下條信輔「まなざしの誕生 赤ちゃん学革命」 

   新曜社 1988年4月2日初版
   
 
 下條氏の本を読むのはこれで4冊目である。あと3冊は、「視覚の冒険」(1995)、「サブリミナル・マインド」(1996)、「意識とは何だろうか」(1999)であるが、発行年をみてもわかるように、本書は下條氏の最初の単行本のようである。もともと氏は赤ちゃんの視覚の発達の研究からスタートしたらしい。
 生まれた時は白紙同然であり、赤ちゃんは未熟で無能なものという見解への反旗の代表選手として、例によってチョムスキーの名前があげられる。無能な赤ちゃん論から「おどろくほど早くから、おどろくほど多くのことをできる」赤ちゃんへの見方の変換である。チョムスキーは言語獲得について述べたわけであるが、下條氏は、ものを見るということについて、同じことを主張する。赤ちゃんは生まれつき、形がありパターンがあるものと、そうでないものを区別するという。下條氏が強調するのは単に区別するだけではなくて、パターンがあるほうを好むということも生得的なものとしてもっているということである。
 新生児の視力は 0.02 程度、2ヶ月児でも、 0.05 程度で、大人なみの視力になるのは4・5歳ごろであるとされる。また立体視ができるようになるのが4ヶ月くらいとされる。このようなものを見る生得的な能力を持ってうまれてくるにもかかわらず、ある時期(臨界期・・・生後数ヶ月から数年の間)までにものを見る経験をしないとその能力は失なわれたり異常なものとなったりするという。赤ちゃんは受身でなく、情報探索マシーンであり、変化探索マシーンなのである。
 赤ちゃんは生まれたときには、外界についてのモデルやイメージをもっていない。生まれてすぐの赤ちゃんがものを見るということは、光という物理的エネルギーに反応しているというほうが正解に近い。まだ世界は未分化である。自分と他人の区別もついていない。お母さんが泣くと自分も悲しくなって赤ちゃんが泣くのは、赤ちゃんにとっては世界全体が悲しくなっているのである。痛いのは、自分のどこかが痛いのではなくて、世界全体が痛いのである。生まれてすぐの赤ちゃんにとって、見えるガラガラも聞こえるガラガラもさわって感じられるガラガラも渾然一体となっている。そこから経験によってものが分離していく。自分が動いて、世界を探索することにより、赤ちゃんは未分化の世界から、少しづつ脱却していく。そういう中から、ものがあり、それは持続し、また他人というものがあることを学んでいく。からだの接触は「自分」という意識の獲得にきわめて大きな役割をはたす。見える場所と感じる場所が一緒ということは後天的に学ばれる(見えるところに手を伸ばすとものがあるというのは経験によって会得される)。
 IQ研究の世界的権威であり、知能はほとんど遺伝できまるといったバート卿のデータがほとんど捏造だったというエピソードが紹介されている。
 
