M・リドレー「やわらかな遺伝子」(3)第3章「語呂のいい便利な言葉」

  紀伊國屋書店 2004年5月
 
 「語呂のいい便利な言葉」とは原著のタイトルでもある「Nature via Nurture 」のもとになった「Nature vs Nurture 」「生まれか育ちか」である。それをもじって「生まれは育ちを通して」というタイトルとしたわけである。Nature と Nurture はとても似ている。これはダーウィンのいとこで優生学の提唱者であるフランシス・ゴールトンの言葉である。ゴールトンは勿論、「育ちより氏」派である。優生学ナチスとの結びつきをいつもいわれるが、レーニン毛沢東などの環境決定論者の圧政の後にあっては、われわれは社会のいいなりになる存在ではない、という真理をゴールトンはいち早く指摘したひとでもあると著者はしている。
 ゴールトンは一卵性双生児研究のパイオニアでもあった。ヒトは双子が多くみられる種である。マウスでは一卵性双生児は知られていない。
 最近の一卵性双生児研究では、非常に多くのものが遺伝に大きく影響されることがわかってきている。たとえば、宗教における原理主義的な傾向は一卵性双生児では相関が62%であるが、二卵性では2%。宗教とは文化の産物とばかりはいえないのである。従来経験によって作られるとされていた子供の性格は、ほとんどが遺伝によることが明らかになってきた。遺伝の影響が40%、家庭環境は10%以下、病気や事故なので個人的な環境が25%、残りは誤差である。
 子供の性格がほとんど家庭環境と関係しないというのは、フロイトの学説からは衝撃的な結果である。その科学的な基礎についてはまだ何もわかっていないに等しいが、第11染色体上にある、脳由来神経栄養因子(BDNF)を作る遺伝子の192番目の文字がGではなくAであるひとがいて、そのためアミノ酸がバリンでなくメチオニンとなることがある。われわれは遺伝子を1対持つから、メチオニンが2つタイプとバリンが2つタイプ、それぞれが一つづつのタイプの3種がありうる。神経症的な傾向は、メチオニンが2つ<メチオニン・バリン<バリンが2つの順で強くなる。この遺伝子は鬱病との関係も知られている。DNAの綴りの変化が性格の変化をもたらすらしい。
 双生児研究で人間の行動で遺伝性の低いものもみつかった。たとえばユーモアのセンス。また食べ物の好み(これは初期の経験に大きく依存する)。
 双子の研究は知能というものが存在することをはっきりとしめした。しかしIQを規定する遺伝子の探索は失敗の終わっている。現在知られているものとしてはっきりとしてにるのは脳の大きさで40%の相関。また灰白質の容積との相関もみつかった。性格と違い、知能は家庭環境の影響をうける。またIQは年齢とともに遺伝子の影響を強くしめすようになる。西洋社会では20歳未満では遺伝子の寄与は40%、それが徐々に80%に近くなっていく。
 
 「生まれは育ちを通して」とはいいながら、本章を読む限りは、育ちより氏である。著者もいうように、均衡化した社会ほど遺伝子の影響が強くでる。格差が大きい社会では、経済力の差が遺伝子の因子を消してしまう。つまり平等な社会においては、先天的な能力差がその社会の差を決める最大の要因となる。これは民主主義の根源的な矛盾であるのかもしれなくて、だから、運動会で一等賞を作らないといったことにもなる。
 中井氏の「清陰星雨」(みすず書房 2002年)id:jmiyaza:20020409 に、違った行動を求める遺伝子の構造が解ったと書かれている。ある遺伝子の一部の内容の繰り返しが1回(くりえしなし)から8回までの違いがあり、転職・転居の多いひとは6回とか7回、一カ所にじっとしているひとは2回から4回といったことが紹介されている。そこからが中井氏の見解だが、故国を捨てた白人が作った国であるアメリカには、繰り返しが多いひとが多く、鎖国時代に日本を捨てたひとが出ていったあとである日本などは、繰り返しが少ない人が多いであろうという。国民性というものをそのようなところから説明できるのではないか、と。だからよりよいチャンスをもとめて転職するひとが肯定されるアメリカ形のシステムを日本に入れてもうまくいかないのではないかとし、終身雇用制は日本人にはあっているのではないかとする。
 獲得形質は遺伝しないわけであるから、日本人と中国人の平均的な違いをつくるのは文化であると(つまり育ちなのであると)通常はされるのであるが、こういうところも遺伝的なもの(つまり氏)からも説明できるのかもしれない。
 わたくしは「日本の国柄」と言った言葉が嫌いなのだけれども、日本人は欧米人に比べると「草食系」ではあるのかもしれない。
 ユダヤ人が世界中に拡散して生きているのもひょっとするとこういう遺伝子の背景だってあるのかもしれない。第一次大戦前後の西欧の知識人をみていると、多くのひとが(ユダヤ系のひとが多いのかもしれないが)故国をはなれ英国や米国で生きる選択をしている。日本の知識人で亡命という道を選んだものはきわめてすくないのではないだろうか? 
 

やわらかな遺伝子

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清陰星雨

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