J・R・ブラウン「なぜ科学を語ってすれ違うのか」(5)幕間:フラー「我らの時代のための哲学史」など

 
 ブラウンの本のクーンにかんするところを読んでいて、思い出して本棚の隅から引っ張り出してきたフラーの「我らの時代のための哲学史」をぱらぱらと見ていたら面白くてついつい第2章まで(約200ページくらい)読んでしまった。それでそれに関連して、ポパーの「果てしなき探求」、ラカトシュらの編の「批判と知識の成長」、ファインマンの「光と物質のふしぎな理論」、はてはヤンマーの「量子力学の哲学」などまでもち出してきて、ぱらぱら再読してみることになった。
 それで感じたのが、ブラウンの本よりもフラーの本の方がずっと柄が大きいというか射程が長いということであり、クーンよりもポパーのほうがやはりずっと大物だというようなことである。どちらのいっていることが正しいかというのではなく、それぞれの持っている問題意識の射程の違いである。クーン流のいいかたでいうと、ブラウンの本は「通常科学」の範囲内で書かれている。ブラウンがいう「正統派科学」は、人文科学の世界と違い「自然科学の世界では学者同士で見解は違っても用いる方法論では合意がある」とするクーンの出発点の「方法論」のことなのであると思う。ブラウンはその方法論の明らかに外にあるはずのフェミニズムをあわせて論じたりするので論旨がくしゃくしゃになるが、一番擁護したいのはこの「自然科学者に共有されている方法論」なのである。それは相対的なものではなく絶対的なものであるとしたいというのがブラウンの執筆の第一の動機であろう。つまり姿勢が防衛的なのであり、保守的ということになる。もちろんクーンだってそれを守ろうとしているし、ポパーもまた同じである。しかしクーンは「通常科学」としていわば「根拠がないものである」にもかかわらずそれをまもろうとしているのに対して、ポパーはそれがわれわれの持つ方法の中で唯一独善的でなく批判的でありうる方法であるからこそ守ろうとしているのである。それならブラウンはなぜそれを守ろうとしているのかといえば、ポストモダンみたいなひねくれた物の見方をしなければ、それが正しい行き方であることは自ずとわかるではないかというような感じなのである。左派を自称するポストモダンの連中がわけのわからないことをごちゃごちゃいうから左派の権威が失墜した。ああいう連中にひっこんでもらえば自然に左派の権威は回復するという論理である。それならば左派であることはなぜ肯定されるのか? それについてはブラウンはほとんど疑問を抱いていないように思える。この点については、ブラウンは独善的で非=批判的なのである。
 フラーが自分の蔵書のなかで今でも一番書き込みの多い本であるというクーンの科学論に対する論をおさめた「批判と知識の成長」に収められたポパーの「通常科学とその危険」という論文は、クーンを子供あつかいしているような感じである。ポパーはいう。「クーンの意味での「通常」科学は存在する。それは非革命的な、もっと正確に言うと、あまり批判的でない専門職業的な活動、時代の支配的なドグマを受け入れ、それに挑戦しようとはせず、他のほとんどすべての者が受け入れようとする場合だけ新しい革命的理論を受け入れる科学者の行動である。・・それが私の好まぬ現象である(なぜなら、私はそれを科学にとって危険なものとみなすから)のに対して、彼(クーン)は明らかにそれを嫌っていない(なぜなら、彼はそれを「通常的」とみなすから)。・・私の見解では、クーンが叙述しているような「通常」科学者は、憐れむべき人物である。・・「通常」科学者は、私の見解では、まずい教育を受けた。・・彼はドグマ的精神において教え込まれた。彼は教化の犠牲である。彼はなぜかという理由を問うことなく応用できるテクニックを学んだ。その結果として、彼は私が純粋科学者と呼ぼうと思うものと正反対の、応用科学者と呼びうるものになった。彼は、クーンが言っているように、「パズル」を解くことで満足する。・・それは、お決まりの型にはまった問題、学んだことを応用するという問題である。」 フラーの本はまだ三分の一くらいまでしか読んではいないが、フラーのいわんとしていることのエッセンスはこのポパーの視点であると思う。
 ここでポパーがいう純粋科学者などというのは現実の世界にはほとんどおらず、大部分の科学者は応用科学者なのであるから、「ポパーは自然科学の学問の世界の現実をみていない」という批判は当然であり、クーンこそが科学者の実際に則したことをいっていることになる。しかしポパーがいっているのは、現実がそうであるということと、それが望ましいということとは違うのだぞ、ということである。フラーがいっているのも、クーンが科学者共同体のありかたをそれが現実であるとして肯定してしまったことへの批判である。
 ポパーは専門化の増大を「科学にとっての危機」「われわれの文明にとっての危機」であるといっている。最近ニュートリノが光速よりも早く飛んだという実験結果が報道された。それの意味といったことはわたくしにはさっぱりわからないけれども、これが本当であれば相対性原理が否定されるのだそうである。これを見てまず思うのがポパーのいう「反証理論」が嘘の皮であるということである。反証が一つでもでれば法則は否定されるなどということがないことがよくわかる。ラカトシュのいうように「ハードコア」のわまりには強固な「防衛帯」がある。この発見?はある別の目的の実験の副産物として得られたのだそうである。つまり相対性原理が正しいかどうか検証してやろうなどという意図でおこなわれてものではまったくないということである。むしろ別の目的の実験をしていたら変なことが見つかってしまって困ったという感じである。われわれは世紀の発見をした、と意気揚々と発表するなどという印象を少しも感じない。みなさん信じたくないでしょうけれどもおかしな結果がでました。変ですよね、だからわれわれは意味づけをしません。ただ淡々とデータのみを発表します。そんな感じである。つまり「通常科学」の中で「パズル解き」をしていたら「パラダイム」の枠組みを壊しかねない変なデータがでてきてしまいました。みなさんの平和を壊しかねないデータですみません、という感じである。「パラダイム」の枠組みがこわれてしまえば、みな安心して「パズル解き」で遊ぶわけにはいかなくなるわけである。ポパーが批判しているのはまさにこの点で、科学者が「真理」の追求者ではなくなり、「パズル解き」に熱中するオタクであってはいけないということである。
