渡部昇一「新常識主義のすすめ」

  文藝春秋 1979年9月15日初版


 渡部昇一氏は今でこそ困った保守おじさんという感じだが、本書を書いていたころはまだとても冴えていたと思う。50歳前の脂が乗っていたころである。
 ピンカーの本を読んでいて、どういうわけかヒュームのことが何度か頭をよぎった。
 わたくしは哲学についてはまったくの音痴であって、知識はないに等しいし、そもそも哲学の本を読んでも、そこに書いてあることがどう自分の問題に結びつくのかがさっぱりわからず、そのため一向に印象に残らず、読んだはしから忘れてしまうという人間である。
 そういう私がヒュームに関心をもつようになったのは、若いころ傾倒した吉田健一ポパーの両者がヒュームをとりあげていたからである。吉田健一は18世紀の文明人の典型としてのヒュームを論じるのだし、ポパー帰納の問題を提起した人間としてのヒュームを論じる(「推測的知識:帰納の問題に対する私の解決」(「客観的知識」1974年 木鐸社)わけだから、両者の視点はまったくことなる。
 ポパーは「私は哲学上の一つの大きな問題、つまり帰納の問題、を解決したと考えている」というようなことをいう奇矯の人であるからヒュームがどんな人間かというようなことにはまったく関心がない。
 ポパーはヒュームをこれまでにおける最も合理的な精神の持ち主であるとするが、その人が同時に、自分の説をつきつめたが故に懐疑主義者、非合理的認識論の信奉者になったとする。その分裂した面のどちらを強調するかによってヒュームの像は大きくかわってくるのかもしれない。分裂を分裂としてものともせずに平然として生きた人間というのが吉田健一のヒューム像かもしれない。
 ともかくも、そういうことでヒュームを読まねばいけないなあ、とは思って、中央公論社「世界の名著」とかの巻をもってはいるのだが、「およそ人間の心に現れる一切の知覚は、帰するところ、二つの別個な種類となる。私はそれの一つを『印象』と呼び、他を『観念』と呼ぼう」などといわれるもう駄目なのである。だからどうした、という感じ。
 最近、岩波文庫で「人性論」が復刊されたので買ってはきたが、果たしてこれから読むことがあるかどうか・・・。「市民の国について」(岩波文庫)は訳文に癖があってなじめないし、「Sellected Essays 」などというのは、英語が到底歯にたたない。語が難しく、構文が複雑である。
 それでわたくしがヒュームについてもっている印象の最大の供給源は、恥ずかしながら、この「新常識主義のすすめ」に収められた「不確実性時代の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価」という40頁弱の論文なのである。ピンカーを読んでいてそれを思い出し、読み直してみた。渡部氏はサバティカルエディンバラにいったときにヒュームに親しんだらしい。
 イギリス経験論の祖、ロックは人間の観念は先天的なものではなく、経験を通じて形成されるとした。バークレイは、ロックが認めた外界さえ否定し、物は観念としてのみ存在するとした。ヒュームはその先をいき、本当に存在するのは印象だけだとした。
 渡部氏が問題にするのは、そのヒュームの極端な論が彼の政治論や道徳論、経済論とどう結びつくのかという点である。
 渡部氏はヒュームのすべての論に通底するものは「人間の理性に対する不信」であるという。その点で彼は大陸で優勢になりつつあった理性主義、合理主義への強い不信を持ったのだという。「社会契約論」のようなものはヒュームによれば主知主義的、合理主義的な虚構なのである。「理性は情念の奴隷」に過ぎないのだから。
 1963年にハイエクは「デイヴィッド・ヒューム法哲学と政治哲学」についての公開講演をしている。その講演でハイエクは、ヒュームが否定したのは「構成的主知主義」なのだといっている。構成的主知主義とは《人間の知性に頼って国家を思いのままに作り変えることができる》という思想である。その典型がフランス革命である。しかし、理想的な国家ができるのは残念ながら頭の中だけなのである。
 大陸においては構成的主知主義が優勢であり、ヒューム流の思考はアングロ・サクソンの間においては成功したが、政治理論としては人気がないと渡部氏はいう(氏がこれを書いているのは、まだソ連が健在で、東西体制はあと50年も百年も続くであろうと、誰でもが信じていた頃であることに注意!)。
 ヒュームが発見したわれわれが平和で自由に生きるための必要な三つの条件とはハイエクによれば以下のようなものである。

