⑮ 養老孟司 「運のつき」・その3

 養老氏は、自分のことを普通だと思っている人間ほど危ないという。なぜなら自分を普通だと思う人間は、自分は変なことをしないと思っているからだ、と。その普通の自分が変だと思うことが世の中で起こっているなら、それは世の中が変であることになるから、と。
 自分のことを普通ではない、真ん中にはいない人間だと思っている人間は、つねに自分は変なことをしているのではないかという自省が働く。なかなか積極的な行動がとれないことになる。
 ある人があることをみて変だと思うとき、二種類の可能性がある。あることが変である場合と、そのある人の見方が間違っている場合である。小阪氏は「どこか社会がおかしい」と思っていたわけであるし、自分たちが正しいことは自明であると思っていたわけだから、自分は普通だと思っているひとの典型ということになる。
 小阪氏は自分の特徴として、1)戦後民主主義の感性 2)空想癖(観念論的な感性) 3)非共同体的な態度、あるいは根無し草的感性 の三つを挙げる。そして中でも3)が一番優位なのだという。
 根無し草的感性とマイナー意識というのは違うのだろうか? マイナー意識と自分が普通とは思えないという意識は別なのだろうか? 小阪氏は根無し草的といいながら、周囲に比較的容易に溶け込めるひとの様である。養老氏のように、いつも自分がここにいるのは間違いであると感じる感性とほぼ正反対のように思う。案外と普通のひとのように思える。そして養老氏のいうように、普通のひとは危ないということなのだろうか?
 前に養老氏をまるで太宰治みたいと書いたが、わたくしがマイナーなひとということで真っ先に思い浮かべるのは、実は吉行淳之介である。医学部に進学する前の教養学部時代は、吉行淳之介にぞっこんであって、これでいこうと思っていたのである。吉行路線とは《抛っておいてくれ、俺にかまわないでくれ》である。俺は他人に影響を与えたくないし、他人からも影響を受けたくない。そういう他人との距離のとり方が吉行だと思っていた。なぜ他人に影響を与えたくないのか、それは自分が普通ではないから。なぜ、他人から影響を受けたくないかのか、それは自分がとても変であり、その変のバランスはごく些細な刺激で崩れてしまうので、自分が崩壊しないためには他人の侵入は断じて阻止しなくてはならないから。
 自分に自信はない。しかしそういう自分でもとにかく自分である。それを他にむかって主張するなどとんでもない。日々、なんとか自分のバランスを保つのがやっとである。そういう吉行路線は、なんだか養老さんの若き日の自画像と随分よく似ているように思う。
 しかし、吉行路線は、医学部に進学して遭遇した政治の季節の中ではまったく無力であった。それが無力であったのは、その当時のわたくしの吉行理解が中途半端なものであったからだと思う。吉行淳之介は一面とてもつよい人であり、自分がマイナーであるとは思っていても、自己の感性を恃む点では、決して揺るがない人である。そういう自己確信がないひとが吉行路線をいくと、ずぶずぶとただ沈んでいくだけになってしまう。
 前に全共闘運動に遭遇したことは自分を鍛えてくれたと書いた。自分が吉行路線と思っていたものがいかに柔なものであるかを教えてくれたし、自分の建て直しに時間をあたえてくれたということで、この一年は自分にとってかけがえのないものとなった。なにしろこのときくらい本を読んだことはない。一年で300冊くらいの本を読んだのではないだろうか? というか、それまでは単なる小説好きであったのだが、その時以来、本読みになったのだと思う。
 兎に角、吉行信者がいきなり全共闘運動に遭遇したわけである。抛っておいてくれ、俺にかまわないでくれ、俺は他人に影響を与えたくないし、他人からも影響を受けたくない、などというのは、学生運動の季節には隠者、世捨て人である。というか、そういう人間をも抛っておいてくれないのが、全共闘運動であった。そして、その一年、《抛っておいてくれ》という感性を理論武装することに明け暮れたわけである。
 その当時わたくしは、何から逃げようとしていたのだろう? 集団であることから? 正しくあることから? 人に影響してしまうことから? 人に影響されることから?
 とにかくひとと一緒にいると早く離れて一人になりたい、と思うような人間であったし、人前で自分が正しいと主張することなどは、死ぬほど恥ずかしいことに思えた。また、とにかく自分に自信がなかったから、そういうわたくしのいうことを信じてしまうひとなどがいたら困ると思ったし、自信がないわけだから、そこに強い力で侵入してくるものなどがあればひとたまりもないと思っていた。
 だからこそ「逃げて逃げて逃げまくる方法」(庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」)という言葉にえらく感応したのだと思う。自分のことを普通と思うどころか、自分ひとりが変わっているという劣等感のようなものが強くあった。ある集団にいるとまわりのひとはみんな普通で自分だけがおかしいと思えてしまう。養老氏風にいえば「一人で隅にしゃがんでいる」人間である。
 しかし、いうまでもないが、「一人で隅にしゃがんでいる」生きかたなど進んで選択をするひとはいない。なんとか普通の人間になりたいと思っているわけである。そんなことを思っていてもいなくても社会にでていくならば、否応なしに「普通の人間」にさせられてしまうのかもしれない。しかし、当時わたくしは医学部の一年生で、社会にでるのはまだまだ先の話である。そういう自分にとっての一種の世間として全共闘運動が見えていたのではないかと思う。「逃げて逃げて逃げまく」ったりしていないで、世の中にでていくためのものとして、自分の逃避傾向を打破してくれるものとして、それが見えていたのではないかと思う。事実、わたくしと近い感性であるように見える人が少なからず、運動に参加しているように見えた。そういうひとたちは政治的主義主張を信じているわけではまったくない。しかし、自分が社会から逃げない、逃げるのではなくて社会に出ていくための場として、現実に参加していくための場として、運動を選択しているように見えたのである。アンガージュマンとでもいうのだろうか?
 そういう全共闘運動家というのはとても魅力的に見えた。しかし、小阪氏はそういうタイプには見えない。むしろ「変な社会」にとりこまれないためのやり方として、ある種の世界から「逃げる」ための方法として全共闘運動を選んでいるように見える。それがわたくしが小阪氏の論に感じる違和感の根っこであるのかもしれない。