26 総括(^^)

 小阪修平氏の「思想としての全共闘世代」を長々と論じてきた。そろそろ中仕切りとしたい。この間、小阪氏には失礼な言を多々弄してきたことをお詫びしたい。そしてもまたこういう言い方もまた小阪氏には失礼になることは重々承知しているが、小阪氏よりはるか大きい人と比べて小阪氏の著作を論じるというはなはだアンフェアなことをしてきた点についても、お詫びしたい。
 小阪氏の本は読み返してみればみるほど穴だらけな論理的に破綻した本であり、その瑕疵を論じていけばきりがない。なぜそうなってしまうのかということを類推すると、小阪氏が本当に書きたかったことがまったく書けていないからなのであろうと思う。というか氏が経験したことは文章にすることが本来不可能なものだったのであろう。
 小阪氏は全共闘運動の過程のどこかで一種の“神秘体験”のようなものを経験したのであろうと思う。その体験があまりにリアルであったため、氏は全共闘運動というものを相対化することができなくなっている。そして、それがあまりにもリアルであったため、その後の生が夢のような現実感のない手応えのないものになってしまっている。
 神秘体験というのは神あるいは何らか超越的なものが一方的に襲ってくるのである。それを経験する人間は受身である。ただ、なすがままに翻弄されるだけである。そして、それでありながら至福である。その至福の感覚に較べれば、ほかのことは現実感のない塵埃にすぎない。
 小阪氏の本は、「いまでも夢をみているような気がする」という奇妙な書き出しではじまる。そして氏は「その感じは、ぼくがいまだに「現実」というものをよくつかめていないということを意味するのかもしれない。だかそれは(中略)いわゆる全共闘運動の時代を通過したことで強まったことは確か」であるという。「そこでは、「現実」という枠組みが一度とっぱらわれてしまった」ともいう。そしてその時、自分は「何かに「つかまれてしまう」という経験」をしたという。今でも、「自分自身にとってもつねによくわからない何かが自分の根底にある」ともいう。氏がこの本でしたかったことは、この「自分自身にとってもつねによくわからない何か」を少しでも明らかにしていくことであったのだろうと思う。
 しかし、その「自分自身にとってもつねによくわからない何か」は、氏が過ごした1968年から69年という時代背景を抜きにすると氏自分でも驚くくらい現実感のないものなのである。だから氏は1968年から69年にかけてという時代がどのような時代であったかということを描くことに注力する。しかし、時代だけがそのような“神秘体験”を生んだわけではない。その時代の中にある種の生育歴をもった人間が、しかもある特定の場のなかにおかれたときにだけ、それは生じたのである。とすれば、これは何ら普遍性のない一回限りの出来事である。
 しかし、氏は「若い世代に全共闘運動とは何だったのかそして今意味があるとすればどういうことなのかを伝えたい」というのである。それはたとえば本当は次のようなものなのかもしれない。《自分で考えて自分で生きかたを決めるなどということからは充実した生は得られない。本当に充実した生は自分を超える何かにつかまれてしまうことの内にあるのだ!》。これでは下手なカソリックの説教である。それよりも何よりも、小阪氏はそのようなことを夢にも考えていない。個人が主体的に自由に自分の意思で参加する運動が全共闘運動であったというのだから。
 小阪氏が間違ったのは、自分を掴んだものが《時代》であると思った点なのである。氏を掴んだのはもっと大きな普遍的な何か、《何かに帰依する充実感》といったものなのであるとわたくしは思う。たまたま氏に帰依する対象を与えたのは確かにあの《時代》であり、小阪氏のようなインテリが帰依できる何かを用意できたのがあの《時代》というものだったということはあるのかもしれない。小阪氏は新興宗教を信じられるようなナイーブな人ではないのである。氏が帰依するためにそこには難解で複雑な理論がなければならない。氏は懸命にその理論を検証する。しかし、問題はその理論が正しいかどうかではない。それに帰依できるかどうかなのである。
 この本の中では《時代につかまれてしまう》という表現が頻出する。小阪氏が今までの生涯の中で《つかまれた》のはあの時代だけなのである。そして、その時代のあとも、自分をつかんでくれる何ものかを捜し求めて生きてきて、それを果たしていないのである。
 しかし、掴むのは相手が自分でいやといっても一方的に掴んでくるのであり、こちらが頼んで掴んでもらうというようなものではない。そして掴まれたその時代においての自分の感じは今の自分とあまりに違うので、「自分としても六九年に頭が「正常」であったかどうは自信がない」ということになる。同じ自分とは思えないくらいなのである。
