石川好 「60年代って何?」

    岩波書店 2006年11月7日 初版
    
 1960年代にアメリカを席捲したスチューデント・パワーの運動は第2のフランス革命であったという主張の本である。フランス革命は政体を変えたという意味で革命であったのではなく、それなしではそれ以降の近代市民社会が成立することはなかった「自由・平等・博愛」というスローガンを打ち立てた点で、革命であったのだという。ロシア革命も「自由・平等・博愛」というスローガンの中に包摂されてしまうものであった。
 一方、1960年代アメリカのスチューデント・パワー運動のスローガンは「ラブ&ピース」。しかしこれは「愛と平和」ではない。LOVEはフリー・セックス=性の解放であり、PEACEは反戦であり、「性の解放」と「反戦」がそのスローガンだった。ところが、同時期の日本の学生運動は「反戦平和」と「大学解体」だけであった。LOVEは含まれなかった。その違いは、アメリカではFUCKという言葉が音声表現としても解禁されたのに対して、日本ではオ×××と4文字言葉が(読物の中ではでてきても、音声としては)解禁されなったことに表れてきている。そのかわりが「とめてくれるなおっ母さん」である。それは天皇制とかかわるのだというのが石川氏の見立てである。
 1960年代に大学時代をおくった二人の男、ビル・クリントンジョージ・ブッシュがともにアメリカ大統領となっている。クリントンは60年代学生パワーの側の人間であり、ブッシュはそれに対する反動であると、石川氏はいう。ジョージ・ブッシュを支えるネオコンは60年代左翼の転向者たちである。もちろんクリントンは学生パワーそのものではない。60年代のラディカル・リベラリズムを本来のリベラリズムに戻そうとしたのであり、一方、ブッシュは60年代ラディカル・リベラリズムへの嫌悪から、アメリカ本来のリベラリズム保守主義さえ否定し、ラディカル・コンサーヴァテヴとなったという。いずれにしても、60年代のラディカル・リベラリズムクリントン政権を作り、ブッシュ政権も作ったのだという。ところが日本の60年代の学生運動はその後の日本の政局にほとんど影響していないと石川氏はいう。
 アメリカのベビーブーマーを育てる上でのバイブルになったのが「スポック博士の育児書」であった(1946年刊)。5千万部売れたのだそうである。これは平和主義の書でもあった。親は子供に対して絶対的抑圧的であってはならず、子供を尊重し、対等なものをして扱うことを薦め、罰するよりも褒めることを良しとした。この育児書は後に、過激なベビーブーマーを作ったとして保守派からの激しい攻撃を受けた。
 ベビーブーマーたちは1965年ごろから大学に進学しはじめる。ところが1963年ごろからベトナム戦争がはじまっている。
 60年代までのアメリカは、性が極めて抑圧された社会であった。これはアメリカを作ったのがピューリタンであるからというのが公式見解である。しかし、本当は、アメリカが移民によって作られた国だからである。移民による開拓は屈強な男の仕事である。開拓当時のアメリカは圧倒的に男が多い社会であった。そこでは「花嫁募集ビジネス」が成立するとともに、娼婦たちも多く海を渡った。
