吉田健一の50の言葉

(21)死の影

戦後の日本は死の影が差さなくなった国で・・・ 「日本に就て」におさめられた「命が惜しいことについて」から。 この「日本に就て」は最初昭和32年(1957年)に講談社から刊行され、昭和49年(1974年)に一部内容を変更して講談社から刊行され…

(20)正月

正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいりる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分…

(19)本

ヨオロツパに、何か解らないことがあったらそれについて一冊の本を書くといいという格言がある。これは本当であるようであってヨオロツパについて今度これを書いているうちに始めて色々なことを知った気がする。 「ヨオロツパの世紀末」の「後記」の続き。 …

(18)ヨーロッパ

ヨオロツパは或る意味で我々が最も知らない世界の部分で我々は先ず誤解することでこれに接し、誤解が習熟に取り違えられて既に久しいことに気付いた時にはそれまでヨオロツパを我々が誤解したり習熟したつもりでいたりした原因である世界でヨオロツパが表向…

(17)江戸っ子

鴎外と漱石では作風が非常に違っていて、例えば「坊っちゃん」の主人公のような愉快な人物は鴎外には書けなかった。漱石に出来て、鴎外に出来なかったことがあったのは当り前であるが、それにしても漱石の坊っちゃんは、この二人の作家に見られる性格的な違…

(16)日本の小説

小説がつまらないのは、或は少くとも、小説という名前を附けて我々の前に出される大概のものがつまらないのは、これも書いている方で、自分は小説を書いているんだという高級な気持ちがあるからではないだろうか。 随筆集「甘酸っぱい味」の「日本の小説」の…

(15)ベートーベン

つまり、こういう人間はいつもひどく鹿爪らしい顔をして暮らしていて、人間はそうするのが普通なのだと考えているに違いない。小人閑居して渋面を作るのである。だから、髪を風に吹かせて、おでこの下が眼だけになっているベートーベンの肖像が大変受けるの…

(14)文士は変わっている

それにしても、この文士は変わっているという考えでごまかし、又ごまかされているのは世間の方だけでもないようである。文士自身が、文学者は政治に関心を持たなければならないなどというふざけたことを言っている。文学をやっていると頭が変になって来て、…

(13) 文明

文明の状態は我々が人を人と思ふといふことに尽きる・・ 「ヨウロツパの世紀末」の第2章から。以下前後の部分も引用してみる。 「例へば我々が古代、或は少くとも十五世紀頃までのメキシコの文明といふ言ひ方に何か納得出来ないものを感じるのはその時代に…

(12)詩

文学を詩と言い換えてもいい位であるのは、一定の言葉数で我々に最も大きな楽しみを与えてくれるのが詩だからである。 「文学の楽み」の第3章「詩と散文」の一節。 随分と長い間、文学というのは小説のことだと思っていた。中学から大学の教養学部あたりま…

(11)英国の青年

英国の青年にとっては全英国が、入場無料の英文化史館であり、引いては全欧州が,完備した西欧文化の博物館なのである。その結果、英国の青年が読書し、散歩に出かけ、食事をしにホテルの食堂に入る時、彼等が瞬間も過去の重量を感じていない時はない。彼等…

(10)英語

英語が旨いとか、旨くなるとかいうことは、一般には、ぺらぺら喋れることを意味しているらしい。そういう英語が旨い人間が外国人、或は極端な場合には、やはり英語が旨い日本人を相手に英語を話しているのを見ると、兎に角、ぺらぺら喋っているということが…

(9)T・S・エリオット

エリオツトの作品ほど、読んでゐるうちにこつちで何度も態度を変へたのはない。 集英社版の「吉田健一著作集 補巻二」に収められた「T・S・エリオット」いう文章の書き出しである。この「著作集 補巻二」は非常に詳細な年譜が付されていて、それで買ったの…

(8)食いしんぼう・又

水もなるべく飲まないように、などという病気にはなりたくないものである。なったら、腹が減ってたまらなくて、喉が渇き、煙草が欲しくても飲めず、映画の試写会の招待状が来ても出かけて行けなくて、どうにも情けない感じがするだろと思う。 「饗宴」という…

(7)食いしんぼう

人間は食つてゐなければ死んでしまふのだから・・食ひしんぼうでだけはありたいものである。嫌でもしなければならないことは楽しんでやれた方がいいに決つてゐて、食ふのが人生最大の楽みだといふことになれば、日に少くとも三度は人生最大の楽みが味へる訳…

(4)自然

この詩(シェイクスピアのソネット第18番)には、漸く沈み掛けてゐて、いつかは沈むとも見えない太陽の豊かな光線が空中に金粉を舞はせてゐる英国の夏の黄昏がある。我々は東洋に生れて、かういふ濃厚であると同時に自然のまま美しい現実を、西洋の詩や音…

(3)動物

動物はただ生きてゐることを望み、或は生きてゐるのを自然のことと心得てゐるに過ぎない。 「覚書」の「3(ローマ数字)」から。 「覚書」は昭和48年から49年にかけて「ユリイカ」に連載された。44年に「ヨオロツパの世紀末」、45年に「瓦礫の中」…

(2)神様

一体、我々に西洋風の罪の意識があつてどうなるといふのだらうか。・・西洋人は神の観念や罪の意識の重荷に堪へかねてそれを少しでも堪へ易くする為にその文明を生んだのであり、それならば、この意識や観念は西洋の文明がそこから発したもとの野蛮である。 …

(1) 平和

勢古浩爾さんの「ぼくが真実を口にすると 吉本隆明 88語」というのを最近ちょっと読み返していて、そうかこういうやりかたもあるのかと思った。それで、年があたらまるにさいしてこんなことを始めてみようかと思った次第。50というのにもなんの根拠もな…