R・E・ニスベット「木を見る西洋人 森を見る東洋人」

       ダイヤモンド社 2004年
 
 この本は2004年刊行だが、当時は買ったまま結局読まずにいて、そのまま本棚で眠っていた。思い出したのは橘玲氏の「(日本人)」で本書について言及されていたためで、それで読んでみることにした。
 「(日本人)」で橘氏がニスベットの本からの紹介としている部分以外にも、古典ギリシャにおける「個人」をふくんだ特有の発見が都市国家という特有のありかたや、商業の発展、移動の自由などに起因するという見方なども本書とほぼ同様の見解であるし(これは世界史の常識なのかもしれないが)、「アテネはまるで、「スター・ウォーズ」に出てくる酒場のようだったに違いない」というような喩えまで共通していたのは微笑ましかった。橘氏の「(日本人)」は本書の影響を相当受けているようである。
 こういうタイトルであるが、原題は「The Geography of Thought How Asians and Westerners Think Differently...and Why 」であり、西洋人と東洋人は違った考え方をしている、ということを主張している。もっともここで西洋人の典型とされているのが白人のアメリカ人であり、ヨーロッパ人は東洋人と白人アメリカ人の中間にあるとされる。古典ギリシャヘブライに由来する西洋的なものは現在はアメリカに一番色濃く保存されているということになる(プロテスタントかつアングロ=サクソン)。またもちろん、東洋といっても日本人と中国人は多くの点で非常に異なっていることは著者も認めているのだが、それでも西洋人と比べれば共通点が多いということをいっている。
 著者は心理学者であり、東洋人と西洋人の違いをいろいろな心理学の実験で示しているのだが、ここでは個々の実験結果は措いて、著者の主張のみをみていく。
 
 著者によれば、世界中で、10億を越える人々が古典ギリシャの知的遺産を受け継ぎ、20億を越える人々が古代中国の思想的伝統と受け継いでいる。
 古代ギリシャの遺産とは、自分の人生を自分で選択したままに生きるという主体性の観念であり、古代中国の思想的伝統とは、世の中から切り離された私は存在しないという調和の観念である。
 古代ギリシャの時代、当時の文明国の多くは独裁的な社会であった。そのなかで古代ギリシャは、人々が自分をユニークな個人だと考える例外的な世界だった。ホメロスの「オデュセイア」や「イリアス」では、神々も人間も、一人づつ完全な個性を有している。その主体性の観念から討論の伝統も生まれた。紀元前5世紀には民主政治も台頭した。ギリシャ人は好奇心に充ち、物理学、天文学、公理幾何学形式論理学、理論哲学などを生んだ。自ら観察した事柄を説明する根本原理を見いだそうとした。
 一方、古代中国は調和をもとめた。そこでは世の中から切り離された私といったものは存在しなかった。私とは他者との関係の中での役割の総体であった。他者との軋轢を最小にし、調和のとれた人間関係をもとめた。古代中国では多くの発明がみられたが、それは実用についての非凡な才能によるのであって、原理への希求からではなかった。実行に結びつかないことを「知る」ことに意味を見いださなかった。これは古代ギリシャイデアあるいはカテゴリーなどと対照的である。ギリシャには「周囲から切り離された対象物それ自体を単独で観察し分析する」という姿勢があった。彼らは人間関係にはそれほどの注意は払わなかった。
 古代ギリシャは、世界を不動のものと考えた。中国人は、世の中は絶え間なく変化し、また矛盾に充ちているとみた。
 中国人は、世界を個々別々の対象物の寄せ集めとしてではなく、ひとまとまりの実体として捉えた。
 ギリシャ人は「自然」を発見(発明?)した。宇宙から人間と人間の文化を除いたものが自然であった。客観的な外の世界と主観的な内の世界を区別した。それは科学の発明へとつながった。
 ギリシャを生んだのは都市国家という特有の政治システムだった。一方、中国は中央集権的な農耕社会だった。西洋も中世の農耕社会の時代にはギリシャ的な個人主義からは離れたが、商業の発展により古代ギリシャ的な都市国家が復活すると、再び個人主義の方向が戻った。
 東洋では集団的目標や協調的な行動が重視され、調和的な社会関係の維持がもとめられる。成功も集団目標の達成であり、個人の栄光ではないとされる。