 開拓時代に定住などはありえなかった。次々と移動しながら、子供を産み続けるのが妻の仕事であった。労働力として子供は多ければ多いほどよかった。また縁もゆかりもない土地で頼れるのは家族だけである。それがアメリカの「良妻賢母」神話を生んだ、というのが石川氏の主張である。こういうタテマエへの反撥が60年代のウーマンリブ運動であったという。1963年のB・フリーダンによる「新しい女性の創造」は家庭や子育てから解放された女性を主張するものであった。しかし、まだ性の解放を主張するものではなかった。ほどなく女性の運動は「快楽のための性」にいたるのであるが。
 アメリカでは大統領選挙や最高裁判事の選任において、中絶に賛成か反対かがつねに問われる(ちょうど、日本で靖国公式参拝が問われるように)。
 1964年アメリカで公民権法案が成立している。人種差別の問題と関連したことがアメリカの女性解放運動を腰のすわったものとした。またアメリカの反戦運動は「殺すな!」ではなく「自分が死にたくない!」という運動であったから本気度が違った。
 しかし、性を解放して家族や国家を維持できるか、戦争という国家のみにゆるされる暴力行為を国民に否定されたら国家はどうなるのか、という問題がそこからでてくる。
 ともかくも、60年代は学生たちによってFUCKされた時代なのである。
 ベトナム戦争は市民の抵抗によってやめざるを得なくなった。これは成熟した市民社会でしかおきないことである。しかし、これは国家にとって大きな教訓となった。その後の湾岸戦争イラク戦争ではメディアは徹底的に規制されている。
 カーランスキーによれば、1848年の革命とちがって1968年のそれは、ヨーロッパのみに限定せず、世界で広範におき、しかも無名のばらばらな個人が立ち上がったという点で特異なものであった。それを用意したものは、1)公民権運動、2)いかなる権力も拒否する世代の存在、3)ベトナム戦争、4)テレビ時代、であった。
 反戦運動公民権運動が結びついたことが、60年代のムーヴメントが盛り上がった最大の原因である。何かに参加すること、行動することを求めた学生たちの行動が、テレビを通じて世界中に感染したのだという。
 作家のノーマン・メイラーは「ベトナム戦争公民権運動を抑圧するために継続されているのだ」と主張していたという。石川氏もその見解を支持する。
 石川氏は、市民社会がすでに形成されてしまえば、フランス革命ソビエト革命のような倒すべき権威はすでになくなるという。市民社会では銃からは何も生まれない。選挙で政府を倒すことができるから。そのような社会において、選挙以外の方法で政府の最終意思である戦争をやめさせるというのは、市民社会における革命である、という。
 60年代の女性と黒人の解放を可能にさせたのはFUCKという音声である、と石川氏は主張する。そしてその運動を終結させたのはベトナム戦争終結であり、そのあとに、多くのアメリカ人に、反戦運動公民権運動、性の解放の運動への反感を残したという。「イージー・ライダー」の最後によくその心情が現れている。
 
