山田風太郎「戦中派闇市日記」

   小学館 2003年6月20日初版


 「戦中派虫けら日記」「戦中派不戦日記」「戦中派焼け跡日記」に続く山田風太郎若き日の日記。昭和22年と23年を扱う。
 ここにあるのは怒りである。まわりの人々の愚かしさへの怒りであり、敗戦を終戦を言いかえ、拝啓マッカーサー元帥様と手紙するような時流への怒りである。しかし、虫けら日記、不戦日記、焼け跡日記とつづられてきた愛国青年の心情は少しづつここで変化してきている。自分が信じていた心情が日本政府の教育によって培養されたものではないのか、という疑念が頭をもたげてきている。

 さて、ここに記されている愛国者山田風太郎青年と後年の「甲賀忍法帖」を書く山田風太郎中年や関川夏央氏がいう天才老人は同じ人間なのであろうか? もちろん同じ人間である。その肉体を構成する細胞のDNAの同一性という観点からみれば。またそのような青年時代があったからこそ後年の山田風太郎があるのだという言い方もできるであろう。
 しかし、どこかで変ったのである。別の人間になったのである。
 ここに書かれているような心情をもった青年は多くいたのだろうと思う。ここでの山田風太郎は無名の一青年である。後年有名になれなければ決して公になるようなことはなかったであろう無名の青年が書いた日記である(それにしてもこれをずっと保管していた山田風太郎の執念ということはあるが)。つまりここには後年の山田風太郎を予想させるものはない。
 ということで山田風太郎の若き日の日記というよりも、複雑な家庭にそだった一医学生の日記として読まれるべきものなのであろう。
 その一青年はじつによく本を読み、映画をみている。本はほとんど一日一冊である。世界文学の名作、探偵小説の古典、同時代の日本の探偵小説を濫読しながら、すでに探偵小説の実作をはじめており、それで収入をえながら、医学の勉強も真面目にしている。凄い勤勉さである。
 日記だからしかたがないのかもしれないが、「細菌学総論」読。医科学「酵素」「血液」読、などという記載が延々続いているページがあり、ここらへんは(略)としてもいいのではないかと思った。
 どうでもいいことであるが、昭和22年をふくむ日記であるから、わたくしの誕生日もでてくる。木曜日で晴だったらしい。