与那覇潤「中国化する日本」(2)
第2章「勝てない「中国化」勢力」
モンゴル帝国が、全世界的な市場経済の礎を築いたグローバリゼーションの原点だったというのは、現在の世界史の常識なのだそうである。
あれだけの広大な地域を支配したのだから、それらを直接に自ら統治することは困難である。他の遊牧民であってもモンゴルにしたがうならば自部族に編入し、農耕民族に対しても銀を国際通貨とする自由貿易のルールによって間接的に統治した。
つまりモンゴル帝国は、宋朝体制を中国の内部ではなく、朝鮮半島から東ヨーロッパまで拡大したものだったのである。元寇は、日本もその自由大貿易圏に入れという要求を「鎌倉男子」が蹴ったためにおきた。朝鮮の高麗王朝はモンゴル騎馬軍団の侵入を許したが国が滅びたわけではない。元寇に負けていたら日本が滅びていたなどということはありえないことである。それを「国難」などといって国民を戦争に駆り立てた鎌倉幕府は、自給自足に固執してアメリカ主導のワシントン体制を離脱し、中国大陸からの撤兵要求をそれをのめばアメリカの奴隷となってしまうなどといって無謀な戦争に踏み切った当時の軍部と同じなのである。
たまたま元寇には運良く勝利した。しかし、戦争に勝って別のところで負けた。貨幣経済で負けたのである。モンゴルは銀を世界通貨としたが、領土が広すぎて銀の絶対量が不足した。それで紙幣を発行した。その普及を計るためちょうど2回の元寇の間に、銅銭の国内使用を禁止した。そうすると、国内で使用できなくなった銅銭は対外貿易で使われることになった。そのため日本と東南アジアには大量の中国銭がが入ってきた。鎌倉時代末期の日本では年貢の銭納化など、平家末期以上の経済革新がおこった。荘園農地を支配する鎌倉幕府の公的御家人と、貨幣と商業を基盤にする北条得宗家の私的使用人である御内人との対立がおき、両者の内紛のため統治はがたがたになった。
その内紛に乗じて鎌倉幕府を葬ったのが後醍醐天皇である。後醍醐は楠木正成らの悪党、漂泊民、商工業者を組織して、農業を基盤とする武家勢力と闘った。公家社会の先例は無視した。独断的に人事をおこなった。このような天皇は日本の歴代天皇では空前絶後であるので、網野善彦は「異形の王権」と呼んだ。しかし、後醍醐が異形なのは日本を基準にしてみた場合でのことであり、宋の基準からみれば、これは「普通の王権」である。(小泉純一郎は「変人宰相」といわれたが、世界標準からみれば、普通の宰相であったのと同じである。)
しかし後醍醐は北条氏を倒すために、鎌倉御家人の筆頭足利尊氏を頼ったことによって墓穴をほり、吉野に追放されてしまった。このグローバル路線の挫折の後の最後の挑戦者が足利義満で、義満は「天皇になろうとした将軍」と評される。中央集権を志向し、明朝と貿易を計ったが、その突然の死(暗殺ともいわれる)によって挫折した。室町幕府の宿老たちは、将軍が中国的な専制君主になってしまうと、自身が世襲してきた領地や家職をとりあげられることを恐れたのである。鎌倉政権以後、武士は守旧派なのであり、既得権益を守る側である。網野と同じような見方は一部は山本七平によってもいわれている。
日本では時々、中国宋朝的な政権ができるが短命に終わる。それならば中国はときどき日本的な政権ができるが短命に終わる地域なのである。その日本的政権がモンゴル帝国のあとの明王朝である。明では鄭和の大遠征のような事例は例外で(それが継続していれば、ヨーロッパの大航海時代などは出現しなかっただろうといわれる)、明がとった反=グローバル政策のために、中国は停滞し、近代西洋に世界支配を許してしまったというのが歴史学の定説である。
モンゴルが衰微したのは、銀不足により紙幣を発行したことによる経済の混乱のためとされている。まだそのころの人たちは不換紙幣に慣れていなかったのである。それをみた明朝の建国者の朱元璋(洪武帝)は、銀に依存した経済政策は亡国のもとであると考え、徴税も物納とし、移動の自由を禁じ、就業の自由もとりあげて、相互監視体制をとり、海禁政策をとって私貿易を取り締まった。これは宋朝以前の古代律令制への逆戻りであるが、早い話が江戸時代である。内向的になり世界支配のチャンスを失った。
