「AERA」12年9月24日号「コレステロール引き下げるな」

 
 8年ほど前に、柴田博氏の「中高年の健康常識を疑う」を読んで以来、コレステロールの問題に野次馬的な興味を持っている。それでこの雑誌も買ってきた。3ページくらいの記事で、書いているのは長谷川熙というライターの方。
 日本では「日本動脈硬化学会」と「日本脂質栄養学会」という二つの学会が、コレステロールは下げたほうがいい、いやそうする必要はない(下げないほうがいい)という二つの立場で争っている。柴田氏は「日本脂質栄養学会」の主なメンバーの一人であるから、当然、「下げなくてもいい」派で、私は8年前にその説を知ってびっくりした。
 日本での主流派は「日本動脈硬化学会」で、治療のガイドラインを作成しているのもここのメンバーであり、健康診断などの判定も基本的にこのガイドラインに則っている。8年前に柴田氏の本を読んでいろいろと(老人問題など)共鳴する点があり、また教えられるところもあり、少なくとも柴田氏および「日本脂質栄養学会」のひとたちが奇矯なことを主張して耳目を集めようとしているのではないことは確信できたので、以来、この問題に関心をもっている。
 さて、ライターの長谷川氏は、双方の言い分を検討した結果「脂質栄養学会」のほうに軍配を挙げるとしている。その根拠はいくつかあるが、一つは日本動脈硬化学会の作成したガイドラインには透明性がないということである。透明性というのは耳慣れない言葉であるが、このガイドラインを作成した当事者とコレステロール降下剤をつくっている製薬会社の関係がよく見えないということである。それに対して「日本脂質栄養学会」のほうは透明性がいたって高い(つまり製薬会社からの援助などは受けていない)という(当たり前であるが、自分たちのつくっている薬は必要のないものであると主張している団体に資金を提供するほど、どこの国の製薬会社も度量が大きくはないであろう)。「日本脂質栄養学会」のHPをみるといかにもお金がないという感じである。手作りというか手弁当というか、なんともあか抜けないHPである。
 もう一つが、動脈硬化学会が主張の根拠としているデータには改竄、恣意的な取捨選択などが目立つということである。これは日本脂質栄養学会の側の主張であり、柴田氏の本でもそのようなことが主張されていた。いくら敵方のいうことであっても、それにはしっかりと答えるべきなのに、日本動脈硬化学会はそうしていないことも、長谷川氏の不信感を増長させているらしい。(わたくしが思うに、その指摘に答えないのも、この記事で指摘されている脂質栄養学会からの公開討論会開催の呼びかけを無視しているのも、いったんそういうことに応じてしまえば、日本脂質栄養学会の存在を公認することになってしまうというか、ある意味で自分たちと対等の存在であると認知してしまうことになるからではないだろうか? 多くの臨床家は脂質栄養学会を変なひとたちが集まって変なことをいっている団体としか思っていないのではないかと思う。最新の科学についていけないひとがマスコミから注目されたいがために根拠のない非科学的なことをいっているといった感じなのであろうか? ホメオパシーと五十歩百歩いった受け取りかたかもしれない)。
 柴田氏の本がでた2004年ごろに、欧米では研究者と製薬会社との金銭関係の開示が研究論文発表の際に義務づけられるようになり、それ以来、今までは関連ありとされていた高コレステロールと冠状動脈疾患と関係が否定されるようになってきているのだそうである(これは知らなかった)。また1980年以降、アメリカでは国家的な対策により国民のコレステロール値は下がったにもかかわらず、心筋梗塞脳卒中の発症は減らないばかりが増えている、と(これも知らなかった)。そのため米内科医師会は94年以降、家族性高コレステロール血症の場合以外には、コレステロール値の測定自体をおこなわなくなっているのだと(これまた知らなかった)。さらに家族性高コレステロール血症では冠状動脈疾患が多く発症するのは確かだが、それは高コレステロールのためではなく、それとは別にこの疾患で生じる血液凝固系異常による可能性が高まっているのだそうである(またまた知らなかった)。定期的にコレステロール値を測定し、ある数字を越えるとスタチン系薬剤の服用を奨められる国は、日本以外にはどこにもないのだそうである(調べ得た限りではという断り書きがついているが)。本当なのだろうか? もしもそうならば、本書にある「スタチン系薬剤は一医薬品としては世界の製薬史上最大の売上高を記録」などということはおきないだろうと思うのだが。
