(8)食いしんぼう・又

 

 水もなるべく飲まないように、などという病気にはなりたくないものである。なったら、腹が減ってたまらなくて、喉が渇き、煙草が欲しくても飲めず、映画の試写会の招待状が来ても出かけて行けなくて、どうにも情けない感じがするだろと思う。

 「饗宴」という随筆というのか小説というのかようするに法螺話の冒頭である。友達がそういう病気になって、話をきいていても気の毒でたまらず、自分がそういう病気になったらどうしようと思い、そういう時にはもの凄いご馳走のことを空想するのが一番いいのではないかと考えて、病気でもないのでそういう空想にふけってみた、という話である。
 まず汁粉屋にはいってぜんざいを頼み、ついで雑煮を食べて、その後おこわで一息つく。ついで小川軒に移り、濃厚なポタージュを二杯ほど、その後牡蠣フライかなにかを食べてメイン・ディッシュのコットレット・ダニヨー・オーゾマール・トリュッフェ・マロン・シャンティーができるのを待つ。これがどんな料理かは2ページほど縷々説明がある。羊の肉のカツとオマール蝦、そこにトリフュと牡蠣をあしらい、栗のクリームをかけたものなどともっともらしく書いてあるが、要するに出鱈目である。そしてそういう濃厚なものを食べた後は吉野屋で口直しに茶漬けを三杯ほど。そこを出たあとモロゾフでロシア菓子をいくつかとコーヒー、その後、維新號で支那饅頭を二つとワンタン二杯、さらに蕎麦屋のよし田へいってコロッケ蕎麦を二杯。それからメルヒオールという何でも屋にうつって、餃子と鮒鮨とハヤシライス、その後にコンソメ、ついで北京ダックに鯖鮨、そして最後は庭にでて、牛を一頭丸焼きにしたのが四つ足で吊してあるなかに潜り込んで、まわりの好きなところをもいで食べるところで話が終わる。銀座にいたはずなのにいつのまにかアルゼンチンの庭にいることなって、すべての話が幻想である種明かしがされて終わるのだが、それまで真面目くさって実存している店の食べ物について語るのでついつい10ページ以上の文章を読んでしまう。大した芸だと思う。これを読んで少なくとも若い頃は、健一さんは大食らいだったのだろうなと思う。
 これほど厳しい制限ではないにしても、糖尿病は食べたり飲んだりが制限される病気らしい。糖尿病患者が実際には食べ物の制限をしながら、こういった空想をすることで充たされるかといえば、そんなことはないだろうと思う。こちらも糖尿病の患者さんに食事指導をしていても、非人間的なことをしているようでなんだか身が入らない。しかし食べるならせめて美味しいものを食べてもらいたいものだと思う。最近、新入社員の健診データをチェックしていて、体重が100キロを超えるようなひとがちらほらいるので驚く(BMIが30を超えるのはざら)。スナック菓子と清涼飲料水の多食多飲でそうなっているのでないことを祈る。いくら満腹感がひとを幸福にするのだとしても、それではちょっとねと思ってしまう。
 

酒肴酒 (光文社文庫)

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