 《つかまれる》ことが幸福感に通じるというのは、進化の過程で人間に組み込まれた普遍的な現象なのだろうと思う。人間は進化の過程ではきわめて弱い生き物であり、集団で生きることによってかろうじて生き延びることができた。そのため、人間を集団に帰依させる何か、ある目標に帰依することで幸福を感じる構造というものが人間には備わっているのだろうと思う。人間が集団を離れて生きることができるようになったのは都市が(いいかえれば文明が)出現してから以降である。インテリもまた都市の産物である根無し草である。頭の生き物である。身体生命の根幹に通じる《帰依》の感覚の前では脆いことは当然である。
 わたくしのまわりでも運動に参加することにより《生き生き》とし《幸福そう》になるひとを何人もみた。わたくしが小阪氏の本には書かれていない“神秘体験”といったことを類推するのも、そういうことからの想像である。ただその《生き生き》とし《幸福》な感じが小阪氏の場合には並外れて強かったのであろう。だから、氏はその体験から容易に抜け出ることができないらしい。氏の生きかたをみていると、ある時に決定的な体験をしたために俗世を棄ててしまい、あとは喜捨に頼って生きているお坊さんみたいに見えるのである。
 そういう小阪氏に欠けているのが、We've got to live, no matter how many skies have fallen とか And she had realized that one must live and learn (D.H.Lawrence 「Lady Chatterley's Lover 」)とかいうような生命力、動物的な力である。小阪氏は気の弱い、いい人なのだろうと思う。付きあい難い嫌な奴であったに違いないロレンスのような人物とは大違いの、穏健な人であろうと思う。お酒を一緒に呑んだりしたりするのも悪くないひとであるのかもしれない。だからこそ、リアルな政治の世界に入ったりしたら、利用されるだけされて棄てらてしまうこともまた必定なのであろうと思うが。
 だから小阪氏が論じているのはリアル・ポリティックスとは縁もゆかりもない個人の幸福感・至福感の話である。しかし、それでも We've got to live, no matter how many skies have fallen なのであり、小阪氏にならって全員が出家してしまうわけにはいかないのである。というか、全共闘運動時代はいざ知らず、そのあとの氏の人生はちっとも幸せに見えないのである。とすれば、氏の全共闘体験というのはどこかおかしかったはずである。
 しかし、その時代の至福感があまりにも強かったため、氏はどうしても、そういう相対化の方向から検討することができないようなのである。全共闘運動に参加した人は非常に多い。そのあと生産的な活動をしているひとは、どこかで全共闘運動を相対化し、歴史の文脈の中に組み込み、そこから普遍的な何かを汲み取り、またその病理を批判することをしているのではないかと思う。しかし、氏はただ伝えたいのであって、そこから中立的にはいまだになれていないように思う。
 重ねていうが氏はとてもいい人なのだろうと思う。しかし、“弱い”人なのだと思う。生存競争では最初に脱落しそうな人である。そういう氏であっても適合できたように思えた時代が68年から69年なのである。その時期、小阪氏は帰依する何かを見つけて“強く”なれた。しかし、現在の氏は本来の“弱い”自分に戻っている。We've got to live, no matter how many skies have fallen であるなら、小阪氏もまた強くならねばならない。ということで68年から69年の時代への郷愁が氏を捕らえて離さないことになる。そうであるなら本書はまったく個人的な体験記ということになる。「思想としての全共闘世代」というタイトルは方向違いということになり、「体験としての全共闘世代」というのが本当の内容に近いかもしれない。そうであるなら、現在でもまだ刊行され続けている太平洋戦争従軍記と同じようなものであるかもしれない。従軍記を書くものもまた、自分たちの体験したものは自分達従軍したものにしかわからないと思っている。しかし、それでも書く。それでも伝えたいのである。しかし、ソビエトが存在していた時代である68年ごろを生きて知っているひとには通じることでも、それが崩壊してから物心ついた人には通じないということはたくさんあるあるはずである。
 たぶん、この小阪氏の本を読むのもほとんど全共闘世代だけであり、若い人はまず読まないのではないかという気がする。戦争体験の伝達はきわめて難しい事業なのである。