⑭ 養老孟司 「運のつき」・その2

 養老さんは、自分には《所を得ない》という感覚、《自分が「そこにいて当然だ」と思える居場所がない》いう感覚がある、それは《大げさにいうと「私なんかが生きてここにいて、そのためみなさまにご迷惑をおかけして、まことに相すみません」という感覚なんですよ》というとんでもないことをいっている。まるで太宰治である。「生マレテキテスミマセン」だったかな(「二十世紀旗手」?)。
 自分には帰属感がない。帰属感がないから落着かない。帰属感を与えるのが共同体であるのに、会社(養老さんの場合は大学)にいても、自分がそこにいて「当然」と思えない。私がそこにいる、「それが当然」と思えない。

 だから学生運動にのめり込むなんてことはない。仲間と一緒になら、かなりのことでも実行する。そんな気がないんです。なにしろ「私がご一緒していて、申し訳ありません」なんだから。(中略)
 だから素直に行動している人を見ると、なんとなくうらやましいと思いました。妙な表現ですが、そういう人たちは、後ろ髪をひかれることなく、みんなに混ざっているように見えます。そこには変な反省、遠慮がない。自分が「そこにいて当然」と思っている。その背後には、もちろん周囲の人々、世間、社会が「自分を受け入れて当然」という思いがあるはずです。私が団塊の世代といちばん違うと思うのはそこです。大勢集まって、みんなで竹槍を持つくらいなら、一人で隅にしゃがんでます。

 わたくしが全共闘運動を最後まで傍観することになった理由は、これだなと思う。運動をしているひとたちは、自分より生き生きしているようでうらやましかった。
 わたくしが社会主義とかマルクス主義を信じていなかったのが理由ではない。まわりで運動に参加している人間だって、そんなものを信じてはいなかった、だからその点では差がない。
 大勢が集まるということ自体への嫌悪、集団でいることへの嫌悪というものがあった。しかもそういう集団はとても偉そうにしているということがあった。偉そうな顔をした集団ほどいやなものはなかった。自分たちが正しいと信じられるのが不思議だった。
 養老氏は《どんなに「正しい」目的で行われていることであっても、ある種の「うしろめたさ」を欠いた社会運動を私は疑います》という。この「うしろめたさ」というのが問題で、「うしろめたさ」を原罪といってしまうのは問題であろうが、原罪意識をもつものがもたないものを軽蔑する構造というのは、キリスト教の持ついやらしさの根源である。「哀れなるモノよ」という目でクリスチャンから見られることほど不愉快なことはない。だから「うしろめたさ」を持てばいいというものではないのだが、おそらく養老氏がいっているのは《逡巡》とでもいうようなものなのであろう。《ためらい》である。《ためらう》ことは自分が絶対でなくなることである。自分が正しいとは確信できなくなることである。
 だが小阪氏は「当時の自分たちが正しいことは自明だと考えていた」というようなことをしれっと書くのである。こういうところを読むと小阪氏は随分と鈍い人なのではないかとも思う。小阪氏は自分にとことんこだわる人であるわりには、自分にとても甘い人なのではないだろうか? 全共闘運動は「どう生きるかを問う運動であった」とかいうのだけれど、他人の生きかたには厳格で、自分の生きかたには甘いのではないだろうか?
 養老氏は《「自分が正しいか」どうかではない。「なにが正しいか」です》という。「なにが正しいか」はどこかで科学に、あるいは客観に通じる。「自分が正しいか」は感性に、あるいは主観にとどまる。
 進歩的文化人は「なにが正しいか」を説いていて、「お前は正しいのか?」という問いに躓いた。「お前は正しいのか?」という問いはよく切れる刀であるのだけれど、よく切れる刀は使い方が難しい。下手をすると死屍累々で、あとには誰も残らないことになる。あまり生産的な方向にはいかないことが多い。しかし、一度その切れ味を知ってしまうと次々に使いたくなってしまう。
 養老氏は全共闘運動の中から、そこでおきたことで普遍的なことを探そうとする。小阪氏は、全共闘運動に今意味があるとすればどういうことであるかを探るといいながら、この運動がその当時においては必然であったという一回性にこだわるのである。