(11)英国の青年

 英国の青年にとっては全英国が、入場無料の英文化史館であり、引いては全欧州が,完備した西欧文化の博物館なのである。その結果、英国の青年が読書し、散歩に出かけ、食事をしにホテルの食堂に入る時、彼等が瞬間も過去の重量を感じていない時はない。彼等が呼吸している居る空気そのものが歴史なのである。

 講談社文芸文庫吉田健一未収録エッセイの一冊「英国の青年」に収められている同名のエッセイの一節。「吉田健一未収録エッセイ」というのは島内祐子さんというかたが、集英社版の「吉田健一著作集」にも収められていないような文を丹念に集めて文庫として刊行しているもので、現在まで「ロンドンの味」「おたのしみ弁当」「英国の青年」の3冊が刊行されている。島内さんのような愛読者がいる吉田さんは幸せな文学者なのだなと思う。もちろん、こういうものが刊行されるのはある数の読者がいるということでもあって、そうでなければ文庫としては相当に高い値段の設定(1400〜1500円)になっているとはいっても出版社としては刊行にはふみきれないだろう。というわけでわたくしも買って、この3冊も本棚に収まっている。
 「英国の青年」という文は昭和13年に書かれたもので、雑誌「自由」に「英仏文学研究家」という肩書きで発表されている。推薦者 河上徹太郎などというのがついているのが微笑ましい。解説で島内氏が書いているように、年譜類にも記載されていない。吉田健一著作集 別巻2 の年譜の昭和13年の項にもない。ちなみに昭和13年25歳の健一青年の仕事はその年譜では主に翻訳で、なかにはド・ブロイの「量子物理学に於ける不決定性について」などというのまである。これが「文学界」という雑誌に載っている。
 昭和13年は1938年で、何よりこの文章を読んで感じるのは第一次世界大戦の後でまだ第二次世界大戦はおきていない時期の文章であるということである。で、「英国の青年は欧州大戦の産物である」ということがいわれ、「欧州大戦以後が現在、それ以前は昔に属する」ということがいわれる。そして「我が国の歴史に於て大戦に相当するものを考えた時、それが明治維新であることに思い当って愕然とした」というような注目すべきことも書かれている。だが「明治維新が完全に新しい秩序への出発点であったのに反して、欧州大戦は、欧州の旧秩序に致命傷を与えたのみで、何等根本的な変革をもたらしすことはなかった」とし、「大戦前の欧州は形骸として現存」するが、欧州は「精神的に全く意気喪失し今なお恢復の兆候が見えない」という。すなわち英国の青年はこの頽廃的な雰囲気の中に成長し、今もそのなかで生活し、思索し、彷徨しているのだとする。
 この時期の知識人の無気力を代表するものがハクスレイであり、知識人の理智至上主義的傾向に対する独創的な反抗者として、次の時代の先覚者となって現れたのがロレンスなのであるという。健一さんご贔屓の作家E・ウォーは出発点では明らかにハクスレイの路線のひとであった。それが「ブライズヘッドふたたび」を書くようになったということをどう評価するかは区々のようで、それを堕落とするものも多いようであるが、健一さんはそうではなく、逆に前期の作品の中にも優雅を見出す方向にいった。
 D・H・ロレンスを吉田氏がどうみていたかは、「息子と恋人」などを翻訳しているにしても微妙で、ああいう超越的な方向は吉田健一のとる方向ではなかったということなのだと思う。しかしこの文章が書かれたのは太平洋戦争のはじまる数年前であるので、「英国の青年は為す所を知らず、しかも猶彼等の知識階級的良心は、彼等に何事か為すべきであることを告げて居るのである。しかも彼等にとってはっきりして居るのは、過去だけなのである。故にその過去を清算して、何等かの理想に向かって前進するとすれば、彼等は共産主義思想に従うことによってそれを為す他ない。現在の英国に於て、左翼運動が激烈になりつつあるのは怪むに足らないのである」という。
 一方、日本の青年は「回顧するに足る過去を有せず、未来をおそれるべき理由もな」いという。我々が西欧から移入したのは、印度から希臘に伝わった三段論法的思弁方法であって、西欧の文化ではなく、西欧の文化の爛熟や頽廃では更にない」という。後年の吉田氏ならば、ここでの三段論法的思弁方法の代わりに19世紀ヨオロツパと言ったかもしれない。
 この文章を読んで感じたのは、英国の青年にとっての第一次世界大戦がわれわれにとっての太平洋戦争であったのではないかということである。そして吉田氏が多くの日本人とは異なり、すでに自分の目で第一次世界大戦後の英国やヨーロッパを見て知っていたこと、その後、自分で太平洋戦争を経験したこと、その二つが、その後の吉田氏をつくっていったではないかと思う。