橋本治「浄瑠璃を読もう」(2)

 
 ここでは、その時々に読んだ本の感想というか、後々の参照のための内容のまとめのようなものを書いているのだが、この二ヶ月ほどは、片山杜秀氏の「未完のファシズム」が面白かったので、それとのかかわりで読んだ本が多くなってきている。
 なにしろ片山氏の論はとても鮮やかなのだが、鮮やか過ぎて本当だろうかと思えるようなところもあり、何より氏が論じている日露戦争から第二次世界大戦にいたる日本の歴史について自分があまりにも無知であることを痛感し、それで山室信一氏の「複合戦争と総力戦の断層」とか森山優氏の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」(これは感想が書きかけのまま。いづれ続けるつもり)などを読み、また橋本治氏が書いていた「二十世紀」という通史も思い出し、それを読み直したりしていた。
 それとはまったく別に、橋本治氏の「浄瑠璃を読もう」が出版されたので、それを読んだり、それへのある方のブログでの感想からのつながりで片山杜秀氏の「線量計と機関銃」を読んだりしている。「線量計と機関銃」は戦前日本の発想と戦後の原子力発電に傾斜した日本の行き方が同じ根の上にあるということを主張していて、「未完のファシズム」と多いにつながりがあるのだが、「浄瑠璃を読もう」はそういうものとはまったく別の本として読んでいた。しかし、「『菅原伝授手習鑑』と躍動する現実」の章を読んでいたら、以下のような驚くべき文章があった。
 『今となっては見過ごされたやすく忘れられてしまう「人形浄瑠璃を貫く価値観」というものがある。・・その最大のものは、「きっぱりと決断出来ない人間はだめだ」である。ぐずぐずしているのはバカで、人はきっぱりと決断すべき時にはさっさと決断していなければだめなのである。・・バカじゃ困るから賢くなれ―これを観客に言い続けるのが、江戸時代の人形浄瑠璃である。・・「明確な状況認識があれば、事態は必ず打開される」というのは幻想で、そうだったら、頭のいいサラリーマンは会社を変革出来ているのである。明確な状況判断があったって、事態は打開されない―これは封建的な江戸時代管理社会でも、現代管理社会でも、同じである。/ だからといって、「明確なる状況認識」を放棄していいという理由にはならない。だから、「明確なる状況認識」をして分析し、その後に「覚悟」が訪れる。状況認識の結果、「こりゃだめだ」をひそかに理解した人は、だからこそ、孤独の内に覚悟を決める。・・人形浄瑠璃での悲劇は、突然かつ唐突にやって来る。・・唐突に現れ出た悲劇の状況を当事者が説明しても、それがあまりにも唐突だから、周囲の人間―つまり観客の中には、この経緯が呑み込めない人間が出て来る。そうして、「重要なのは、まず決断、覚悟をすること―そうすれば、説明は後からついて来る(はず)」という短絡をしてしまうのだ。江戸時代が終わり、近代になる―近代になって軍国主義の総力戦へ日本が進んでしまうのは、この江戸時代に用意された、「決断すべきものは、つべこべ言わずにさっさと決断されなければだめだ」が、短絡して受け継がれた結果だろうと、私は思っている。そういうメンタリティがなければ、あんな極端な方向へは行かない。』(p191〜194)
 浄瑠璃を読めば、日本がなぜ開戦に踏み切ったがわかる(浄瑠璃を読まなければ、日本がなぜ開戦に踏み切ったがわからない)という話である。読んで呆然としてしまった。
 恥ずかしながら、この章を読んで「菅原伝授手習鑑」の菅原が菅原道真であることを初めて知った。わたしが知っているのは「寺子屋」だけで、そこでは松王丸というのがでてくるが、菅原道真はでてこない(のではないかと思う。名前だけはでてくるのかな?)。「寺子屋」も歌舞伎のほうで、わたくしは歌舞伎の子役の発声というのか台詞回しが生理的に嫌いで、話が主君への忠義のために自分の子どもを殺すという話のようなので、いやな話だなと思ってきた。わたくしは歌舞伎は、助六とかのほうがまだましなように思う人間である。