  • 財の所有の安定性:政権が変わることにより、あるいは法が変わることにより、個人の財が奪われることがないこと。
  • 財の移動には当事者の同意が必要であること。
  • 契約の履行は法によって強制されること。

 専制国家とは、個人の財がいつ奪われるかわからない社会である。
 1974年のハイエクノーベル賞受賞記念講演は「知っているような顔をすること」という奇妙な題がついていた。アダム・スミスがヒュームから受け継いだのが「人知の限界」という見方である。重商主義は構成的主知主義によるのであり、自由通商主義はヒューム的不可知論に通じると渡部氏はいう。そして現在(1979年当時)は、構成的主知主義とヒューム的不可知論の対立の時代なのであるという。
 渡部氏がここでいいたいことは、ケインズ経済学もまた構成的主知主義の系列なのであり、ハイエクらのシカゴ学派がヒューム的不可知論に属するということなのだが、その点はわたくしの現在の関心からは遠い。
 
 ピンカーは「心は「空白の石版」」説が、進化の事実から科学的に根拠のないことを示すのと同時に、それに依拠する政治哲学がさまざまな不幸な歴史をつくってきたこともいう。われわれには進化の過程で刻み込まれた本性がある。しかし、その本性とは本能という言葉から連想されるような矯正不能の強制力をもつものではなく、たかだか、さまざまな選択肢をもつ大きな枠組みを提供するだけというような言い方もする。「心は「空白の石版」」説は構成的主知主義に通じるのであり、それに対立するものはヒューム的不可知論であるなどという発想はまったくない。なぜならピンカーはごりごりの理性の人、科学の人だからである。自分が愚かであるとか、科学的方法には限界があるとか、そういう方向への発想は一切ないように見える。むしろ、自分の研究が明らかにする科学的事実によって、われわれにはどういう政治体制が望ましいかということさえも明らかになるという含意さえあるではないかと思う。
 宗教によって人は万物の霊長であるとするのも奢りであるならば、理性によって何でも解明できるというのもまた奢りである。ピンカーは宗教は理性と対立すると思っているのであろうから、われわれがもっといろいろなことを知るにつれ、宗教は消えてゆき、われわれの未来につき、理性的選択がおこなえるようになると思っているのであろう。
 しかし理性にそのような過度の信頼を寄せること自体にどのような根拠があるのか、そういう視点はピンカーにはないように見える。それが何かピンカーの著書あるいはデネットの著書、あるいはドーキンスの著書が底が浅く見える理由なのではないかと思う。
 S・J・グールドらの主張がはちゃめちゃでありながらなぜか人間的な感じがするのは、彼らがまもりたいとしている「心は「空白の石版」」説は人間の無限の可能性を信じる能天気からでてきたというよりも、人間の心が科学でわかってたまるかという非科学的な心情の帰結であるからなのではないだろうか? つまりグールドらは人間の心に関してだけは科学者であることをやめたいのである。「心は「空白の石版」」説は人の心にだけは科学が入ってくるなというおまじないなのである。そんなことまで科学でわかるはずがないという直感のようなものがそこで働くのであろう。
 グールドらは人の心についてだけは「人知の限界」論者になるのである。だから科学的議論の土俵ではグールドらは連戦連敗である。もう勝負はついてしまった。
 しかし、それにもかかわらず、理性というのはそんなに素晴らしいものなのですか? それで何でもわかるのですか?という議論は相変わらず残る。
 「不確実性時代の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価」というタイトルは渡部氏もあとがきに書いているようにガルブレイスの「不確実性の時代」を意識したもののようである。そのガルブレイズ氏が死んだらしい。いつの時代であっても「確実性の時代」などというものはなかったであろう。このガルブレイスの本は読んでいないが、「不確実性の時代」などというタイトルの本が売れたということ自体が、ある時期には理性への信頼が異常なものとなっていたことを示すのかもしれない。
 東西冷戦体制時代の方が右の人は緊張感があったなあ、ということを本書を再読して感じた。
 実は、本書に収められた「新常識主義のすすめ」という「彼」というポルノを論じた章も素敵に面白くて、それもあわせて論じようかと思ったのだが、それはまた後日。