P・G・ウッドハウス 「エムズワース卿の受難録 P・G・ウッドハウス選集Ⅱ」 

  [文藝春秋 2005年12月15日初版]」


 文藝春秋社から刊行されている「P・G・ウッドハウス選集」全3巻の第2巻。国書刊行会からのウッドハウス・コレクション(全5巻予定)がすべてジーヴスものであるのに対して、文藝春秋からの選集は第1巻のみがジーヴスもので、この第二巻はブランディングズ城の主たるエムズワース伯爵が主人公である。
 綿菓子のような頭脳をもつと描写される伯爵の春風駘蕩たる無駄話を読むのはまことにお正月にふさわしいものであるが、この大邸宅というも愚かな大きな荘園に住む、一切働くということをしていないお馬鹿な《人民の敵》が演ずる他愛もない話が、何でこれほど面白いのだろうか。何しろこの伯爵、関心があるのは飼っている豚の発育状態であったり、花壇に乱れ咲く花々ではあっても、自分の子供にさえあまり関心がない様子であるし、至って気が弱く、姉妹にも頭があがらず、人格の陶冶とか教養の完成などということにも一切かかわらない、要するにこの世に存在する意義がない人間なのであり、そこでの伯爵の受難などといっても本当に他愛のないどうでもいい話ばかりである。逆にいえば、そういうどうでもいい話を読ませてしまうウッドハウスの小説技法がおそるべき高度なものであるということでもあるが。
 ジーヴスものもまことに無邪気な話であったが、ジーヴスという人間はいささかの毒をもつ人間でもあった。しかし、エムズワース伯爵は本当に空っぽの人間である。罪の意識とか後ろめたい気持ちとかとは一切かかわらない。そういう小説はキリスト教社会では非常に清澄なものと感じられるのであろう。非キリスト教社会である日本では、こういう話は西欧社会ほどには切実には必要とはされないのかもしれない。だから日本には今まで、なかなか紹介されてこなかったのかもしれない。
 日本でこの本のような役目を果たしてきたのは落語であったのかもしれない。しかし落語の世界に欠くことができない長屋とか大家さんとか店子とか晦日の借金取りとかが消えうせてしまった現在、落語は古典芸能とされてしまった。それでウッドハウスの話のほうがわれわれに受容されやすくなってきているのかもしれない。
 貴族社会に感じる大衆のスノビズムウッドハウスの本の需要を形成しているのであろう。ブランディングズ城のような豪壮な邸宅はかつては本当に存在したのだそうである。それをこわしたのが、相続税と二つの大戦なのだそうである。サッチャー以降にはありえない存在であることは間違いない。「日本人はなぜイギリスに憧れるか 歴史と保守への問い」(PHP 1997年)で、宮本光晴氏は、われわれがイギリスに感じる魅力とは「怠惰」であることであり、怠惰の象徴が土地貴族やジェントリー階級なのだ、といっている。怠惰な富者という少数者と、それに追随する多数者という構造がかつてのイギリスであったのであり、富者の没落が、今日の大衆社会をもたらしたのだという。「怠惰」の反対がビジィであること、すなわちビジネスなのだという。
 ウッドハウスはこれらの物語をほとんど第一次大戦の後に書いた。すでに失われつつあるものへの郷愁が広範な読者を獲得してきたのであろう。面白いのはまったくの能無しのボンボンであった伯爵の息子がアメリカの企業に放り込まれた途端、きわめて有能なビジネスマンとなってしまうことである。ウッドハウスはこれを批評とか皮肉として書いているのではない。場所が人をつくるのであって、エムズワース伯爵のような存在をつくるイギリス荘園制度もすてたものではないということをいっているだけである。

 ウッドハウスは1881年に生まれ、1975年に没している。ブランディングズ城はシュロップシャ州にあるのだそうである。それでハウスマンの「シュロップシャ州の青年」を思い出した。この詩集で知っているのは吉田健一が訳詩集「葡萄酒の色」で訳出している「第六〇番」だけなのであるが。
 
 今や焚き火は燃え盡きようとしてゐて、
   燈し火も消え掛かつてゐる。
 肩を張つて、背嚢を背負ひ、
   友達と別れて、立ち給へ。
   
 何も恐れることはないのだ。
   右も左も見ることはない。
 君が果てしなく歩いて行く道に
   あるものは夜だけなのだ。
   
 ハウスマンは1859年に生まれ、1936年に没している。「シュロップシャ州の青年」が刊行されたのが1896年である。青年たちはこの詩集を文字通り背嚢の中に入れて第一次大戦に参戦していったのだそうである。
 
 Now hollow fires burn out to black,
  And lights are guttering low:
 Aquare your shoulders, lift your pack,
  And leave your friends and go.
 
 Oh never fear, man, nought's to dread,
  Look not left nor right:
 In all the endless road you tread
  There's nothing but the night.  (The Penguin Poetry Library )
 
 もはや、「怠惰」であることが許されない時代がきていたのである。しかし、そうではあっても、いつの時代にでも「怠惰」であることは魅力的なのであり、「怠惰」がなければ「炉辺の幸福」もないのである。 エムズワース伯爵の物語は「炉辺の幸福」の物語なのである。


(2006年3月29日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)

エムズワース卿の受難録 (P・G・ウッドハウス選集 2)