池田信夫 与那覇潤 「長い江戸時代のおわり 「まぐれあたりの平和」を失う日本の未来」(2) 「自民党一強」はいつまで続くか (ビジネス社 2022年8月)
21年の選挙で立憲民主党が惨敗した。岸田氏は往年の「宏池会」よりは大分右であり、 氏は2015年の安保法制問題で外相として集団的自衛権の行使を容認した。当時の安倍首相は自民内でも傍流で、平成の半ばまでは極右の変な政治家という扱いだった。(池田氏)
2006年、安倍氏の『美しい国へ』が文藝春秋社から刊行された時、わたくしは読まなかったけれども、その内容はいろいろなところから聞こえてきて、「まあ、なんというナイーブ、なんという空疎」と思って、安倍氏をまことに失礼ながら「単純なバカ」と思った。
1976年の選挙で、革新自治体を主導して勢いがあったはずの共産党が大敗した。このころから無党派層は「革新より保守に期待する」傾向になって来ている。(与那覇氏)
そのころ10年ほどはうまくいっていた革新自治体の運動がなぜうまくいかなくなったのかがよくわからない。
当時わたくしは、これは共産党の巧妙な戦術だと思っていて、社会党と共同してある程度運動が成功したら、共産党から社会党に理論闘争をしかける。一枚板の共産党とてんでばらばらの社会党では共産党が勝つにきまっているから、まず地方自治体を自党の支配におき、そこから中央を攻めていく、という共産党の巧妙な戦略なのだと思っていた。
池田氏によれば、これがうまくいかなくなったのは、専従活動家が多い共産党が社会党の地盤を食い荒らしたためなのだという。
そうであるなら、当時にくらべて格段に足腰の弱っている社会党→立憲民主党も、専従活動家の高齢化が進む共産党ともに将来の展望は絶望的ということになる。
平成の野党は「非自民・非共産」で無党派層の動員を図ってきたが、2015年の安保法制でスイッチを逆にいれてしまった、そう池田氏はいう。「憲法9条を守れ」という亡霊が復活してしまったのだ、と。
池田氏はいう。中国や北朝鮮の脅威が現実に存在し、日本から戦争をしかける可能性のない時代に、昭和の護憲論を持ち出しても勝てるわけがないと。
これがおきたのは「平和勢力」「戦争勢力」という亡霊が「革新」側の人の頭から消えないためではないだろうか? 要するにマルクス主義の立場から見ると、戦争というのは資本主義=帝国主義方の勢力がもたらすのであり、反=資本主義の陣営が世界の大半を占めるようになれば、世界から自ずと戦争はおきなくなるということを本気で信じているひとが当時はたくさんいたからであり、いまでもまだいるからではないだろうか?
朝鮮戦争は北からしかけたことを知って、茫然自失、言葉をうしなった「進歩的文化人」が当時たくさんいたらしい。
さてここからが問題。
池田氏。「自民党というのは江戸時代の延長戦上にでてくる「日本の伝統社会の縮図みたいな政党でしょう。・・・政治学的に言うと、1955年に「小農の味方の党」として出発したということです。」「戦後、GHQによる農地改革で地方から大地主がいなくなり、大量の「家族経営の自営業者」としての自作農が生まれていた。」
与那覇氏。「これは近世史では「百姓成立(ひゃくしょうなりたち)」といわれるものに近く、「庶民が一家ごとに「普通通りの仕事をすれば、食べていける」状態を維持することが為政者の任務になる。江戸時代の一揆も「ちゃんとたべさせろ」という主張であり、武士政権の転覆などは夢想だにしていなかった。」
つまり、日本の現在の基幹になっている制度はアメリア占領軍が作ってしまったことになる。しかし、そのことによって、日本は「江戸回帰」してしまった。
それが60年代の高度成長期の農村人口の都市への移動がおきたのだから、野党にもチャンスがきたわけて、事実、「革新自治体」も生まれた。
しかし80年代には逆に保守回帰が進んだ。それは世界的に資本主義の優位性が明らかになってきて、「社会主義への移行」というスローガンが力を失ったからでる。
この時ヨーロッパの左翼は現実主義へと舵をきったが、日本では「護憲平和」がスローガンになって、これが野党を衰弱させた。安保法制の時、民進党(当時)は「護憲」に先祖返りしてしまい、共産党と組んでしまった。これが21年の敗北につながる。
それに対しドイツの緑の党はうまく軟着陸した。
しかし立憲民主党は昔の社会党に戻ってしまった。
要するに、日本ではマルクスの亡霊が未だに「左」のひとにとりついているのだと思う。かれらは単に少しずつ社会を改善していくことには興味がもてず、一気に天国がくるという夢物語をどうしても捨てきれない。
そのようにして、もし「左」が急速に衰微していくならば、今度は保守の側が二つに割れて政策を競いあうことになるのだろうか? しかし、わたくしにはそうなるようには思えない。「古きよき日本の家族制度」などという政策以前のノスタルジアをめぐっての争いになるような気がする。「マルクス」対「古き良き日本」の不毛な対立。しかしそれでも日本はまわっていく? 実務家が優秀だから?
次は第3章「経済」 「円安・インフレ」で暮らしはどうなるか
20歳ごろ、「サミュエルソンの経済学」で挫折した人間に理解できるだろうか?