冷泉彰彦「9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか」

[小学館 2002年3月10日初版]


 たいへん気持ちのよい本である。2001年9月11日以降のアメリカについてのレポートであり、観察された事実、それについての報道、それにたいする自分の意見を淡々と押さえた筆で述べている。
 筆者の立場は日本でいえば「良識派」ということになるのであろうが、ある部分での自分の判断が間違っていればすぐに訂正するし、世界のさまざまな動向について十分な知識をもった上での判断を示しているので、間違った判断についてさえ説得的である。
 今回の事件は、日本に、日本も世界の動向の部外者ではありえないということをつきつけたと思うが、われわれは明日のことがわからない世界に生きているのであり、日本でも予想外、想像外のことがたくさんおきているにもかかわらず、そういう日本での経験が今回のアメリカの事件となんら結びついていく気配がない点について、あいかわらず、日本は世界の部外者のままであるのだという著者の見解は傾聴に価する。
 アメリカという多民族国家であり、多様な価値が存在することを国是とする国が、大きな流れに飲み込まれ、一元化しようなときに、マイノリティーではあっても敢然と反対の声をあげるひとがいるということに著者は希望を見出している。
 著者は明らかに民主党贔屓だが、それを差し引いても、クリントンという大統領は問題は多々あっても、ブッシュよりははるかにまともな政治家であったのではないかという気が、本書を読む限りはする。
 アメリカという国がきわめて多様な部分から成り立っているという当たり前のことにあらためて気づかせてくれる本である。アメリカは野暮な国であり、野暮が同時に強さの原因でもあるという皮肉な構造。
 この本を読んでいて、このような事件がおきた時に、愛国的にも、それに反対する立場にもたたずに、そんなことには関心はないよ、という立場をとることができるだろうか、ということを考えた。しかも、シニックにならずに。自分には切実に関心がある別のことがあるので、そんなことは自分にはどうでもいいのだ、という立場をつらぬけるだろうか? そういう立場は最終的にはどうやっても、シニックに通じてしまわざるをえないのだろうか?
 グローバル化というのがアメリカ化ということであり、アメリカ化ということが、ごく少数の強者と大部分の弱者に二極分解していくことであるとするなら、今回の事件で犠牲になった消防士たちは明らかに弱者に属する。その弱者がきわめて誠実に自分の仕事をしていたということがある。もし日本がグローバル化し、アメリカ化してくるとすると、日本の弱者はそれでも誠実に仕事をしていくだろうか? 日本の総中流意識が日本の勤労意欲を支えていたので、そこが二極分解したら、今まで通りの勤労というのはもはや成立しなくなるのではないだろうか?
 

(2006年3月19日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • いつのまにか9・11も風化してしまったなあということを感じる。アフガニスタンもまた。(2006年3月19日付記)