鹿島茂「ドーダの人、小林秀雄」(その1)

 
 鹿島氏が、2008年から2015年まで「一冊の本」に連載した「ドーダの文学史」から小林秀雄についての章をまとめて一冊としたもの。
 という由来のためか、かなり奇妙な構成の本である。普通、一冊の本というのは主題が提示され、それが展開され、最後に結論にいたるという構成になるものだと思うが、本書は、主題が提示された後、それを分析する一見相互に関係がないと思われる(一見ではなく、本当に関係がないと思う)ツールが次々と投入され、話題がどんどん拡散していったと思ったら唐突に結論が提示されるというような作りになっている。
 思うに、鹿島氏にはある大きな鉱脈を掘りあてたぞという確信があるのだが、それが本当にはどのようなものであるかということについては、氏にもまだ十分には言語化できておらず、そのため、そのある何かにむかっていろいろな方向から少しづつ掘り進んでいく過程を提示することで、その全体像の輪郭なりとも提示できないかという戦略をとっているのではないだろうか。本書から一番よく伝わってくるのは、氏の「ユーレカ!、我、発見せり!」というわくわく感のほうなのである。
 まず、第一に、本書が「ドーダ!」ということを論じたいのか? それとも小林秀雄を論じたいのか? それがはっきりしない。
 本書は体系的な小林秀雄論ではない。ここで論じられるのは若き日の小林秀雄だけである。だいたいどんな人間も若いときはろくでもないものなのだから、そのろくでもない時期のみを論じるというのは態度としてフェアではない。もっとも、小林秀雄は一生成熟することなく若いときのままで終わったという見方もありうるわけで、そうであるなら若いときのみを論じれば十分ということもある。しかし、そもそも本書の議論によっても小林秀雄は一流の批評家ではない。それにもかかわらず、その小林秀雄が日本で批評家の代名詞のような存在になっていったということは、日本の近代化がかかえる大きな問題と切り離しては考えられない、というのが鹿島氏の主張である。
 とすれば、氏が論じたいのは小林秀雄という一人の批評家ではなく、小林秀雄が青春を送った昭和のはじめという特異な時代のほうであるのかもしれない。しかし、それにしては小林秀雄についての記載が微に入り細を穿っている。明らかに小林秀雄という個にも、氏は烈々たる関心を抱いている。
 明示はされないが、本書の大きな主題の一つに、われわれが文学に惹かれるようになるのはどういう理由によってか、というものがあると思われる。何で俺は文学者になんかなってしまったのかなあという鹿島氏の抱く自身への疑問が本書の隠れ主題となっている。しかもあろうことか、フランス文学者に、と。
 本書に明示されているように日本のフランス文学界というのは小林秀雄に汚染されている、というか「小林秀雄ファンクラブ」のようなものである(誰かが全共闘世代のことを「吉本隆明ファンクラブ」と揶揄したのにならっていえば)。本書がわかりにくいのは鹿島氏がなぜ文学という道、それもフランス文学という道を選んだのかということが書かれていない点にあるのではないかと思う。鹿島氏は東大仏文である。そして「戦前でも、戦後でも、東大仏文というのは小林秀雄エピゴーネンの巣窟」(p34)であるのだから。
 さらに敷衍すれば、日本人が抱く文学観では未だに小林秀雄路線が主流であって、それに対峙するものとして、「丸谷才一池澤夏樹」路線(さらにその源流としての吉田健一)がでてきてはいて、それは以前にくらべれば大きな勢力にはなってきているとしても、まだまだというのが実情ではないかと思う。
 私小説というのも「ドーダ」の観点からの分析によって多くのものがみえてくるのではないかと思うが、しかしドーダというのが小林秀雄私小説路線の専売特許かといえばそうではないわけで、丸谷才一池澤夏樹もやはりドーダの人だと思うのである(丸谷才一が陽ドーダで、池澤夏樹が陰ドーダ?)。文学のひとというのはやはりドーダのひとがなるのであろうか?
 本書で個人的に非常に面白かったのが、批評家としてはるかに小林秀雄よりまともであった河上徹太郎が現在ではほぼ忘れられたひととなっているという指摘である。「小林秀雄のほうは・・同時代の青年に与える影響力は大きく、文学史的には「残る」が、河上徹太郎の場合、玄人筋の評価は高かったが、同時代の青年への影響は無に等しく、文学史的にも「残らない」。・・小林秀雄は「伝説」「神話」になるが、河上徹太郎はそうした栄光とは無縁である。」(p215)
 いえることは河上徹太郎は「ドーダ」の人ではまったくないということである。育ちがいいということなのだろうか?(育ちの問題は本書においても縷々考察される) わたくしにとって河上徹太郎はなによりも吉田健一のお師匠さんで、健一さんを薫陶した人である。そして晩年の吉田氏は出藍の誉れでひょっとすると河上徹太郎を乗り越えていったのかもしれないが、河上氏は決してそのことに嫉妬するようなひとではなく、それを喜んでいたのではないかと思う。そして吉田健一は「ドーダ」とはまったく縁のないひとであった。やはり育ちがいいのであろうか?(貧乏はしたとしても)
 おそらく、本書で提示されている若き日の小林秀雄ランボー体験というのは、文学による自己救済のもっともみやすい例である。つまり宗教の代替品としての文学である。日本ではいまだに「魂」にふれるようなものが「純」文学であり、それ以外は通俗文学というような区分がされていて、その区分の震源地が小林秀雄なのではないかと思う。そして鹿島氏もまた、「文学は魂とかとは関係ないよ、それは宗教の代替品ではなく、人に救済をもたらすというようなものではないよ」ということをどうしてもいいきれないものがありそうである。それはおそらく若き日の鹿島氏の個人的な体験に由来するのではないかと思うが、そこが伏せられているためその辺りは類推するしかない。
 本書の最後が「私の小林秀雄論もまた「自分のいま抱いている問題を展開するのに大変都合がいい」から小林秀雄をダシに使ったのかもしれず、これまた紛れもないドーダにほかならないのだ。そう、批評とは他人の作品をダシに使ったドーダなのである。」というものである。なんだかそれまで展開されてきた論旨がここで一挙に逆転してしまうような感じがするのだが、だったら小林秀雄論などという迂路を経ることをせず、「自分のいま抱いている問題」を直接展開すればいいではないかと思う。しかし、その「自分のいま抱いている問題」というのがこのような小林秀雄論を通じてしか明らかにできない、いわく言い難い、まだ充分に言語化ができていないもの、本書におけるような議論を通じてしか輪郭をはっきりさせることができないものということになるのかもしれない。
 とにかく、議論のタネはたくさんにまかれている。鹿島教授お得意のセクソロッジー分野から、トッドなどの人口学に由来するユース・バルジ論、斉藤環の「ヤンキー論」、さらには「アモック」概念まで、話題がどんどんと拡散していく。ということでこれからこちらの論点もあちらこちらに次々に漂流していくかもしれないが、とにかく、思いつくままにしばらく書いていきたい。
 なお、「ドーダ」とは東海林さだおさんの用語で、「人間の言語的・身体的コミュニケーションあるいは表現行為は、すべてこれ「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、マイッタか!」という自己愛の表出にほかならないのだから、この「ドーダ」の一点さえ抑えておけば、コミュニケーションや表現行為のあらゆる意味は容易に解けてしまうという心理分析」(p1)の方向を指す。東海林氏はまあちょっとした思いつきでそう書いただけかもしれないが、鹿島氏はこれをいたく気にいったようで、この概念を駆使して、最近、多くの文をものしているようである。