中井久夫&丹生谷貴志「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」in 「統合失調症 1」&「吉田健一頌」

   みすず書房 2010年2月&書肆風の薔薇 1990年
 
 わたくしが中井氏の名前をはじめて知ったのがいつのことだったか覚えていないが、おそらく丹生谷貴志氏の吉田健一論「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」を読んだときではないかと思う。1990年に刊行された「吉田健一頌」という本の一篇として収載されていた(丹生谷氏の名前を知ったのもこの本でだったように思う)。この奇妙なタイトルは中井氏という精神科医分裂病論の題名に由来することが紹介されていた。
 この中井氏の論は精神分裂病(「統合失調症 1」では統合失調症とあらためられているが、初出の「分裂病の精神病理8」では分裂病であり、丹生谷氏の論でも分裂病あるいは精神分裂病となっているので、以下出典にしたがう)発症直前に(通常はごく短期間)あらわれることのある「偽りの静穏期」について論じたものである。丹生谷氏の論を読んで以来興味をもっていたのだが、たまたま最近中井氏の過去の論文を集めた本が出版されそこに収められていたので読んでみた。
 これはもうまったく臨床的な論文で、その時期に介入することにより、場合によっては病気の発症を防ぐことができるのではないか(しかし介入がかえって発症を促進させることもありうる)ということを論じている(巧みに下山させる)。この「偽りの静穏期」では、「余裕の時期」「無理の時期」「焦慮の時期「発病期臨界期」と次第に進行してきた病状(妄想、焦りなど)が唐突に収まるので、一見、治ったようにみえる時期なのだそうである。そして何とかこの時期で発症をくいとめることができ、仕事を続けることができた人として、リルケマラルメ、ヴットゲンシュタイン、ヴェーバーカントールなどの名前があがっている。カントールは後に発病したが。
 丹生谷氏の論は、吉田健一氏が晩年えがいた世界が、この中井氏による「偽りの静穏期」に対応するのではないかということを主張する。丹生谷氏も確認しているように、吉田氏は決して神経症的、精神分裂病的な思考者ではなかった。丹生谷氏がいわんとするのは、近代という時代が人に何らか精神症状の発症を強いるような時代なのであり、吉田氏はそれに対する一つの対抗のための処方箋を示したということである。丹生谷氏のいいかたによれば、「神経症精神分裂病準備者とは《近代−世紀末》のこと」である。
 ここに丹生谷氏はラフォルグとヴァレリーという補助線を引く。《近代−世紀末》の病理に浸されて生きたラフォルグと《近代−世紀末》の病理の臨床報告をした思考者のヴァレリー。おそらく吉田氏はそのスタートにおいてラフォルグやヴァレリーの翻訳者として知られたのであろう(ヴァレリー「レオナルド・ダヴィンチの方法序説」やラフォルグ「ハムレット異聞」)。「これ(ラフォルグの短編集)を最初に読んだ時に経験したことはその後にも先にもないもので、こんなことを書いた人もゐたのかと思ふよりも前世か何かで自分が書いたことをそれまで忘れてゐた感じだつた。」(「書架記」) 「併し考へるといふことが生きることの一つの形式、或は生きることが呈する一つの面であることは「ヴァリエテ」から教はつた。もしこの本を知らずにベルグソンだけを読んでゐたならばそこで考へが見事な具合に展開して行くのに打たれるばかりでそれが我々が生きてゐる人間であることとどう繋るものか遂に解らずにゐたかと思はれる。」(「同」)
 吉田氏によれば近代とはあらゆる価値が対等となり、様々な価値の間に優劣がなくなる時代である。これは科学の研究を例にとるとわかりやすい。中井久夫氏が「精神科医がものを書くとき」で挙げている例を利用すれば、「オサムシの触角にしか生えないカビの研究」と「理論物理学の研究」の間になんらの優劣もないのである。どちらも限りない深さをもち、ひとの一生をかけるに値する。(クーンのいうノーマル・サイエンス?) あるいはひとの一生をかけるのに値するのは、それがする仕事あるいはそれが作る作品だけということでもある。だからリラダンの「生活? そんなものは召使いにさせておけばいい」という言葉がでてくるのであり、フロベールの作品群が生まれることにもなる。あるいはヴェレリーの描くテスト氏、さらにはダ・ヴィンチ。そこでは生きること自体には意味はない。なにかを成しとげることだけに意味があり、それなら何をしなければいけないのかといってもそれを決める指標もどこにもない、そういう時代である。
 吉田氏によればヨーロッパにおいてその閉塞を打ち破ったのが二つの世界大戦である。そこでひとが大量に無残に死んでいったことが近代を覆っていた観念を打ちこわしたとするのである(日本は第一次世界大戦をほとんど無傷で乗りこえてしまったので、日本の現代は太平洋戦争から後なのかもしれない。この辺りが吉田氏の論の微妙なところで、氏は若い時にラフォルグに心酔する近代の人であった自分を肯定するのだが、敗戦後においてもまた近代の人であり続けている能天気なひとには烈しく苛立つのである。とすると吉田の生の軌跡はそのまま肯定されてしまう)。
