今日入手した本

小林秀雄全作品〈別巻1〉感想(上)

小林秀雄全作品〈別巻1〉感想(上)

 未完のベルグソン論である「感想」は本人の遺志により刊行を禁じられていて入手できないものとばかり思っていたら、そうではなくなっていることを最近知って、それで入手したみた。ちらちらみてびっくりしたのは、小林氏がものすごく一所懸命に量子論だとか進化論だとかを勉強していることである。なんだか可哀相な感じがする。この時期の小林氏はニュー・サイエンスの路線に相当近づいていたのではないだろうか? 中断した理由は「無学を乗りきることが出来なかった」ということだが、量子力学に素人が近づくと大抵大やけどをする。それに気づいたのが未完となった原因かもしれない。このあとがいきなり「本居宣長」である。量子力学から「やまとごころ」へ。その落差の大きさというのは何なのだろう。
 
グラン・モーヌ―ある青年の愛と冒険 (大人の本棚)

グラン・モーヌ―ある青年の愛と冒険 (大人の本棚)

 「モーヌの大将」として、篠沢秀夫氏の「フランス文学講義3」で熱をこめて紹介されていた。偶然本屋でみつけた。
 
考える人 2010年 05月号 [雑誌]

考える人 2010年 05月号 [雑誌]

 特集「はじめて読む聖書」である。わたくしは「聖書」を読まないまま一生終わるのだろうが、ここでの橋本治のインターヴューが秀逸。「聖書はちゃんと読んだことがないんです。読もうとしていつも挫折する(笑)」 いいなあ。わたくしも同じ(笑)。「私にとってのユダヤ教というか旧約聖書のわからなさは、マルクスの『資本論』を読んだときのわからなさと同じだろうと思います。『資本論』読んでないけどね(笑)。」 いいなあ。わたくしも同じ。聖書も資本論もキャノンなのである。知識人としては読んでいなくても読んだふりをしなければいけない本(@丸谷才一)なのである。こんなこと橋本さん言ってしまっていいのだろうか? まあ、橋本氏はどう考えても知識人の規格からはずれるひとだけど。「日本にも旧約聖書的なものはあったと思います。律令というのが旧約聖書的なものだったと思う。」 うーん、すごい発想。これだけで一冊本が書けそう。辺境がどうたらより何倍か射程が広そう。「ユダヤ教のタルムードもそうだけど、宗教というのは心だけに対応するものじゃなくて、人の暮らしのあり方全体に対応するものだと思うんです。キリスト教は、生活と切り離されて心の問題になりすぎてしまったとところがあると思うんですね。」 ほんとうにその通り。「心の問題ってなんか重苦しいでしょ(笑)。宗教っていうものをもうちょっと気楽に考えたほうがいいと思う。」 同感至極。この橋本氏のインターヴューは、この特集全体に「水をかける」(@山本七平)ものとなっていると思う。なぜか宗教を論じ出すとみな堅苦しく真面目で、鎧甲をきているみたいになってしまうのである。最初の田川健三氏のインタヴューなどその典型。「神なんぞ存在しないと言い切るほうがクリスチャンらしいじゃないですか」などと、なんといやらしい言葉! 本当にいやな奴だと思う。知識人の腐臭というのはこういうのをいうのだろうと思う。
 
倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】

倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】

【シムノン本格小説選】マンハッタンの哀愁

【シムノン本格小説選】マンハッタンの哀愁

 おまけ。シムノンの本は読んで損はしないと思っている。後者の題名は映画みたいだが、事実映画化されたときの題で、原題は「マンハッタンの三つの部屋」というものらしい。