鹿島茂「ドーダの人、小林秀雄」(その2)

 
 「ドーダ」というのはほぼ自己顕示といったことで、ただ一見はそうはみえない「謙遜を装う自己顕示」といった単純ではないタイプもあり、一筋縄ではいかないわけだが、鹿島氏は、パスカルの「パンセ」の「虚栄」でいわれていることは、「ドーダ」という言葉をつくった東海林さだお氏のいっていることとほぼ同じといっているから事新しい見方というわけではない。
 わたくしには、ここで「ドーダ」という言葉でいわれているものは、広い意味でのロマン主義の問題とかかわりがあるものであるように思われる。本書での興味ある指摘の一つが、批評家としてははるかにまともであった河上徹太郎よりも、それよりはずっと格下であるはずの小林秀雄のほうが、なぜ日本では神格化されることになったのかという問題である。それは小林秀雄がロマン派の系列の人であって、一方の河上徹太郎は古典派のひとであったからであり、日本ではいまだに文学はロマン派的な見方が主流であるからということなのではないだろうか? 「私小説」だってロマン派の系譜である。
 若いときというのは一生のうちで一番ロマン主義に傾斜しやすい時期であるわけだから、多くの人間にとってロマン主義の克服が課題となる。小林秀雄だってごたぶんに漏れないわけだけれども、小林秀雄のしたことはかなりなアクロバットで、ロマン主義のやりかたでロマン主義を乗り越えようというのである。ロマン主義を克服すると見えてくる世界を描くのではなく、ロマン主義を克服しようとする自分の手つきのほうを描く。「仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかも知らず、近代文明といふものは駈け出したらしい。」(「當麻」)      ここで近代文明といわれているものはほとんどロマン主義である。それに対比されるのが「万三郎の當麻」である。「俺は近代文明の病根に気づいているのだぞ!」ということは言われているが、具体的にそれを乗り越えた世界が示されるわけはない。示されるのは「間違いに気づいている小林秀雄」である。だから、これまた「ドーダ」なのであるが、それをもって小林秀雄は「ドーダのデパート」などといっても特別に新しい何かが見えてくることはないように思う。
 鹿島氏は、「小林秀雄のドーダは、明治・大正・昭和と続いた日本近代が必然的に生み出したドーダ」であると考えるようになったが故に、小林秀雄にこだわるのだという。その根拠が人口学なのである。「ユース・バルジ」(総男性人口に占める15歳から29歳の比率が30%を超えること。バルジは bulge で膨らみ。ハインゾーンという人口学者が提起した概念)ということに鹿島氏は非常に固執する。人口学ではユース・バルジとなった社会は革命や戦争の危機に見舞われると考える。小林秀雄が生まれた1902年を挟む前後3年は出生率が高く、その世代が成長した1930年代に社会的混乱が頂点に達したのではないか、満州事変から2・26を経て太平洋戦争に至る日本の危機はそれに関係してると鹿島氏は主張する。その世代を代表する小林秀雄(のドーダ)を見れば日本近代史の謎が解けるのだ、と。
 鹿島氏は1949年生まれであるから戦後のベビーブームの世代であり、小林秀雄から45年遅れたユース・バルジ世代ということになる(1947年生まれわたくしもまた当然、ユース・バルジである)。だから小林秀雄世代をユース・バルジとして論じることは、鹿島氏自身の問題をもまた考えることであることになる。鹿島氏は若い頃、学生運動にかかわったことがあるらしい。なぜそのような行動をしたかを考える鍵として鹿島氏にはユース・バルジという概念はとても重要なものと思えるのであろう。2・26事件やわれわれの世代の学生運動をユース・バルジという視点から見ると、視界がひらけてくるということはあるかもしれない。しかし小林秀雄という個人、あるいは鹿島氏自身を考えていくためにユース・バルジという概念を持ち出すのは、あまり切れ味のいいものになるとは思えない。あくまでもそれはマスを分析するための手段であって、個々人に適応するものではないように、わたくしには感じられる。
 橋本治は「小林秀雄の恵み」で「私は別に、小林秀雄がなにものであるかというこへの関心はないんです。あるんだとしたら、‟小林秀雄を必要とした日本人”とはなにものだったのかということへの関心があるだけです」ということをいっている。この視点のほうがずっと生産性が高いのではないかと思う。
 

小林秀雄の恵み (新潮文庫)

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