片山杜秀「ゴジラと日の丸」

 文藝春秋 2010年12月
 
 二年ほど前に刊行されたコラム集で、95・02・08の日付の「何が危機管理だ! 東京直下型大地震を管理できるものならしてみろよ!」という神戸の地震の後に書かれたコラムにつき、東日本大震災の後にここで言及したことがある。
 その後、本がどこかに隠れてしまい、最近ふたたび本棚の奥から姿を現した。今日は97・04・09の「「大東亜戦争」の本質は合理と非合理のジレンマなのだ!」というコラムについて。
 『「大東亜戦争」はなぜ起きたか、・・ぼくは、あの戦争とは、明治維新以来、蓄積された、西洋文明への日本人のイライラの爆発だったと思っている』というのが片山氏の見解である。音楽評論家でもある片山氏は、それを音楽を例にとって説明する。「音楽とは、不可思議で霊妙なものだ。が、西洋文明は、そんな言葉を、科学の対象にしてしまった。そして協和音と不協和音だの何だのと、音楽を理屈で割り切り、ドレミファソラシという音階に、音を整理した。・・しかし東洋の音楽はドレミファに収まらない微妙な音を使うことで、不可思議な境地を表現してきたのだ。が、明治維新以来、わが国に入り込んだ西洋音楽の理論は、音程の曖昧な東洋音楽を原始的と決めつけ、ドレミファにはまる音楽をこそ文明開化だ、芸術だと、日本人を洗脳してきた。・・なぜ微妙な音程を使うほうが原始的で、音程を単純に整理した方が芸術的か? おかしい! こんなイライラした、割り切れぬ感情に、日本人は悩んできた・・」 それを敷衍して片山氏はいう。「日本人は、音楽に限らず、あらゆる分野で、明治維新以来、曖昧さを愛する東洋の伝統と、曖昧さを排除する西洋文明の合理精神とに引き裂かれてきたのであり、そのストレスが爆発して、戦争になったというわけだ。」 しかし二十世紀における戦争は科学戦であり、科学戦に勝つには、日本は合理的、科学的にならざるをえない。合理精神に対するストレスの爆発としての戦争に勝つためには合理精神に徹しなくてはならない。これは矛盾である。このジレンマのなかでおのれを見失い、自滅したのが、日本の敗戦である、そう片山氏は総括する。
 竹内靖雄氏の「経済思想の巨人たち」の中の「福沢諭吉」の章で、「競争」というのは福沢がつくった訳語であることが紹介されている。まだ江戸のころでチェーンバーの経済論を訳していて、コンペチションという語が出てきてそれを「競争」と訳した。それを勘定方の有力な人にみせたところ、「ここに争いという字がある、・・これが穏やかでない。・・西洋の流儀はキツイものだね。・・争いという文字が穏やかならぬ。これではドウモ老中方へご覧にいれることができない」とその勘定方の役人がいう話が紹介されている。
 日本は明治維新以来の西洋との競争に疲れ果ててしまったのだと思う。もうその競争からは降りたい。しかし降りるためには仁義をきらなくてはならない。その仁義が「大東亜戦争」で、それは初めから勝つことなど考えていないもので、せめて引き分け(長期不敗体制の構築)に持ちこみたい。そしてアジアの中のどこかに線を引いて、その向こうには手を出しませんから、線のこっちだけはこちらのやりたいようにやらせてください、そういうものだったのではないだろうか? 線のこっち側でなら「一等賞」をとれるかもしれない。しかし西洋のキツイ流儀でやっていくことにはもう疲れた、勘弁してほしい。「競争」からは降ろさせてほしい、そういうものだったのではないだろうか?
 吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」は、日本が明治に受け入れて西洋の文明だと思ったものは実は「19世紀ヨーロッパ」というヨーロッパがとてもお粗末で野蛮だった時代なのであり、つまりヨーロッパが文明的でなくなっていた時代なのであるにもかかわらず、それを西洋そのものであると思ってしまった。だから日本人は西洋というものを誤解し続けているのであり、ヨーロッパを理解しようと思うならば、ヨーロッパが文明であった時代、ヨーロッパ18世紀について知らなければならない、ということを述べた本である。
 その論が正しいとするならば、日本人が西洋に感じた反発というのはある意味で正しかったということになるわけだが、しかし「近代の超克」などといって、いきなり西洋全否定、東洋礼賛にいってしまったことがまずいということになる。
 ポストモダン思想の否定するモダンすなわち近代とは、19世紀ヨーロッパのことなのだと思う。だから吉田健一ポストモダン思想の陣営の一人かもしれないとも思うのだが、問題は西洋は野蛮の力で世界を席巻してしまったのであり、決して文明の力によったのではないということである。もっとも科学文明とか物質文明などという言い方もあるのだから、それをも文明というひともいるわけであるが。
 ファースターは『私の信条』でこう言っている。「社会の基礎に力があることは分かっている。だが、偉大なる創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間中に生まれるのである。この休止期間が大事なのだ。私はこういう休止期間がなるべく頻繁に訪れてしかも長くつづくのを願いながら、それを「文明」と呼ぶ。・・力はたしかに存在するのであって、大事なのは、それが箱から出てこないようにすることではないだろうか。」 フォースターは科学文明とか物質文明とかはけっして認めないであろうが、「科学」と「物質」が「力」であり、それが正面で出ていた時代があったのである。
 そして「科学」と「物質」が滔々と世界を席巻していく状況に逆上して、「物質」などに「精神」が負けてたまるものかと言って、自滅していったのが今度の日本の戦争ということになる。
 というのは話としてはとても筋が通っていて面白いのだが、森山優氏の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」などで見ると、現場で戦争を決定していった人たちは、そんな大層な信念があったわけではなく、もっと下世話な「自分の組織が大事」「あの人の顔を立てるにはどいうしたらいいか?」などといったことの連続の中で、いつの間にか戦争になってしまっただけというようにも見える。
 それでどうしてもわからないのが日本の戦前の政治における天皇というものである。片山氏は『二・二六事件青年将校はストーカー達の偉大なる先駆けだ』(97・04・16)で、村上一郎の「戦前の国民の天皇の慕い方には忠義型と恋闕型の二つのタイプがあった」という説を紹介し、忠義型はただ天皇の命令に忠実というだけであるが、恋闕型は本物の天皇の意思がどうであるかにはかかわりなく、自分の幻想が育てた、心の中の天皇の命令により、いろいろな直接行動におよぶのだという。そして二・二六事件青年将校たちはまさにこの恋闕型なのであり、天皇のストーカーであったとする。三島由紀夫の『英霊の聲』はまさにそういうものを描いているのであろう。このストーカー説は秀逸で、片山氏の発想の豊かさの一つの例となっているが、結構応用がきくかもしれなくて、たとえば一部のマルクス主義者はマルクスのストーカーであったとか、現実を見るのではなく、自分の幻想が育てた像が命令していると信じることを実行しようとしたものは少なからずいるはずである。そしてストーカーの心理は合理的理解を超えるものであるから、そういうものが歴史を動かしているのだとすると、歴史はわれわれの理解を拒むものとなってしまう。一方、森山優氏の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」などで描かれている世界はいたって散文的な世界でわれわれが十分に理解できる世界である。
 だから問題は天皇への恋闕もまた『明治維新以来、蓄積された、西洋文明への日本人のイライラ』の一つの産物として理解できるのだろうかということになる。そうであるならかろうじてそれが理解可能なものとなるのだが・・。
 

経済思想の巨人たち (新潮選書)

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ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

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フォースター評論集 (岩波文庫)

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日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)

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