 60年代の世界的な変動が、アメリカの公民権運動を震源地をするという石川氏の主張がどの程度の創見であるのかはわからない。そして60年代革命?のLOVE&PEACEのスローガンがその後のわれわれをどのくらい変えたのかもわからない。しかし、20歳の時の自分と現在の自分をくらべてみて、性というものへの見方は同じ自分であるとは思えないくらい変ってしまっているのを感じる。別に解放されたとも思わないけれども、20歳ごろのほうが今よりはるかに窮屈に考えていたことは確かである。それは日本における平均的な変り方を追従しただけなのだろうか? それはわからないが、何時とはなしに変ったのであり、ある日考えを変えたといったものではないことは確かであるように思う。
 それなら日本の変化はアメリカ発信のLOVE&PEACEのスローガンによるのだろうか? どうもそれはあまり関係ないような気がする。アメリカにおいてはLOVE&PEACEが一つの思想運動でありえたとしても、日本においてはそういう眦を決した運動としてLOVEなどといわれたことはないように思う。アメリカでは「PLAYBOY」誌も一つの対抗運動であったと思われるが「平凡パンチ」がそうであったとはとても思えない。それは日本ではもともと性の抑圧などということは余りなくて、当時そのようなものがあったとしても明治維新以来の西欧受容にともなう付け焼刃に過ぎなくて、ただそのメッキがはがれただけだからなのではないかという気がする。だから、なし崩しに抑制が取れても、それを遺憾に思って反対運動するものもあまりなく、現在のブッシュ政権のような道徳主義的なゆり戻しがあまりおきないのではないかという気がする。
 68年ごろの日本の学生運動アメリカの公民権運動などがどの程度影響したのかはよくわからないが、あまり影響しなかったのではないかと思う。特にLOVE&PEACE的な、ジョン・レノンオノ・ヨーコのベッドインのような「最大の反戦運動は男と女が愛し合うことである」というような路線は天からバカにされていたように思う。要するに思想がないというわけである。
 人種差別というものが表面だった問題としてはでてこない日本では公民権運動があまりピンとこないということもあるかもしれない。本書にも書かれているように日本では男女の力関係において、アメリカと違い、多くの場合財布の紐は女が握っていたということもあるかもしれない。要するに、当時のアメリカと違い明白な人種差別がなく、アメリカほどの男女格差もなく(という点にはいろいろと議論があるだろうが)、自国が戦争をしているわけはないという点で、アメリカほどの切実さで運動が行われる必然性はなかったということかもしれない。そのような切実さを欠く点が、日本の学生運動が観念的になりがちであった原因だったのかもしれない。
 カーランスキーのいう4条件、1)公民権運動、2)いかなる権力も拒否する世代の存在、3)ベトナム戦争、4)テレビ時代、の内、1)は日本には存在しなかった。3)は日本が関わっていたとはいえ、自国の戦争ではなかった。4)のテレビ時代は日本もそうであったが、問題は2)であって、なぜいかなる権威・権力にも反対する世代が世界各地に同時に出現したかである。それについては本書ではほとんど検討されていない。本書が主としてアメリカを論じる本であるので仕方がないところであろうと思うが、この問題については確実な答えはまだどこからもでていないのではないかと思う。おそらく鍵はこの運動が世界で広範におきたといっても、ある程度近代市民社会といわれるものが成立したところでおきたということにあるのではないかと思う。つまり「自由・平等・博愛」という理念が受容されていないところでは、学生たちの反乱はおきなかったということである。とすれば、これは世界各地でおきたとしても、西欧的価値観の中でのできことなのである。「自由・平等・博愛」というスローガンは決して普遍的な真理ではなく、イスラム世界においては受容されないのではないかと思う。男女が平等であるべきであるということも、ここ何世紀かの西欧文明圏にだけ見られる奇習であるのかしれないのである。
 日本における60年代の学生運動も「自由・平等・博愛」というフランス革命の理念の延長線上で展開されたのであるとすると、新しいスローガンは打ち出せなかったのかもしれない。まだアメリカの運動のほうが、新しいスローガンを出し、確実に何かを破壊したのかもしれない。大きな破壊の後には反動がくる。今のアメリカの政権はフランス革命への反動のナポレオン帝政のようなものなのかもしれない。
 「スポック博士の育児書」についての話が個人的には面白かった。父は小児科医であり育児を専門にしていた。その蔵書にあったところどころ書き込みがしてある「スポック博士」でみてみると、日本での翻訳刊行は1966年である。翻訳者もこれがある意味で思想的な本であるという意識はまずないように見えるし、日本でそのような受けとりかたはされていなかったのではないと思う。父にしても育児書が思想書でもありうるというようなことは考えてもいなかったのではないかと思う。スポック博士にしても(そして父も?)良妻賢母を当然の前提にしていたのではないかと思う。未婚の母、離婚してシングル・マザーというような存在は前提にしていないように思う。「両親が離婚した場合」という項目はあるが、かなり離婚する人間に冷たい印象である。要するに家庭というものがうまくいっていることを暗黙の了解としている。だから、「スポック博士」は後年、保守派から袋叩きになったのかもしれないが、同時にフェミニズム運動のほうからも攻撃されたのではないかという気がする。
 日本の60年代を考える上で何か参考になるかなと思って購入したのだが、本書はむしろ、現在のアメリカと考える上で何かと参考になる本であると思った。現代のアメリカを見る上でなかなか卓抜な視点を提示している本であると思う。


60年代って何? (双書 時代のカルテ)

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