橋本治「知性の顚覆」(1)

 
 今年1月で70歳となって、だんだん根気がなくなってきたというか、同じ本を延々と論じていく気力が乏しくなり、感想を書きかけで中断してしまっているものが増えてきている。 ある本を読んでいると何か以前読んだ本とのかかわりがあるように思えてきて興味がそちらに移ってしまうということは以前からしばしばある。そうであるなら、それを逆手にとって、あることを書き続けるのではなく、いろいろな話題を行ったり来たりして書いていくというやり方もあるかなと思い、それをためしてみようかと思う。それで「本棚往還」というカテゴリーをつくってみた。
 とりあえず橋本治さんの近著「知性の顚覆」から。
 というのは、その本では「ヤンキー」という言葉が一つのキーワードとなっているからで、その「ヤンキー」という言葉から、感想が書きかけで中断している鹿島茂さんの「ドーダの人 小林秀雄」とか、斉藤環さんの「世界が土曜の夜の夢なら」がすぐに思い浮かんでくるからである。鹿島さんの本でも「ヤンキー」が大きな主題の一つとなっていたし、斉藤さんの本は「ヤンキーと精神分析」が副題である。
 この治さんの本で「ヤンキー」とは「経験値だけで物事を判断する人達」とされている。それでは「ヤンキー」の対極にあるひととは? 「大学出」なのだそうである。
 わたくしは自分を「ヤンキーの対極にあるひと」であると思っているので、そうなら当然「大学出」ということになるわけで、それは事実なのだが、治さんの定義の対偶?をとれば、「書物の知識だけで物事を判断するひと」ともなるわけである。
 だが、一方で「知識人」とかいう言葉もあって、わたくしからみると「知識人」といわれる人の何よりの特徴は「エラソー」なことである。そして「ヤンキー」もどこか「エラソー」ではあるから、その観点からみれば、「知識人」と「ヤンキー」を一つにくくることもできる。では「知識人」「ヤンキー」連合の反対にあるものはといえば、当然に「自信がないひと」である。
 自分が「自信がないひと」であるということなら、自信をもってそういえる。なぜならわたくしよりも頭のいいひとはゴマンといることを身にしみて知っているし、「経験値」という観点からすると、自分は人生での実地の経験がほとんどゼロに等しいブッキッシュな人間であることをよくわかっているからである。
 わたくしが高校のころ、周囲に「エラソー」なひとは少しはいて、ランボーなどの言葉をつぶやいているのであった(というようなことから、当然すぐに鹿島さんの「ドーダの人 小林秀雄」が頭に浮かんでくる。かれらがたぶん、小林秀雄ランボーを読んでいたのであろう)。大学にはいると、相変わらず周囲には「エラソー」なひとがいた。彼らはマルクスの言葉をつぶやいていたのであった、といいたいところなのだが、そういうことは全然なくて、「佐世保でのエンタープライズ入港反対運動で、機動隊に追いかけられて怪我をした」というようなことを語るのだった。
 