とはいっても宋時代の自由の味を知っている中国人は、当然闇経済に走る。大陸沿岸部は密貿易マフィアの温床となる。そのマフィアが「倭寇」である。
もしも元に十分な銀があればこんなことにはならなかったのだが、そのころ本当に銀がでてきた。日本(岩見銀山)と南米(ポトシ銀山)などにである。
銀を欲しがる中国に銀は流れる(銀の大行進)。その見返りに奢侈品が中国から世界中に流れた。日本の戦国時代の16世紀はまた世界の戦国乱世である。沸騰した貨幣欲がさまざまな混乱をひきおこす。免罪符販売がキリスト教会を分裂させた。
その混乱をどのように収拾させたが、それぞれの地域のその後を決めた。「世界中のいかなる地域でも1600年頃につくられた社会が、今日まで続いていると思え」と与那覇氏はいつも授業でいっているのだそうである。(北米や豪州のような移民社会は除く。) 日本なら江戸時代、中国では明にかわった清朝、ヨーロッパでは宗教戦争を収束させたウエストファリア体制・・。
これらはすべて「銀の大行進」の落とし子である。銀は遠隔地域との取引に用いられ、銅銭は日常業務につかわれるようになった。そのため日本には中国産の銅銭が入ってこなくなった。年貢は銭納から米納へ逆戻りし、社会は自給自足体制にもどっていく。
「銀の大行進」がヨーロッパにもたらしたものが産業革命。南米の奴隷を使ってただ同然で手に入れた銀で、中国から贅沢品を買いあさった。しかし、そんなことをいつまでも続けるわけにはいかない。ところが銀の大量流入でインフレ(「価格革命」)がおきた。インフレは投資を呼ぶ。その結果生じた産業資本主義が「世界の後進地域」であったヨーロッパが「先進文明国」中国に追いつき追い抜く原動力となった(西洋で産業革命が成功した理由については「価格革命」以外の説もあるが・・)。
清朝は、東シナ海周辺の闇経済マフィアの利権争いの勝者が建国した。(先手をとったのは秀吉の朝鮮出兵であったのだが、それは明を弱らせるだけに終わっってしまった。その隙をついて弱った明朝を倒したのが清朝であった。清朝は人頭税を廃し、民衆の緻密な把握はあきらめ、貨幣管理も民間に丸投げするなど、政府がほとんど何もしない窮極の自由放任体制をとった。社会に活気が生まれ好景気になったが、政府が再分配機能を放棄したため、大変な格差社会が生まれた。当然、民衆は宗族に頼る。とすると人口は爆発的に増える。そのため中国は近年まで過剰人口に悩まされることとなる。
世界が今このようであるということは単なる事実に過ぎないが、なぜそのようになっているかについての説明は無数にある。それはごく大雑把にわければ、思想がそうさせたという立場と物質がそうさせたという立場に分けられるかもしれない。もちろん、その外には神様がそうさせたとか、摂理とか天命がそうさせたという立場もある。しかし、神様や天命を持ち出してきたのでは、少なくとも学問にはならない。別に学問になるかどうかがそれが正しいかどうかを決めることにはならないわけだが、いまここでわたくしがいろいろとごちゃごちゃ書いているのは、神様や天命によるとは思っていないからではある。今、人間が地球上で大きな顔をしていられるのは、だいぶ以前に大きな隕石が地球に落ちて天候の激変があったためらしいが(聖書に書いていないから、そんな以前などはなかったという立場もあるが)、人間は動物であり、まず生き物として生き残ってきたから今の人間がいる。とすれば食い物という物質が確保されるということが第一であることは間違いない。心あるいは思想などというのは食べ物が確保された後の贅沢である。それならばお金は物質であるのか? 貨幣とか紙幣とかは物質ではある。しかし、それが持つとされる価値はその物質性とはどうも関係がないらしい。それを有り難がるのは(山羊を除けば?)人間だけらしい。ここでの主張によれば、銀が世界を変えたらしい。それは人間が銀を有り難がったからである。そのモノとしても価値によってではなく、それが様々なものとの交換に使えるという理由によって、つまり経済活動の支えとなるものとして。「銀の大行進」が世界を変えたというのは、経済から歴史を見る立場である。それによる説明は実に鮮やかなもので、本書を読んで随分と説得されてしまった。
