原から明治まで、吉原は20回近く焼けているのだそうである。「自由人」のアジールにしてはいささか用心が悪い。
吉原が明治以降、どのような流れで花柳界へとつながっていったかというようなことは野暮なわたくしにはまったく分からないが、花柳界から酒場へ、芸者から女給へという流れを舞台に、成熟した市民社会を欠く日本における疑似あるいは偽の市民小説としての花柳小説が書かれたというのが、丸谷才一氏の「花柳小説ノート」(「星めがね」所収)のいわんとするところである。この小論は吉行淳之介「技巧的生活」の解説として書かれた。丸谷氏の論がそれなりに面白かったので、その「技巧的生活」を読んで見た。つまらなかった。実につまらなかった。酒場につとめる女とそこに通う男の〈技巧的〉な駆け引きなどというのは、本当にどうでもいいことで、そこから類推するならば、吉原における太夫と客の駆け引きというのもまことにつまらないものだったのではないかと思う。
花柳小説や女給小説が書かれたのは、別に西欧における市民社会との類似をもとめたというような立派な理由からではなく、逃亡奴隷であった作家たちには、そこしか知った世界がなかったというだけのことではないだろうか。
だから男たるもの、そんなつまらぬかけひきにはかかわらず、一人で暴れていれば、そのうちに女が惚れてくれる、ということで話は振り出しに戻るが、この小説、はじめは無心に暴れていた主人公が段々と正義のために苦悩するようになったりする。魅力半減である。そんな男にはもう女は惚れないはずなのであるが、それでもこの主人公はどういうわけかもてる。不思議である。小説なのであるからどのように設定しようと作者の勝手なのではあるけれども。
何だか青い小説であった。これにくらべるならば、同じ柳生一門がでてくる小説でも、山田風太郎の作のほうが(たとえば「魔界転生」)ずっと楽しく読める。印象としては、北方謙三氏の「水滸伝」に似ていた。反権力賛歌である。北方氏は1947年生まれで、わたくしと同じ全共闘世代なので、その反権力の姿勢のよってきたるところはなんとなくわかるのだが、隆氏は1923年生まれ、わたくしの父親の世代である。その「自由」への憧憬は戦争経験の反映なのだろうか?
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