 本書での下條氏の立場は、生得説と学習説、遺伝説と後天説の中間のような印象である。どちらも大事と。
 ピンカーは「人間の本性を考える」の「はじめに」で、なかまに「「空白の石版」の本を書こうと思っている」といったら、「行動はすべて生まれと育ち、遺伝と環境の相互関係なんてことはもう常識なのに、今頃そんな本を書くのか?」といわれたと書いている。
 ところが「そんなことはない。人は遺伝と環境の相互関係というと、すぐに環境一辺倒派の総攻撃を受け、理不尽な糾弾をされる。環境派は100%環境という理論以外は、すべて自分の敵である遺伝派とみなして、不倶戴天の敵とするのである」といっている。
 しかし、ここで下條氏がいっているようなことが敵視されるようにも思えない(単に本が売れていないからなのだろうか? E・O・ウイルソンはS・J・グールドらから攻撃をされて甚大な被害を蒙ったが、同時に攻撃されることにより有名になったのも事実であり、グールドらの攻撃は「社会生物学」という大部の本の販売促進に大いに有効だったという説がある)。
 下條氏がいっていることは、人間は効率的に書き込める石版として生まれくるということに近いと思う。パターン化したものとそうでないものを区別できる能力をもって生まれてくるというのは、(問題とされる)生得説ではない。
 問題とされるのは、人間はパターン化したものとそうでないものを区別できる能力をもって生まれてくるだけではなく、その分別能力に関して生まれたときにすでに各人の間に差がある、とする見方なのである。「社会学者は人間の可塑性と文化の自律性を、人類の完全化という長年の夢の実現につながる教義のようにとらえていた」とピンカーはいう。で、ピンカーはデュルケームオルテガ、、M・ミード、ギアーツなどと対決することになる。
 しかし、下條氏がそういった対決として赤ちゃんのまなざしを研究しているとは思えない。ただ、赤ちゃんが生まれたときに、まだ外界は茫洋をした光のエネルギーの濃淡であるのか、そこにすでに意味のある区分けが存在しているのか、というのが下條氏の関心の中心である。
 氏がいいたいのは、人間は生まれながらに能動的な存在であって、積極的に探求する存在なのであり、受身で知識を注がれるだけの存在ではない、ということである。ポパーの「バケツ理論」と「サーチライト理論」の区別に近い。で、それなら「バケツ理論」が「空白の石版」説であり、「サーチライト理論」が生得説であろうか? だが、とてもそうとはいえない。
 ピンカーは「空白の石版」説がマルクスの思想を生み、20世紀の悲劇を生んだ、という。マルクスの時代には、「空白の石版」説が正しいのか「遺伝決定論」が正しいのか、それらの正邪を判断する根拠となるものはほとんどなかった。自分の説に都合のいい方を採用することが可能であった。
 しかし、とピンカーはいう。科学によって、事実によって、「空白の石版」説は否定されつつあるのである。そうであるなら、それに依拠したマルクスは否定される。見よ、あれだけの悲劇と不幸を生んだマルクス主義は歴史の中で消えていった。
 しかし、と反対陣営はいう。「人は生まれつき優秀なものとそうでないものがいる」という考えがナチズムを生み、20世紀の悲劇を生んだ。ナチズムにその根拠を提供したのは科学に基づくと称する優生学説であった。あれだけの悲劇と不幸を生んだナチズムは歴史の中では敗退していった。あの悲劇を二度と繰り返してはならない。
 どちらも間違っている。マルクスが依拠した大きな思想の枠組みがその系の一つとして「空白の石版」説をも採用させたのであり、優生学とか民族の差のついての科学的理論などなくても、ナチスドイツも大日本帝国も、おのれの優秀さを信じたのである。「空白の石版」説や「遺伝」説が思想や妄想を生んだのではない。
 それではこの悲劇のもとにあるものは何なのだろうか? それは人間が優秀であるという信頼(あるいは過信)である。マルクスだってヒトラーだって、グールドだってピンカーだって人間が優秀であると信じているのである。あるいは信じたいのである。
 マルクスは優秀であるはずの人間がこんな悲惨な状態に甘んじているのは、社会体制が悪いのであって、その体制を別の体制に変えれば人間が潜在的にもっているはずの能力を全面的を開花させることできると考えた。ヒトラーも少なくともアーリア民族の優秀は信じていて、その優秀な民族が屈辱的な状況に甘んじているは許せないとした。グールドは人間の潜在的な能力の可能性をはじめから否定するような学説が許せないのであり、ピンカーは科学という人間の優秀さの結晶である分野から導かれた結論を理解できない非合理なバカが許せないのである。
 マルクスはどこで間違ったのか? 自分が人類の正しい生きかたを発見したと思った点である。ヒトラーはどこで間違ったのか? 世界の歴史を導く使命を負った民族がいると考えた点である。グールドのどこがおかしいのか? 人間には潜在的には無限の能力があると思っている点である。ピンカーのどこがおかしいのか? 科学という人間の一活動にすぎないものにあまりに信頼を置きすぎている点である。
 人間は愚かなもので、その違いも所詮、五十歩百歩であると思っていれば、上のような考えはでてこないはずなのである。ラブジョイのいう「人間本性」というのはそのようなものなのだが・・・。
 観念論と合理主義が問題となる。どちらも「頭」第一主義であるから。
 マルクスは観念の人である。大英図書館に篭って本場ばかり読んでいたのであるから。ヒトラーがアーリア民族の優秀性を実際に感じ取る具体的な体験を繰り返したとは思えない。アーリア民族の優秀性を信じたのは理念である。科学的研究による具体的な事実ではなく、理念が先行したことは間違いない。グールドの信じる人間の優秀というのもまた観念である。日々グールドが経験していたことは人間の愚かしさを示す逸話ばかりであったはずなのである。ピンカーがもつ科学への信念もまた観念である。
 ピンカーは人間の理性に強烈な信頼をよせている。その理性によって論理的に明らかにされたことに無条件に帰依する。「確かに論理的にはそうとしかいいようがないが、でも・・・」という発想はない。人間を説得するものは論理ばかりではない、という可能性にはあまり意をむけないようである。
 もしも科学が、人間は合理的・科学的な思考によっては多くの場合、説得されないということを理論的に明らかにしたならば、どうなるのだろう? その結論を人は受け入れるのだろうか? 一部の人間(その多くは科学に従事している人間)は科学の導き出した結論はあまねく世に受け入れられるべきであると考える。なぜなら、それは“事実”であるのだから。しかし、“事実”として人間はしばしば非合理に考えるとするならば、どうなのだろうか? 
 人間はしばしば理性よりも感情で動くものとするならば、理性的な解明がどのくらいの力をもつのだろう。近年の脳の科学は、感情のもつ力という方向に一つの焦点が当てられているように思う。なんのことはない、18世紀啓蒙の時代の逆もどりしているのかもしれない。ピンカーはどうも19世紀以降の過度の理性信仰の流れの中に位置しているように思う。
 さて、下條氏は自分の研究をどういうだろう。自分はただ知りたいのだ。われわれは(自分の研究が明らかにしたように)探求するという性向を生得のものとして生まれてくるのだから、とでもいうであろうか?