それがグローバルであるとするならば、反=グローバルである日本は反=経済活動路線で来たことになる。モノづくりであり、典型的には農業である。モノづくり大国日本などといわれ、一時は経済大国日本などともいわれたわけで、モノづくりが経済活動でないわけはないが、どうもモノをつくること自体が好きで、それによって儲けるということは二義的らしい。かってバブルのころ、某経済評論家が「今、投機をしない人間は世捨て人である」などといっているのを読んで「俺は世捨て人なんだなあ」と思った記憶がある。とにかく投機に類することはしたこともしようと思ったこともない。つくづくと経済マインドがない人間なのだと思う。
日本の経済活動は農業的経済活動なのであり、世界に雄飛するなどという方向ではなく、企業の活動も「一所懸命」の延長線上にあるのかもしれない。
しかし、金儲けは汚いとか恥ずかしいとかいう考え方は、日本以外にもいろいろあって、それでマックス・ウェーバーもいろいろ苦労してそれを説明しようとしたわけである。それに倣って山本七平氏も「石門心学」だとかいろいろ言っていた。なにしろ金儲けが修行なのである。それを面白がって読んできたわたくしもまた典型的日本人に違いない。司馬遼太郎だって、晩年、土地バブルに狂奔する日本人に絶望して、ほとんど自費出版のような形で「土地と日本人」とかいう本を出していたくらいであるから、また、典型的日本人である。本書を読んでつくづくと自分は反=グローバルのひと、江戸のひとであると感じる。そのことが本書を面白いく感じる最大の理由なのであろう。
網野善彦氏の「異形の王権」はわたくしも読んでいたが、「自ら護摩を焚いて、幕府調伏の法を行う」「護摩の煙の朦朧たる中、揺らめく焔を浴びて、不動の如く、悪魔の如く、幕府調伏を懇祈する天皇」とか、大聖歓喜天浴油供という祈祷をおこなった(大聖歓喜天というのは男女抱合、和合の像なのだそうである)、それは「極限すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然―セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた、ということもできるのではなかろうか」などというところばかりを覚えていた。困ったものである。どうもわたくしの人間性の問題らしい。読み返してみれば「「個別執行機関の総体を天皇の直接掌裡に入れること」を目標としたのは、宋朝の君主独裁政治をモデルにしたのではないか」というようなことも(佐藤真一の説の紹介としてではあるが)ちゃんと述べられている。が、そんなことはすっかり忘れていた。
網野善彦氏の本はこれ以外にも随分と読んでいる。網野氏の本が面白かったのは、氏は日本は決して農業ばかりの国ではなかったぞということをくり返しいっていたからである。百姓は決して農民ばかりではないとかである。また「アジール」論も面白かった。わたくしは反=グローバリズムの江戸のひとであると思うのだが、同時に、村社会が大嫌いで、それで医療の世界というアジールに逃げ込んだ人間だと思っている。江戸の人間で村社会が嫌いなら、もうどこにも生きる場所がないようなものであるが、それでアジールである。網野氏も土地に定着しない人間を好んだひとであったように思う。だが、氏がグローバルスタンダードを志向したひとであったのか? それはよくわからない。この方もまた金儲けなどということにはまったく縁のないひとであったように思う。
そして、ムラ社会大嫌いで狩猟民族を賛美する村上龍氏が、勉強してみればグローバル=スタンダード志向の社会もまたとんでもなく恐ろしい社会であるなどと言い出しているのも考えさせられる。自分を支えるものは「仕事」であるなどと言い出しているのを見ると、氏もまた江戸の人間の影を引きずっているのかなあとも思う。
それで、次は江戸時代の話。
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