片山杜秀「ゴジラと日の丸」(2)

 文藝春秋 2010年12月
 
 2000年10月18日の日付の『指圧の心、母心。浪越徳治郎は真に六〇年代的な偉人だ』というコラムについて。
 浪越徳治郎といっても今の若いひとは知らないだろうし、1963年生まれの片山氏が知っているのが驚きなのだが、わたくしの世代のひとは覚えているかもしれない。わたくしが覚えていることについては特殊な事情があって、父が小児科医で、今から思うとまだずっと牧歌的であったそのころのテレビのワイドショウ(といったように思う)には「育児」のコーナーといったものがあって、そこに出演していたのである。そしてその別のコーナーには指圧もあって浪越徳治郎というおじさんというかお爺さん(当時既に還暦過ぎとある)がでていたのである。このコラムはその浪越さんが2000年9月に94歳で亡くなったことをきっかけに書かれている。
 さて片山氏によれば、『東洋医術は日本では明治の文明開化で日陰にやられた。何が何でも西洋文明に西洋医術! そんな時代が続き、やっと東洋医術が反撃に出たのは、日本が東洋的価値観に目覚め対米戦争に雪崩れ込む頃。そのとき東洋医術のイデオローグ、高田鄰徳はこう述べた。― 西洋医術は部分医術だ。耳鼻科、泌尿器科云々と人の身体を細かく割り、胃病なら胃を専ら治療する。対して東洋医術は全体医術。それは人の身体を一個の有機体と捉え、病気とは身体全体のバランスが崩れて起きると考える。よって発症箇所だけ治しても、崩れた身体バランスをチューニングし直さなくては、必ずどこかに再発してくる。そこで東洋医術は、発症部位の治療法よりも、根本治癒のためのボディ・チューニングをこそ発達させた。それが指圧や鍼灸である・・・。/ そして高田は、全体は常に部分に優ると宣言し東洋医術の全面勝利を夢見た。』 だが日本は戦争に敗れ、西洋文明はより絶対化されてしまった。しかし1960年代後半、公害や薬害が続出し、西洋型科学文明への疑問が広がった。そこですかさず登場したのが、浪越氏というわけで、薬などなくても指で健康は保てるとして時代の寵児となったと片山氏はいう。今の日本で指圧がポピュラーなのはその頃の浪越氏の活躍に負うところが大きいのだという。なおタイトルは「指圧の心、母心、押せば命の泉湧く」というのが浪越氏のトレードマークというか、その指圧コーナーの謳い文句だったことによる。
 これ、昨日論じた「「大東亜戦争」の本質は合理と非合理のジレンマなのだ!」というコラムに連続しているように思われる。『「大東亜戦争」は、明治維新以来、蓄積された、西洋文明への日本人のイライラの爆発だったと思っている』と氏はしていた。『日本人は、あらゆる分野で、明治維新以来、曖昧さを愛する東洋の伝統と、曖昧さを排除する西洋文明の合理精神とに引き裂かれてき』のだ、と。
 片山氏がいっているように1960年代後半にはカウンターカルチャーが活発化し、世界中の人々自然食だ、タオだと騒いだ。日本で指圧が流行ったはそのごく末端の話であって、ニュー・サイエンスあるいはニュー・エイジ・サイエンスと呼ばれたものが一部でもてはやされた。その時の敵役がデカルトであり、還元論的思考と呼ばれるものであった。物事を細かく分けて見ていくという思考がだめなのであって、それでは全体が見えなくなるというのである。
 実はわたくしもニュー・サイエンスのあたりを結構面白がって読んでいたくちなので、本棚には何冊かその系統の本がある(なんでそんなものを読んでいたかというと、正統的な医学というのはどうもつまらないなあと思っていて、G・ベイトソンなどを面白がっていたためだろうと思う)。
 たとえばアーサー・ケストラーの「ホロン革命」である。そこには「還元主義は疲れた旅人を救わない」などという章がある。人間は「複雑な生化学システムに過ぎない」といった見方が厳しく批判されている。ホロンというのはギリシャ語のholos=全体からきている言葉らしい。不思議なことに反=還元論のひとは反=ダーウィニズムにいくことが多く、ケストラーも獲得形質が遺伝するということにこだわったひとだった。獲得形質の遺伝ということでいえば、かって地球上に存在したソヴィエトという国で一時正統的な説とされたルイセンコ学説を思い出す。獲得形質は遺伝するかしないかのどちらかであって、いくらしてほしいと思ってもしないのであればそれまでであるが、ケストラーには、獲得形質が遺伝しないと人間の尊厳が保てないと思われたようなのである。そしてソヴィエトという国にとっては獲得形質が遺伝してくれないと永遠に思想教育を続けなければいけないのでは堪らないと思われたようなのである。獲得形質は遺伝しなくてもドーキンスミームでいいのではないかと思うのだが(ミームをいっていたころのドーキンスはまともだったなあと思う)、西洋はキリスト教の上になりたってきた社会だから人間と人間以外の動物は画然と差があるものとされるわけで(エックルスというノーベル賞を受賞した脳科学者は、人間の胎児の何週目かに神様が魂を注入するのだといっていた)、ダーウィニズムというのは西欧の鬼門なのである。
 またカプラの「タオ自然学」である。これなど本当にナイーブな本で、カプラという人は理論物理学を勉強したひとらしいのだが、現代物理学と東洋の神秘思想の関連を説くのである。量子力学のおける観察者問題といったことが格好の話題になるわけで、こういう問題はすでにヒンドゥー教、仏教、タオイズムなどの神秘思想で言われていたことなのであり、その神秘思想の世界観と現代物理学の世界観は一致するのだという。
 片山氏の論ではいわれていないが、いわゆる「サイエンス・ウォーズ」の問題というのもあるわけで、西洋科学というのは西欧という地域でのみでなりたつ普遍性のない地域文明に過ぎないという主張で、こういうのに対しドーキンスが荒れ狂って怒るわけである。
 ビルの10階から飛び降りれば大抵の人間は死ぬ。肉体が物理科学法則に制約されているからで、しかし人間は肉体だけではないぞと思うひともいて、「人は死なない」などということを言い出す。「人は死なない」のだから、犬や猫は死ぬのであろう。
 高田鄰徳の論というのを見てびっくりしたのだが、今でもまったく同じ論をつかって、統合医学とか全体医学とか言っているひとがいるわけである。浜のみさごは尽きない。

ホロン革命

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