森永卓郎「日本経済「暗黙」の共謀者」

 [講談社+α文庫 2001年12月20日初版]


 なんか著者の森永氏は変になっているみたいである。木村剛という人と論争しているらしく、その私怨から書かれた本のようにも思われる。
 一種の陰謀史観というか、デフレが続くことで利益をえる強者が共謀してデフレの継続を願っている、それで景気がよくならないということのようなのだが・・・。つまり経済というのをある程度意のままにあやつれるひとがいるという前提で書かれている。しかし、経済というのは思ってもいない方向に動くことがある、ひとの思惑通りに動くものではないものではないのだろうか。
 著者にいわせれば、中谷巌氏なんていうのも典型的な御用学者ということになるのだろうなあ、と思う。たしかに中谷氏のいうインセンティブという言葉はとても軽いし、ひとはそれなりの報酬が得られる見込みがなければ真面目に働くはずがないなどと自明なことのように平然と書いているのを見ると、人間なんてそれだけのものじゃないですよ、という茶々もいれたくなる。F.フクヤマの「歴史の終り」における「気概」という言葉を思い出す。人間を動かしてきたものは経済的利害ではなく、「認知」を求めて戦う人間の気概である、とフクヤマはいう。
 ともあれ、著者の感情が表に出たあまり客観性のない本であるが、最後のエピローグだけは面白かった。一種のドロップアウトの薦めであり、人生の3大不良債権である住宅ローンと子供と専業主婦という固定費を減らさなければいけない、専業主婦は働かせ、子供は野放しにし、住宅ローンはなんとかすれば、自由な楽しい人生がおくれ、転職も離婚も生涯恋愛もできるはずというのだが。
 「失われた10年」ではなく「失われた100年」であるというのも面白い指摘である。明治以来の日本人は刻苦勉励してきたが、それが何が面白いのかと。もっと江戸のひとは遊んでいたではないか、人生を楽しんでいたではないかと。これは、アンチ司馬遼太郎的な視点なのかもしれない。司馬遼太郎も刻苦勉励する日本人が好きだったひとだから。


(2006年3月19日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • このころから森永さんはおかしくなって、やがて「年収300万円・・・」で固定読者をつかむわけだが・・・。