 またこの実験はものすごく費用がかかるものなのではないかと思う。現代科学というのはとんでもない費用をかけないと結果がでないものが多くなってきた。その費用を公共に請求する理由が「真理」の探究であり、実際にしていることが「パズルを解く」遊びであるならば、それを正当化するものは何かというのがフラーの問題意識であるようである。
 養老孟司氏の初期の本のどこかに、どんな些細なことであっても、あることを見つけた「ユーレカ!」という喜びは人を中毒させるという作用があるというようなことがあった(今、少し探してみたのだがどこだかわからなかった)。そのころ養老氏はトガリネズミのヒゲの研究をしていたはずである。その当時を回顧して養老氏はいう。「すでに当時の大学では、学問とか、真理の追求とかいった言葉が、タテマエになっていたんです。だから学生に対して、説得力がなかったんですよ。真理とか学問とか、そんなこと、いくらいっても、いってる本人だって、どこまで本気かわからない。でも私自身の研究は本気でしたよ。だから研究室を追い出されたとき、本気で腹を立てました。」 トガリネズミの研究にはあまりお金はかからないのかもしれない。あるいはお金がないからトガリネズミの研究をしていたのかもしれない。しかし巨大加速器を用いた研究などというのは金食い虫の最たるものらしくて、しかもそれがないと物質の究極の姿の研究はできないらしい。クーンの文脈では、そのころ養老氏がしていたことも「通常科学」の枠組みの中での「パズル解き」の一つということになるのではないかと思う。その後、養老氏は「科学」の枠組み自体を問う方へと立場を移した。それは研究室を追い出されてそれしかできることがなくなったということであるのかもしれないのだが。
 フラーの本では、科学が自分自身の行為を正当化できるかという問題は主としてマッハとプランクの対立として論じられている。わたくしはポパーの本のなかでマッハが「客観性」を否定し、「真理」を否定し、「道具主義」に近い立場に立ち、「相対論」に道を拓いた「敵方」として描写されていた姿からマッハを理解していたので、そのマッハがフラーによってポパー側の人間として描写されていたのが意外であった。
 ポパーはいう。「エルンスト・マッハに比肩しうるほどの知的衝撃をニ十世紀に与えた人はほとんどいなかった。彼は物理学、生理学、心理学、科学哲学、純粋哲学に影響を与えた。・・原子物理学の若い世代へのマッハの影響力がきわめて有力になったことは、まことに歴史の皮肉の一つである。それというのも、彼は原子論と物質の「微粒子」説に対する熱烈な反対者で、バークリと同じようにこれらの理論を形而上学的なものとみなしたのだから。マッハの実証主義の哲学的影響は若きアインシュタインによって大いに広まった。だが、アインシュタインはマッハの実証主義を放棄した。その理由の一部は、マッハ実証主義の帰結のいくつかを愕然として悟ったからである。(ボーア、パウリ、ハンゼンベルクを含む次の世代のすぐれた物理学者たちは、その諸帰結に気づいたばかりでなく、これを喜んで受け入れた。彼らは主観主義者になった。) しかしアインシュタインの撤回は遅すぎた。物理学は主観主義の拠点となり、それ以来ずっとそうであり続けた。」
 私見によればポパーの生涯最大の野望は転向後のアインシュタインが正しかったことを示し、物理学に客観性をとりもどすということであったのではないかと思うのだが、それについに成功しなかった、あるいは端的に失敗したのだと思う。
 フラーによれば、マッハは「思考経済」に価値をおいたのだそうである。わかりやすくいえば「科学は労働を節約するための抽象的な道具」である。人間の能力を他のことにまわせるようにするための手段である。アカデミックな科学の営み自体がひとを気高くするものとは考えなかった。「好奇心」という言葉で己を特権化するような科学者の性向を笑いさえした。マッハは人間の生き残りを第一の目的とし、それに役立つか否かで自然科学をふくむさまざまな知的活動の価値は決定されるべきであるとした。学問のための学問といったものは否定した。マッハによれば運転免許をとるために自動車整備工の知識をもとめるの馬鹿げている。科学の目的は次世代が楽をできることである。しかしプランクによれば、科学の使命は物理的実在の統一理論に到達することである。科学はそれ自身の権利で追及される目的であるとした。マッハによると、専門分化が進むとどんどんと収量は逓減してくる。どうでもいい変則的な知識が集積され全体像がみえなくなる。マッハは科学の権威が過度に広まることを懸念した。
 問題は科学が自律的なものであるかということだとフラーはいう。科学は合理的世界像を提示するという点で特権的な地位を社会のなかであたえられているという考えと、科学は役にたつことがなくなると存在根拠を失うという見方と。
 ここにフラーが提出しているようなマッハ像がポパーに親和的であるかどうかはよくわからない。しかし科学を特権的なものとしないという点では共通しているのかもしれない。マッハによれば役にたつという目標をうしなって自己目的化した科学は駄目な科学であるのだし、ポパーによれば批判精神を失った科学は駄目な科学である。
 ポパーによれば批判精神というのはあらゆるものを対象にするのだが、ブラウンによると批判精神というのは左派のものということになってしまうようである。ポパーのほうがやはりずっと柄が大きい。
 

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