野村進 「救急精神病棟」

  講談社 2003年10月1日 初版


 本屋で偶然、手にとった本であるが、ぱらぱらとみていたら千葉県精神科医療センタをあつかった本らしいので買ってきた。数年前に読んで面白かった「脳と人間」の著者である計見一雄氏がそのセンタ長であったような気がしたからである。「脳と人間」は「大人のための精神病理学」と副題されていて、現在のメンタルブームの中で本物かつ正統的な精神病理学を示したいといった動機から書いたとあるが、一切オカルト的な部分のないまっとうな精神病理学の本としてとても面白く勉強になる本であった。その本の中で、計見氏は相当多くのページを割いて、吉田健一氏の「時間」からの引用を示している。そこで吉田氏が示している<時間>こそが、精神疾患の患者が感じている<時間>の対極にあるもの、いわば<正気>であることそのものの描写であるというのである。
 さて、そのような計見氏の仕事、精神科救急というものがどんなものであるか(それは一部「脳と人間」にも描かれていたが)、それに興味をもって読んでみたのだが・・・。とにかく精神科救急というのはとんでもなく大変な仕事である。とてもわたくしにはできない。築いてはすぐ波にさらわれてしまう砂の城、その中でときに経験するわずかな成功例、それを支えにまた日々の仕事にむかっていく、とにかく大変な仕事である。
 しかし、ほとんどうまくいかなくて、時に少しだけうまくいくこともあるというのが、ほんの少し前までの医療の実態だったのであり、精神医療の現状というのは医療の底にあるもの、根っこにあるもを示してもいる。現在の医療がいささかの成功をおさめることが増えてきたからといって増長し傲慢になってはいけないということであり、また向精神薬の進歩と脳科学の進歩によって精神医学ももう少しの時間があれば、光がみえてくるかもしれないということでもある。
 精神科医療の中に日本の医療の問題点のほとんど全部がでてきていることが、本書を読めば否応なしわかる。その点で大変啓蒙的な本なのだが、どうもノンフィクションの書法というのが好きになれない。「季節はずれの花火の音に、窓を開けて見はるかすと、東京湾をはさんで対岸の東の空だけが、ぽっかりと明るい」などという書き出しは、無用の文学趣味であるとしか思えない。こういう描写はこそばゆくて仕方がない。そう思って手にとってやめてしまう人も多いのではないか? それともこういう書き方をしないとなかなか読んでもらえないのだろうか?