(21)死の影

 戦後の日本は死の影が差さなくなった国で・・・

 「日本に就て」におさめられた「命が惜しいことについて」から。
 この「日本に就て」は最初昭和32年(1957年)に講談社から刊行され、昭和49年(1974年)に一部内容を変更して講談社から刊行されている。わたくしが引用しているのはちくま学芸文庫版(2011年刊)であり、後述するように解説は政治学者の苅部直氏が書いている。
 この「日本に就て」は「或る田舎町の魅力」といったいかにも吉田氏らしい随筆(これは八高線の児玉という町について書いているのだが、他の吉田氏の随筆と同様にいかにももっともらしく書かれてはいるが、相当に法螺話もまじっているらしく、この児玉という町の実在そのものも実は怪しいと思うひとさえいるようである。このエッセイに魅せられて児玉という町にいこうと思ったが結局いきつけなかったという誰かのエッセイも読んだことがあるような気がする)も収められてはいるが、どちらかというとそのような日本の風土を語ったものは例外で、日本の戦後政治を論じているものが多い。だから政治学者の苅部氏が解説を書くということになったのであろう。昨年末、雑誌「考える人」の苅部氏の連載エッセイで吉田氏がとりあげられているのを読んで、なんで政治学者の苅部氏が文士の吉田健一を論じているのかと思ったのだが、苅部氏は相当吉田氏の本を読み込んでいるひとであるらしいことが本書の解説でわかった。
 さて、この「命が惜しいことについて」からもう少し引用を続けてみる。「命を惜しむなと言われても、肝腎な時には我々の本能がそうはさせないから、まだしもこれは表面だけのことで食い止めて置ける。併し、・・人間にとって本能に盲従しなければならないの程苦痛なことはない。」「我々が天然の寿命を全うすることを確実に保証する国があったら、それは独裁主義の国家であり、そんなところに生きていられるものではない。」「人間の命が尊いのは我々がそれを惜み、それがいつまでも続くことを望むからではなくて、それが何れは終り、又、いつ終るか解らないからである。そして又、それが続いている間、その命によってなし得ることの為でもある。」「科学の世界にあるものは物質であって、生物も物質であり、生物が死んだその残骸も物質であるから、死は一つの物質が別のものに変る過程であって、従って科学の世界に死というものはない。」
 こういう文を読むと、医療を仕事にしている人間としてはいろいろと考えてしまう。もう50年近く前、医学の勉強をはじめたときに感じた強烈な違和感を思い出す。それは、医学とは死体学ではないか!というような感じだった。吉田氏の言い方では「科学の世界に死というものはない」ということになるわけだが、「科学の世界に死がない」のであれば、生もまたないわけである。今から思うと、まず最初に解剖学とか生理学(これは神経シナプスの電顕写真ばかり見せられた)、薬理学(これは同じく筋肉の電顕写真ばかり)などというところからはじまるのがいけなかったのかもしれないが、電顕写真のどこにも生はないのである。
 人間が人間たる由縁は血が沸いたり肉が踊ったりすることが時にある点にもあるように思うが、何が書いてあるのかはさっぱりわからないが性欲過剰であることだけはよくわかると三島由紀夫がいったタテ看(というのが今の若いひとにわかるだろうか?)の乱立していたキャンパスで、医学の授業はまるで別世界の異様に無機的で干からびたものであるように思えた。
 吉田健一が「日ざかり」という題で訳した第二次大戦中のロンドンを舞台にしたボーエンの小説「THe Heat of the Day」を「あの日の熱気」と訳しているひとがいた。戦いの日々は人を発熱させるのかもしれない。確かにあのタテ看とアジ演説の日々の熱気をクールダウンさせないうちに、とりあえずは科学の末端にかろうじてつながってはいる医学の勉強をはじめてしまったのは賢明なことではなかったなと思う。といっても今更仕方がないのだが。
 「戦後の日本は死の影が差さなくなった国」であるのかもしれないが、医学の世界にも不思議と死の影は差していないのである。
 ところでまた元号がかわるらしい。わたくしは昭和の子であるから昭和何年というのは比較的ピンとくるのだが(それでも昭和60年以降はあやしくなるが)、平成というのはどうにも実感をともなわない。この何年かはわたくしの中では平成ではなく21世紀である。20世紀という二つの大きな戦争と共産主義国家と称するものが地上に現実の存在としてあった世紀の後の21世紀である。まだ21世紀は20世紀にくらべれば大きなことがおきずに経過してきているような気がする。しかし何だか近々地殻の変動がおきるというか20世紀を支配したいろいろな観念に対する揺り戻しあるいは異議申し立てがいろいろなところでおきてくるのではないかという気がしている。今までは20世紀の延長であり、これから本当の21世紀がはじまるのだろうか? おそらく20世紀は1914年に始まったのだろうと思う。それまでは19世紀の延長線の上にいた。21世紀も201?年に本当にはじまるのかもしれない。
 

日本に就て (ちくま学芸文庫)

日本に就て (ちくま学芸文庫)