 吉田氏によれば近代とは病気なのである。現代は健康なのである。しかし現代は近代から生まれたのであるから、その健康はつねに近代という「病気」に侵される危険の上にあやうく成立している。丹生谷氏のいう「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」というのは「現代」のあやうい健康のことなのである。「吉田健一は近代の狂気の内部において近代を生き抜くことの中で近代から「寛解」してゆく、そういう試み、或は意思そのものだった。・・・吉田健一は決定的に《近代》或は《世紀末》であることからその仕事を始めた。それが戦争を境に《近代》或は《世紀末》の崩壊を認め、そこからの《寛解》を主張する地平へと、「転向」するのである。」 そして丹生谷氏は治癒に近いイメージである寛解よりも「いつわりの静謐期」のほうが語としてより適切であろう、とする。
 吉田氏を英国紳士の系列に属する訳知りの大人、あるいは通人であるとするような見解への異議申し立てとして丹生谷氏の論はある。「訳知り大人」論の代表は篠田一士氏であろうか? さらに高橋英夫氏や富士川義之氏。清水徹氏も? 丸谷才一氏などもその系列に連なるのだろうと思う。ヨーロッパの文学の正統を身をもって知っている文学者、自然主義私小説といった文学の正統とは縁もゆかりもないものを奉って喜んでいる貧相な青年たちを嗤うことのできる大人。「日本文学の形勢は大きく改まつた。・・(石川淳吉田健一文芸時評は)今日われわれが大正文学の名残りのなかに生きてゐるのではないといふ認識の、彼らなりの表明なのである。」(丸谷才一「雁のたより」) あるいは倉橋由美子氏の吉田健一観もその系列であろう。「一般に、作家を主人公にした小説というのは困ったもので、とくにそれが一人称で書かれたりすると、作家の内面の苦悩だとか、いやにデリケートな感情の描写とか、現代に対する強迫神経症的な反応といったものと延々と付き合わされることになり、これは私のもっとも苦手とするものです。」「これが吉田健一の特徴で、文学といえば深刻になって人間の暗部を露出して見せたり、悲惨なものを描いて告発したりするもの、といった固定観念とはまるで縁のないところでこの人の文学は成り立っています。」(「偏愛文学館」) 要するに、日本文学のほとんどあるいは西洋での浪漫派の文学のほとんどは病人の病気自慢(自分が病気になったのは、自分が人一倍感受性が鋭いからで、世間一般の奴らが健康でいられるのは奴らが鈍いからだという論理)ということであり、病気なんか自慢せずに早く治せよ、というのが倉橋氏のいいたいことである。それで、健康な吉田氏と病気をボデービルで克服した三島由紀夫氏を師匠と仰いでいたのだが、健康になったと思っていた三島氏が実は不治の病におかされていたことを知って、吉田氏一本でいくことにしたというのが倉橋氏の軌跡なのであろうと思う。
 それに対して、吉田健一はそんなに健康人ではなかったのだぞというのが丹生谷氏のいおうとするところである。多くのひとがそうであるのかも知れないが、晩年の吉田氏の本にはなにか「普通でない」ものがあるようにわたくしも感じていた。丹生谷氏は「自己説得」という言葉を使っている。晩年のあれだけ膨大な量の執筆は、書きつづけることでしか自分の言説を自分でも信じることができないとでもいうような何か切迫したものが背景にあったのではないかと思う。そのように感じていたので、この丹生谷氏の論をはじめて読んだとき、自分の中でうまく表現できないでいた何かをはじめて説得的に示してくれたものと感じた。
 丹生谷氏にはもう一つ「獣としての人間」という「吉田健一集成5」の月報に書かれた文章もあり、これにも感嘆した。大分以前、吉田健一を肴にして医療を考えることをしてみたことがあり、そのときに吉田健一のキーワードであると思ったのが「動物としての人間」ということであった。「動物としての」というのは「精神ぬきの」というようなことで、もう一つのキーワードが「アンチ=キリストとしての吉田健一」というものだったが、これも同じことで人間を特別な存在とみることの否定である。わたくしは吉田氏のことを反観念論の極北にいるひとと思っている。医療の世界には感傷がつきまとう要素が多々あり、なんとか、感傷を排して医療というものを考えられないものだろうかというのが、今にして思えば、そのときに考えたことだったように思う。感傷は観念論と同根であるとわたくしは思っている。
 それでわからないのが、丹生谷氏のような吉田健一観というのは実は誰でも感じることであるのだが、そんなことはいうだけ野暮であるので、ほとんどのひとは口にはしないだけということなのだろうかということである。最近読んだ本の中で、福田和也氏が、吉田健一を称揚する連中はビンボーくさい奴らばかりなのでイヤだ、ということを言っている。その「ビンボたれ」の中にヨモタイヌヒコという名前もでてくる。四方田氏は「吉田健一頌」の共著者の一人である。丹生谷氏のような見方は、誰でもわかることを自分がさも発見したように言いつのる心底がビンボーなひとのものなのだろうか?
