一昔前の話

 今から50年以上前、わたくしがまだ大学教養学部の学生のころ、法学の授業(長尾龍一先生)できいた話である。当然細部はうろ覚え。
 先天性の異常のため男性性が過剰であるひと(ヤコブ症候群 ⅩYY?)は犯罪をおかしても処罰されないことに当時の法律ではなっていたらしい。それで男性性が先天的に過剰であるひと(ヤコブ症候群 ⅩYY?)たちの団体がその法律は撤廃してほしい、もしもわれわれの誰かが罪を犯した場合、他の人たちと同様に処罰してほしいという運動をしているということだった。
 最近のLGBTについての報道をみていて、何故かこのことを思い出した。(個人的には、LGBTについての最近の議論は頭でっかちで観念論の極致としか思えない。そっとしておく、こういう機微な問題は見て見ぬふりをするという対応もあると思うのだが・・。)

 ところで、昔習ったことで覚えているのは不思議とこういった些末なことばかりである。以下その例。
 数学:10cmの定規一本で1m離れた2点の間に直線を引けるか? こういうことを考えるのが本当の数学なんだ。←いまだに解不明
 社会:君たちは若いから、女は美人でなきゃとか言っているが、本当に大事なのは心だよ、心が綺麗でなきゃ! とその先生。しかしと続けて、「そう頭では考えるのだが、いつまでたってもダメなんだなあ! 綺麗な女性が目の前にあらわれるとこころも綺麗で、いいひとにみえてしまうんだよ!」(当時の予備校はほとんど男ばかりだったのでこんなことがいえたのだと思う。)
 国語:短歌の世界では、「ふと」とか「なにげなく」とかは使うな!というんだな。で俺は「ふと・なにげなく集」というのを作った。たとえば「晩春の片瀬江の島に我は来て地球の自転をふと感じおり」

 馬鹿な話ばかりしてきたので、最後に口直し。
  
  鵜原抄2
 隧道をぬければ豁然と海はひらけ
 灯は弧をえがいて岩礁につづく。
 岩礁をこえ台地に立ち
 ふたたび隠顕する入江を臨む

 物言うな、
 かさねてきた徒労のかずをかぞえるな、
 肉眼が見わけうるよりもさらに
 物事を文明に在らしめるため。

 海を入江にみちびく崖と崖の間に
 鳶は静止し、静止して飛翔し
 その影は群青の波に溺れる。

 知らない、
 同じ日、同じ時刻、同じ太陽が
 かの猥雑な都会の上の空をわたる、と
   (中村稔 新輯「うばら抄」青土社 1996)