 さて、わたくしが橋本治さんの本をはじめて読んだのは、「宗教なんかこわくない!」で、これは地下鉄サリン事件をきっかけに書かれたものだから、おそらく1995年である。わたくしはその時38歳で、35歳で学位論文を書いて、大学医局をでて市中の臨床病院に就職して3年目くらいであった。
 橋本治の名前は、例の東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」からもちろん知っていた。その後「桃尻娘」といった小説を書いているのも知っていたし、「桃尻語訳 枕草紙」などというへんてこなものを書いているのも知っていたが、一度ポスターであてただけの虚名を利用してくだらないものをあれこれ書き続けている、つまらん軽薄な奴と勝手に決め込んでいた。
 それなのになぜ「宗教なんかこわくない!」を読んでみることにしたのか? その当時オウム真理教の村井なんとかとか上祐あれこれとかいうひとがテレビにでてきて、オウム真理教って胡散臭いのではないかと追求するひとに、これは「宗教活動でございまして云々」と弁舌爽やかでもありぺらぺらへらへらでもありまた滔々でもあるような口調で述べたりしていて、そして追求するほうも宗教といわれると腰砕けになるというか退散してしまうというか、何か宗教というものに遠慮というか引け目というかをもっている感じが濃厚で、それをみていて変だなと思っていたことがあったからではないかと思う。みんな、宗教がこわいのだろうか? それで「宗教なんかこわくない!」というタイトルにひかれたのかもしれない。
 多くのひとがもつ宗教への引け目のようなものは、医者になってから割合とすぐから感じていた。たとえば患者さんの病気が悪化して死がすぐ先ににみえるような状況になり患者さんが精神的に不安定になると、医療者の多くはそれはもはや医療の範疇ではなく、それに対応できるのは宗教しかないと考えているとしか思えないような言動を目撃することがしばしばあったからである。あるいはそういう状況に精神科の医者の往診を頼んでいるものもいた。何か宗教というのが霊験あらたかなもので人間の悩みとか苦悩とかいったものを解決できる唯一の力をもっているものであるとでもいうような感じであった。どう考えてもおかしい、そういう感じをもっていたところにおきたオウム真理教事件橋本治の造語?)であったので、こういうタイトルの本を見て手にとってみる気になったのであろう。
 読んでみたら、とんでもない本で、のっけから「宗教とはなにか? この現代に生き残っている過去である」とか、「私にとって“オウム真理教事件”とは、“遅れて来た田中角栄信仰とオタク予備軍のしでかしたバブル末期の犯罪”である」とか、「ある程度以上の教養と学歴を持つ人間達はそこ(オウム真理教のおこした事件)に“宗教”という謎を発見してしまうのだ。最大の謎とは、こんな“宗教”などという時代遅れのものが平気で登場して、それを「時代遅れ」と言い切ることが出来ない、日本の学卒連中の歴史認識の甘さだろう」などというのがあって仰天した。
 すでにしてここに「大学出」批判があるわけであるが、初読の印象は非常にユニークな丸山真男の変奏というものであった。「はっきりしているのは、「日本人に一番必要なものは“宗教”ではなく、“自分の頭でものを考える”という習性である」ということだ」とか、「“自分の頭で考えられるようになること”ー日本に近代化の必要が叫ばれるようになってから、日本人に終始一貫求められているものは、これである。これだけが求められていて、これだけが達成されていなくて、これだけが理解されていない」などとあったからである。
 さてここで「ヤンキー」に戻る。ヤンキーが「経験値だけで物事を判断する人達」であるとすれば、ヤンキーもまた「自分の頭でものを考えている」のではないだろうか? 鹿島茂さんの「ドーダの人、小林秀雄」は小林秀雄は「ヤンキー」であるということを一つの主題にしているのだが、その例として、たとえば小林秀雄のインテリ嫌いということがある。河上徹太郎小林秀雄の分岐点を河上徹太郎はインテリ路線を最終的に選んだが、小林秀雄はそうではなかった(それゆえに小林秀雄は人気があるが、河上徹太郎はそうではない)ということを指摘している。河上徹太郎に預けられた若き日の英国帰りの吉田健一などは、小林秀雄からみればインテリそのもの(あるいはインテリの卵)であったはずで、だから、「おやめなせー。健坊には全然みどころはないぜ」、ということになったのであろう。もっとも小林秀雄にしてもヤンキー一点張り(「女は俺の成熟する場所だった」 宮本武蔵五輪書」、「我事において後悔せず」。「僕は無知だから反省なぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいぢゃないか」)ではなく、当然インテリの部分もあるわけで、わたくしから見ると小林秀雄ベルグソン論「感想」は小林秀雄がインテリ路線を試みた最後の頑張りで、それに挫折していきなり「本居宣長」に先祖返りしてしまったということなのではないかと思う。「不確定性原理」から「桜の花」へ。「学卒」から「ヤンキー」へ?
 「知性の顚覆」という本が書かれるきっかけは、治さんがある雑誌の編集者と話をしていて「ヤンキーに本読ませなきゃだめだよ」と言ったところ、その編集者が「そのことを書いて! 論じて!」といったことなのだという。橋本治自身が自認しているように、この本がヤンキーが読めるように書かれているわけではない。橋本氏にいわせれば「ヤンキー」とは「勉強が嫌いな人達」である(勉強が出来ない人達」ではない、と)。橋本氏は「勉強が出来ない子」ではなかったが、「勉強は嫌いだった。」 それが二十歳になって勉強が好きになった、のだという。橋本氏の定義から、本書では「ヤンキー」ということが「反知性主義」と結びついていくことになる。
 本書の構成はかなり奇妙なものとなっていて、第1章から第5章までは橋本氏と「知」とのかかわり、あるいは橋本氏の「知」の形成、が論じられているのだが、それが第6章からは、いきなりイギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生に話題が広がって本が終わるというものになっている。