 ゲマインシャフトゲゼルシャフトというのは理念モデルであるが、集団主義個人主義の区別のために有用である。
 「イデアが西洋を動かす」といわれる。個性、自由、合理性、普遍性は西で優勢となった。宗教革命によって生じたピューリタンは平等主義的なイデオロギーをもった。
 日本人も中国人もともに面子にこだわるが、日本人は中国人ほど家族にこだわらず、企業に対してはより献身的である。両者ともに大きな社会的制約をうけているが、それは中国人の場合、大きいのは権威であり、日本人では仲間である。両者ともに周囲にあわせることに努めるが、中国人はそれに苛立ち、日本人はそれを楽しんでいる。
 ギリシャの伝統をひかないアジアでは討論ということ自体になじみがない。
 包括的と分析的というのは世界の見方についての相反する立場である。多くの西洋人が企業を機能集団であるとみているが、東洋人は共同体であるとみるものが多い。
 ヨーロッパの知では、アメリカほど分析的ではないので「大きな絵」を描く傾向がある。そこから、アングロ・アメリカの哲学者は日常言語分析にとりくみ、ヨーロッパの哲学者は現象学実存主義ポスト構造主義ポストモダンにいくという違いがでてくる。
 大きな思想はヨーロッパから生まれた。マルクス・コント・ウェーバー・・・。
 西洋人とアジア人は世界を違ったものとみている可能性がある。西洋人は自伝小説の主人公であるが、アジア人には映画の出演者の一人である。同じ絵をみても、西洋人はその中の中心的なモノに注目し、アジア人は全体の相互関係をみようとする。
 アジア人にとって世界とは複雑な場であり、連続的な実体からなり、部分ではなく全体として理解すべきものである。それにくらべると西洋人にとって世界はもっと単純で、文脈に注意を払うことなく理解できる個別の対象からなるもので、個人の力に大いに左右される(「コントロール幻想」をもっているという批判もある)。
 たとえば、ある犯罪事件があった場合、西洋では犯人の性格や考え方が主に原因としてあげられるのに対して、アジアでは犯人の生育環境や人間関係といった状況要因が重視される。アメリカ人は行為者本人を問題とし、中国人は文脈に注目する。アメリカ人の見方は生物学的であり、中国人の見方は文化的である。アメリカ人は木を見るが森(全体)を見ない。西洋人は単純さを好み、東洋人は複雑さを当然とする。
 西洋人は対象物の世界で育ち、東洋人は関係の世界で育つ。西洋人の世界は名詞的であり、東洋人の場合は動詞的である。カテゴリーは名詞の世界の話であり、関係の記述には動詞が必要となる。東洋人は極度に抽象していくことを好まない。
 西洋人は二分法を好む。精神と肉体、生まれと育ち、感情と理性、そして「人間」と「動物」。東洋では「人間は動物の頂点に座っていて、動物とは一線を画しているとする見方はなかった(したがって進化論への抵抗がなかった)。
 ヴィットゲンシュタインは「哲学探究」で「ゲーム」「政府」「病気」といったカテゴリーを必要十分に確立することはできないだろうと述べて、多くの分析的な西洋人哲学者を狼狽させた。
 そういう違いが言語の違いから生じることはあるだろうか? 西欧語では抽象観念を表す語をつくるのは容易である(白い→白さ)。しかし、中国語ではそれができない。英語は主語優位型であるが、日本語・中国語・韓国語は話題優位型である。日本語には「私(I)」に相当する語がたくさんある。それらは自己と他者の関係を反映して変わる。
 言語の違いが人々の日常的な思考のプロセスに影響するとするサビア・ウォーフの説は言語学のなかでも賛否両論であるが、最近では支持のほうが多くなってきている。著者は世界のイメージの体系の違いが言語の違いとかかわるのでないかとしている(どちらが鶏でどちらが卵かは問わないにしても)。
 中国の文化では、教育の目的は情理のわかる人間を育てることで、それは思慮分別があって、節度と慎み愛して、抽象的理論や極端な論理を嫌う姿勢をそなえた人間であり、そうでない人間は未熟者とされる。中国人は今でも論理よりも情理を志向している。
 西洋人は「過剰に論理的である」という批判を東西双方から受けている。
 上記のように東西の違いがあるとすれば、西洋人のデータのみから一般論をひきだし、それを普遍的なものであるように主張することは危ういことがわかる。