 丹生谷氏はドゥルーズ学者である。ドゥルーズというひとが何をいいたいのひとなのかわたくしにはさっぱり理解できないが(というほど読んでもいないが)、この丹生谷氏の論を読むとやはり何ほどかのひとなのではないかという気がする。吉田健一を解く鍵の一つがヒュームであるような気が以前からしているのだが、哲学が苦手でヒュームが読めないままでいる。ドゥルーズは若いときにヒュームを論じることから出発したひとらしいし、存外、吉田健一ドゥルーズという縁もゆかりもなく、気質も正反対にみえるひとたちがどこなでつながっていないこともないような気もする。
 福田氏のいいかたを借りれば、ドゥルーズはたしかにビンボーくさいかもしれない。それに較べれば吉田氏は大人なのかもしれない。しかし吉田氏には同時にとても子供っぽいところあるいは幼児的な部分があることも確かだと思われるので、ビンボー人対大人というよりも西洋対東洋のほうがいいかもしれない。東洋にくらべれば西洋のほうがビンボーったらしいというだけのことかもしれない。「吉田健一を称揚する連中はビンボーくさい奴らばかり」というのは「吉田健一を称揚する奴らはみんな西洋かぶればかり」ということなのかもしれない。
 吉田健一が西洋かぶれであったのかどうかということはとても微妙な問題で、イエスでもありノーでもあるというところなのではないかだろうか。吉田氏は漢詩などを別にすれば日本の古典についてはほとんど関心をもっていなかったように思われる。支邦趣味のアングロマニアという吉田茂の貴族趣味をどこかで受け継いでいたであろう健一氏は、大陸の観念論哲学の系譜と闘ったのであろう。構造主義だとかの戦後フランス哲学はヘーゲルを密輸入したりしていてドイツ観念論の野暮ったさをひきづっている。イギリスの哲学も一時期はヘーゲル哲学に席捲されていたらしい。
 ヴァレリーというひとは不思議な人でフランスの思想界での位置づけがほとんどできない孤立した存在であるように思える。ヴァレリーは「方法的制覇」を書いたひとでドイツ的なものを文明に敵対する野蛮なものとみていたのであろう。「文明は人智が或る段階以上に達して始めて現れるものと考へられて、この文明の状態は我々が人を人と思ふといふことに尽きる」と吉田氏はいうのであるが(「ヨオロツパの世紀末」)、同時に「前よりも後に来たものの方ががそれ自体優れてゐるといふ進歩の観念が科学の世界にだけ的確に当て嵌まる」(「同」)こともみとめるひとである。西洋は科学の力によって世界を制覇したのだが、それは科学によってであり決して文明によってではなかった。科学は人を人とも思わないことで成りたつものなのかもしれない。そして「人を人と思ふ」ことは容易に感傷へとつながってもいく。科学が席捲する世界の中で、人を人と思いながら、感傷に陥ることなく生きる、その危ういバランスが「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」を生むのかもしれない。
 中井氏の論文は予想していたのとは異なり、まったく臨床に徹した分裂病(発症直前)のある短い時期が示す病像の描くことを企図したものであった。ぎりぎりひきかえせるかもしれない、発症にいたらずにすむかもしれない時期、そこでの介入の成否が患者の一生を決めてしまうかもしれないクリティカルな時期、しかし安易な介入はかえって発症を促進してしまうかもしれない難しい時期、それを提示したものであった。丹生谷氏がなぜこのような専門的な論文に目にしていたのか? それが不思議である。精神科医の計見一雄氏も「脳と人間」の中で、吉田氏の「時間」の出だしからの文を引いて、「普通の暮らしの中で、これと同じような時間があればいいなと思う。日常がそういう時間で満たされたら至福の生涯といえるだろう。そういう幸福はどんな体験かと言えば、子供が夢中になって遊んでいる時、芸術家が創造に打ち込んでいる時、友達同士が話し込んで、夜の更けるのも忘れて気がついたら空が白みかけていたという時。自然とともにいる時。希有ではあるが、全然ないわけではないこれらの「時が経つのを忘れる」時間がそれにあたる。そういう時間がたまにあるから、この世は捨てたものでもないのであろう」といっている。吉田氏の晩年の著作はそのような精神の平静の探求であったのであろう。氏がそれを必要としたのは、氏が若い時から焦燥と焦慮の時間を生きてきたからなのであろう。その焦燥と焦慮を吉田氏は「近代」とよび、精神の平静を「現代」と呼ぶ。精神の平静の問題が精神科医の関心をひかないはずはない。それで吉田氏の著作が精神科医と呼応することになるのかもしれない。そういえばデゥルーズといくつかの共著を書いたガタリ精神科医であったような気がする。
 

天皇と倒錯―現代文学と共同体

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