 本書の肝、あるいは橋本氏の肝は、「でも、大学に入って、江戸時代末期の都市文化の考え方を知って、共鳴するものを感じた」という部分にある。「「そうか、近代をなくして、江戸時代と自分の生きてる現代を直結させれば、歴史的な自分の正当性は説明できるな」と思った」ということである。
 日本の学問の体系は、明治以降の西欧から輸入した学問に依拠しているのであるから、「近代をなくして」などというのは無茶である。学問自体がなくなってしまう。ではあるが、その目でみれば、「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」だって「近代をなくして、江戸時代と自分の生きてる現代を直結させ」ているのかもしれない。
 この駒場祭のポスターが書かれたのはまさに大学闘争の時代である。そして大学闘争というのが「ヤンキー」たちによる「反知性」の運動だった(あるいは少なくともその側面を持つ運動だった)可能性を持つというような批評性を、あのポスターはもっていたはずなのである。大学闘争にかかわったひとたちの多くが東映やくざ映画のファンであったというのは有名な話で、あのポスターは東映やくざ映画的なものを色濃く感じさせることはいうまでもない。
 「完本 チャンバラ時代劇講座」などという本を書く治さんは、チャンバラ時代劇に大衆化した歌舞伎の継承をみているのであろうし、東映やくざ映画はチャンバラ時代劇の末裔なのであろう。とすれば、歌舞伎もチャンバラ時代劇も東映やくざ映画もヤンキーの系譜なのかもしれないわけである。
 内田樹さんが高橋源一郎ジョン・レノン対火星人」の解説でこんなことをいっている。
「「過激派」である私たちは「政治活動のアマチュア」であった。というか、「政治活動のプロ」(既成政党)を全否定することに「過激派」の本義はあった・・・たぶん、私たちは「過激に生きるか凡庸に生きるか」の二者択一が自分たちにはつきつけられており、誰もそれを避けることができないと思い込んでいたのだろう。・・・私たちは即答することを強いられていた。そして困ったことに、「逡巡せず即答すること」はすでにして「過激派」におけるもっとも評価の高い「徳目」だったのである。「過激派」の諸君の中には多くの魅力的な人々がいたけれども、「ものごとを熟慮し、決断をためらう人間」だけはいなかった。もっとも冷静な戦略家でさえも、「やるしかねえよ」というようなパセティックな言葉で長い議論にけりをつけることを厭わなかった。
 鹿島氏の「ドーダの人、小林秀雄」の「ヤンキー小林秀雄」の章では、「ヤンキー」の定義の一つに「「気合いを入れ」て、判断力ではなく熱い感性に基づいて決断下すこと(こういうことを「アゲる」というのだそうである)を評価する」というのがある。
 この「知性の顚覆」の第2章は「大学を考える」であり、その最初の項は「「大学解体」が言われた昔」である。そして第4章「知の中央集権」の第2項は「「東京の山の手」とは?」であり、大学闘争とか東京対地方という問題が意識されている。ということになるとどうしても想起されるてくのが、庄司薫「赤頭巾ちゃん 気をつけて」ということになる。
 これは東大闘争で東大の入試がなしになった年にそれに呼応して書かれたもので、なにしろそこでいわれていることは「逃げて逃げて逃げまくる方法」であり、何か問題にであったらまず逃げること、逃げて大丈夫なら大した問題ではないということである。「逡巡せず即答すること」の正反対である。即答してしまうと「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死」することになってしまう。薫くんの友達の小林君がいう。「いまや・・中島みたいなやつの時代らしいんだよ。つまり田舎から東京に出てきて、いろんなことにことごとくびっくりして深刻に悩んで、おれたちに対する被害妄想でノイローゼになって、そしてあれこれ暴れては挫折し暴れては失敗し、そして東京というか現代文明の病弊のなかで傷ついた純粋な魂の孤独なうめき声かなんかあげるんだ」 東京対田舎である。大学闘争とは地方出身者によって担われたものだったのだろうか?
 つい最近とりあげた小説家の山川方夫氏について、曾野綾子さんが次のように言っていたことをこの前、紹介した。「東京人は、深刻になることを好まないのです。」
 
 というようなことはすべて前書きで、これから「近代の顚覆」をみていくことにしたい。
 
 

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

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小林秀雄全作品〈別巻1〉感想(上)

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本居宣長 (1977年)

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完本チャンバラ時代劇講座

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ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

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赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

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山川方夫全集〈第2巻〉小説 (1969年)

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