今日入手した本

TALK 橋本治対談集

TALK 橋本治対談集

 まだ一部しか見ていないけれど茂木健一郎氏との対談「「小林秀雄」とはなにものだったのか」がとても面白い。茂木さんというひとはどうもねと思っていたのだが、なかなかそうでもないのかもしれない。茂木「今おっしゃった「唐意」というのは、小林秀雄にとっては、「西洋近代」ということですね。」 茂木「西洋近代の知性をイヤだなあと思う感覚って、まだないですね、日本の知識人の中には。」 茂木「サイエンスをやっていると、もう汚染されちゃっているというか、芯がすっかり西洋合理主義になっちゃっているから。」 橋本「やっぱし近代の知識人たる小林秀雄なんでしょうね。」 茂木「好悪を離れた大文字の「普遍」というやつをどうしても自分の生業にしてしまう。」 よくわかる。
 
精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

 きのう買ってきた「隣の病い」の解説で藤川洋子氏がこの「精神科医がものを書くとき」の斉藤環氏の解説についてふれていて、その解説を読みたくて買ってきた。斉藤氏のことはどうもなんだかねと思っていた。その本を読んだことがあるわけではなくて、東浩紀氏の「動物化するポストモダン」に斉藤氏の「戦闘美少女の精神分析」というのが紹介されていて、それでなんだかなと思ったのである。こういう方面には偏見がある。まだ偏見は消えないのだが、それでもこの解説では響くことばがあった。「中井先生の最大の功績のひとつは、わが国の精神医療を「カルト化」から守ったということではないか」「確かに、いまや精神医学は、おもてむきは生物学的精神医学によって覆いつくされたかに見えます。しかしそれは建前の話です。・・多くの精神科医が、生物学的なタテマエのウラで、ひそかに精神療法を学んでいます。」 上で茂木氏が西洋合理主義といっているものが、ここでの生物学的精神医学である。精神療法は小林秀雄? 本居宣長? 中井氏がときにオカルトすれすれのところまでいくようにみえるのも、わが国の精神医療を「カルト化」から守るためなのだろうか?