 個人的には日本のコレステロールの判定基準は厳しすぎるが、家族性高コレステロール血症や二次予防(一度冠状動脈疾患をおこした人が再度同じ病気がおきないようにするための治療)くらいは有効なのではないかと思っていたので、ここに書かれていたことにはびっくりした。根拠となる論文などもいっさい示されていなので確認のしようもないが、ここで書かれていることはいささか極端なのではないかという気がした。
 どの争いでもそうなのかもしれないが、段々と主張が先鋭化してきて、当初の合併症がないひとは下げる必要はないといった穏当なものから、あらゆるひとでコレステロールは下げる必要はないという極端なものへと段々変わっていく。
 長谷川氏の論のたてかたで一番問題なのは、どちらが正しいかという議論をしていることである。AとBでどちらが正しいかではなく、どちらにも正しいところがあるというのが本当のところなのではないだろうか?
 なお、最近は日本の学会でも、論文発表においては、利益相反開示書といったもの(要するに、自分が発表する論文によって利益をうける可能性のある営利団体との間に、いかなる利害関係も有していないことを宣誓する用紙)の提出が義務づけられているはずである。しかし、利害関係の有無は論文の採否には影響せず、関係がある場合には論文にどこどこの会社と利益相反を有するという註がつくだけという場合もあるようだし、ある学会では、報酬、株の提供、特許使用料、講演料、原稿料、などがそれぞれ年間100万円以下、研究費や奨学寄付などは年間200万円以下であれば、その営利団体とのあいだに利害関係はないとされるようにであった。
 一番の問題は開発段階の薬や開発後最初の治験、あるいは治療薬として承認後の大規模な効果確認のスタディなどで、これらはとんでもなく費用がかかることなのでとうてい大学の研究室などでできることではないことである。だから、これを直接に費用負担するのは専ら製薬会社である。しかしこれらのスタディは大学の研究者の名前で論文が発表される。薬の使用対象となる患者がいるのは大学病院とその関連病院なのだから、そこの全面協力がなければ治験は実行できない。そもそも製薬会社が自分のところで開発した製品へのお墨付きを自分であたえることなどおかしい。あくまで第三者の名前で有効性を示してもらいたい。だから製薬会社が費用を負担した治験の結果は第三者の名前で出される。一切の利益の供与を受けていないとしても、その論文は発表した人間の実績になる。そもそも大学の忙しい先生に貴重な時間を割いてもらって治験に協力してもらう、それを手弁当でなどということがありうるだろうか? この問題の解決策としてゴールドエイカーが「デタラメ健康科学」で提唱している「厳密な臨床試験の登録制」はとても効果的であろうと思う。臨床試験をする前に、この試験は何を解明しようとして、どの指標を使って効果を検定するのかをあらかじめ登録しておくというものである。臨床試験がおわった後から、集まったデータのなかで有効なものだけを発表し、不利なデータは無視するといったことは現在でもいくらでもおこなわれているようだからである。
 ここでのコレステロールについての論争もお互いに自分に有利なデータだけを提示している可能性が否定できない。だから、正解は両者の中間にあるのではないかと思うのだが、お金がたくさん流れている方の主張はよりたくさん眉につばをつけて見たほうがいいというのが長谷川氏のいわんとしていることかもしれなくて、それはあながち根拠のないことでもないかもしれないとは思う。