 ここで紹介されている「菅原伝授手習鑑」全体の話からすると「寺子屋」の部分はマイナーであって、さらにいえば菅原道真だって、かなりどうでもいい役割で、梅王丸、松王丸、桜丸という三つ子を中心とする近世管理社会での人の生き方というのがテーマのようである。(橋本氏がそのような見方をしているだけなのかもしれないのだけれども。)
 『人形浄瑠璃のロジックのややこしさは、「表だっては成り立ちにくいが、成り立つ正当性はあるはず」という、現実社会のあり方をほぼ教条的に認めてしまっている前提の立て方に由来する』『江戸時代は「道理」の世界だから、論理は道理に一致しなければならない。そのことをおそらくは「義理と人情」という。』と橋本氏はいう。
 ここで「義理」といわれるのは「管理社会の掟」である。しかし「掟」一辺倒では息がつまる。息がつまらないように「掟」には隙間がなければならない。どのような隙間なら許されるのかを決めるのが「人情」である。「表だっては成り立ちにくいが、成り立つ正当性はあるはず」の根拠が「人情」なのである。
 『人形浄瑠璃は、江戸時代に日本人のメンタリティ―特に「人間関係にどう対処すべきか」を決定づけた。それを端的に表す言葉が「義理人情」で、人間浄瑠璃の根本をなすようなものである。』
 「論語子路篇 第十三の十八に「葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊を攘みて。子これを証す。孔子曰わく、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。」というのがある。
 この文は確か渡部昇一氏の本のどこかで読んだように記憶しているが、氏はこれこそが道徳の根本であると力説していた。
 「日暮硯」のなかで恩田木工が盛んに「かく申すは理屈なり」ということをいう。この本のことを知ったのは山本七平氏の「日本人とユダヤ人」でであるが、山本氏は「理外の理」ということをいう。「理屈」は日本人を納得させない。「理外の理」があってはじめて納得するというのである。「掟」は「理屈」である。「掟」は日本人を納得させない。「理外の理」すなわち「人情」があって、はじめて納得する。中国人は葉公もいて孔子もいるのだから、いろいろなのであろう。
 「調停かるた」を知ったのは、内田樹氏の「日本辺境論」であったが、「論よりは義理と人情の話し合い」「権利義務などと四角にもの言わず」「なまなかの法律論はぬきにして」「白黒を決めぬところに味がある」である。これが法律の現場で配られていたというのだから、とんでもない話である。
 では、橋本氏は人情浄瑠璃から「義理と人情」を学べといっているのだろうか? そうでないともいえないのだが、氏が指摘するのはその「義理と人情」の幅の広さと深さである。それがみえないと、「近代の軍国主義の時代に、「菅原伝授手習鑑」は堂々たる「名作」だった。人は、そこにある「忠義」と「悲劇」を疑わなかったが、この「忠義」と「悲劇」を連結させるものがなにかは、あまり考えなかったのだろう」ということになる。「この作品の中には、「全体主義を成り立たせる要素となりかねない、正義に過剰反応をする身内」というものも、ちゃんと、しかもさりげなく描出されているのである」ということが見えなくなるのだ、と。
 「状況認識の結果、「こりゃだめだ」をひそかに理解した人は、だからこそ、孤独の内に覚悟を決める」というのは、わたくしはみたことがないが東映やくざ映画にまで引き継がれていったのではないだろうか。そして日本の開戦をもその路線で理解しているひとは少なからずいるのではないかと思う。
 ところで、「道理」が支配する管理社会の中での「人情」ということになると、「恋」の問題がでてくる。もちろん浄瑠璃にも出てくる。ということで、これについては稿を改めて。
 

浄瑠璃を読もう

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