(9)T・S・エリオット
エリオツトの作品ほど、読んでゐるうちにこつちで何度も態度を変へたのはない。
集英社版の「吉田健一著作集 補巻二」に収められた「T・S・エリオット」いう文章の書き出しである。この「著作集 補巻二」は非常に詳細な年譜が付されていて、それで買ったので、これは偶然に見つけた文章である。
われわれが吉田氏のエリオットについての公式見解?として知っているのは、「文学の楽しみ」の第一章の「大学の文学科の文学」でのもので、まあ言ってみればエリオットはけちょんけちょんである。「先日、エリオットに就てどうしても書かなければならなくなって、エリオットのことでその一派がこの何十年か言って来たことの大部分は嘘だということに気が付き、非常に驚いた。・・エリオットの一派と言ったのでは、エリオットがその首領のようになるから、エリオットの亜流と言い直した方がいいかも知れないが・・エリオットの亜流の多くは大学の教授である。・・エリオットが何故、その初期に見られる本格的な詩を書くのを止めて、ぐるぐる廻っているようでいていないのが神だという風なものを手掛けるに至ったかを考えると、エリオットもその限りでは、その亜流と呼んで差し支えないものがいるだけあって、何か言葉の他に欲しくなったのだと結論しないではいられない。彼も文学だけでは満足出来なくなって、神を彼の場合は求め、言葉の伝統から宗教の正統へと向い、キリスト教を文明の中心に置き、勿論、それで彼が幸福になったのならば文句を言う筋合いはない。」
ところがこの「T・S・エリオット」では、「「荒地」を始めて読んだ時は、この作品から全く何の環境も得られなかつた」とし、「これに対して、「伝統と個人的な才能」その他の批評には、今では不当と思われる位、最初は興味を持つた」という。しかしエリオットが近代批評を英国の文学に持ち込むことを批評の目的にしていることに気づいた、その批評はつまり時局的な性格を帯びたもので、一つの運動の創始者でエリオットはあったので、その運動が実を結んでしまえば必要がなくなるタイプの論であったことがわかった時点で、その批評に疑念を感じるようになった。そしてエリオットの詩についてはさらに何度も態度を変えたといい、最初「荒地」は全然面白くなかったが、「四つの四重奏」は傑作だと思い、それから見返すと「荒地」の第三部辺りはいいと思うようになった。そして後に「四つの四重奏」を読み返したら、そこには信仰はなく、それを技巧と誠意と善意で埋めようとしているのだと感じた。それでさらにエリオットの詩集を読み返して、最初の詩の「プルフロックの恋歌」こそ傑作であると思うようになったという。
とすれば、吉田氏のいろいろな文章を読めば、「四つの四重奏」を褒めたり、「伝統と個人的な才能」を称揚したりしているものも見つかるに違いない。人間が変わるのは当たり前であり、吉田氏ももっと生きていれば、さらに「文学の楽しみ」でのとは別のエリオット観を示すようになったかもしれない。もっとも「T・S・エリオット」の末尾では「エリオツトの仕事に就て、この頃漸く辿り着いたこの考へ方はもう変へないだらうと思ふ」と言っているが。「T・S・エリオット」は昭和38年に、「文学の楽しみ」は昭和41年に書かれている。
昨今の日本の文学の動向では吉田健一・丸谷才一・池澤夏樹路線というのが大きな顔をしているように感じる、あるいは丸谷さんと池澤氏が自分の主張の神輿として健一さんを担いでいると思うのだが、丸谷才一さんは「文学が凡て」派の「文学に淫した」ひとであり、池澤氏は「文学は政治の僕」路線に引け目を感じているのではないかと邪推されるところもあって、どうも健一さんとは路線が違うように感じる。健一さんが好きな詩文をどこまでも暗誦するひとであったとしても、文学などなくてもわれわれは生きるのに少しも困らないという立場を決して崩さないひとだった。だが、丸谷さんは文学運動をやっていたので、それが成就してしまうと書いたもののかなりはどうでもいいものになってしまったのかもしれないし、池澤氏はもう決着がついてしまった運動をまだ戦いの途中であるかのようにいって自分がその運動の指導者である顔をしたがっているように感じる。そして二人とも「文学などなくても少しも困らない」とはなかなか言い切れない人なのではないだろうか。丸谷さんも池澤氏も知識人なのである。健一さんは知識人ではなかった。あるいはひとを指導しようという人ではなかった。それが重要なのだと思う。
- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/05/10
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