 たとえば医学についても、西洋は対象物志向であるが、東洋ではもっと包括的である。アメリカでは日本での40倍もものごとの解決に法律家がかかわる。西洋では紛争の解決は正義の原理によるとされるが、東洋では相互の敵意を減らすことが目的となる。中国の正義は芸術ではあっても科学ではない。
 日本の会社の取締役会の意志決定プロセスでは対立と不協和の回避が重要である。
 現在の科学論文のスタイル(背景・問題・仮説の提示・検証・証拠・それについての考察・結論と提言)というスタイルは西洋の論理そのものである。
 西洋の宗教は「善か悪か」の二分法であるが、東洋では「どちらにも理あり」の方向である。西洋と違い、東洋ではほとんど宗教戦争はおきなかった。宗教上の争いをもたらしたのはアブラハムの宗教である、ユダヤ教キリスト教イスラム教であった。
 さて、そのような違いがあるとすると、文化相対主義に至るのだろうか? 「あなたにとってはあなたが正しいのは確かだが、私にとっては私が正しい」ではいけない。相互に自己を検証することが大事であると著者はしている。
 著者のまとめによれば、西洋の思考の習慣は、
1)形式主義:形式的で論理的なアプローチ。科学や数学はその力に依拠する。バートランド・ラッセル形式論理学の信奉者であったが、そのためにその政治や社会問題への分析が単純すぎるものとなってしまった。著者によれば「ポスト形式的」操作とよばれるもの(文脈相対主義的見方、形式と内容を切り離さない見方)が東洋的思考の根幹にあるものだが、形式主義はその反対にあるものである。
2)二者選択的アプローチ:「あれかこれか」であって、東洋的な「あれもこれも」の視点を欠く。
3)基本的帰属錯誤:他人の行動がその個人の特性や能力によってもたらされたと考え、状況の要因を軽視する間違い。
 などを特徴とする。
 一方、東洋の思考は、
1)矛盾を受け入れる:両方に真実があるという仮定で物事に対処できる。
2)討論を重視しない:「知者は言わず、言う者は知らず」 確かに包括的思考を言語化することは難しいが、分析的思考という科学を可能にした思考を軽視する点で、著者はこれを東洋の弱点であるとしている。
3)世界を複雑なものとしてみる:これは東洋の利点でもあり、科学などを生みにくくした欠点でもあると著者はしている。
 現在、二つの世界観が対立している。F・フクヤマが唱えた「歴史の終わり」の方向と、S・ハンチントンの唱えた「文明の衝突」の方向である。フクヤマの視点はアメリカ人の視点を代弁している。それによれば、東洋人の価値観はだんだんと西洋化していく。ハンチントンによれば、価値観は多様化を続けていく。
 第三の未来像として著者がいうのは、西と東が融合していくという方向である。個人主義が人間関係を疎遠にするのではないか? アノミーをくいとめるためには東洋的共同体のありかたを参照すべきではないか? 真とも偽ともいえない命題もみとめる論理体系を模索すべきではないか? といった方向で両者が次第に融合していくことに著者は希望を託しているようである。
 
 この本は20年以上前に書かれたものであるので、著者のこの予想については、現在では「文明の衝突」の方向にむかっているように見える。わたくしからみると、ハンチントンの本は明確なアメリカ的なものの擁護の書で、フクヤマの本はへーゲルに依拠した本であるので、もう少し広く西欧をふくむ西側を擁護した本であったのだと思う。
 訳者がやや皮肉めいた口調で書いているように、東洋の叡智をもってとりいれようと主張する著者も、西洋対東洋の二分法的図式で思考しているという点で、分析的なひとである。
 わたくしもまた分析的思考にとらわれているからなのかも知れないが、本書を読んでいて、実に多くの二項対立の図式が頭に浮かんだ。物質と精神、モノとこころ、理科と文科、死んだものと生きているもの、部分と全体、具体と抽象、頭と身体、男と女、若さと老い、野蛮と文明、機能集団と共同体、個人と集団・・、少し自分の仕事にかかわるところに限っても、身体医学と精神医学、病気を診ると患者を診る、病因の局所論と全身論、精神医学におけるDSM診断と精神分析・・・。
 およそ西欧の歴史において、何から思想と呼べるようなものは、ほとんどがここで著者が西洋的と呼ぶものへの内部からの反発と批判から出てきているのではないかと思う。
 しかし、著者が古代ギリシャからの遺産であるとする「自分の人生を自分で選択したままに生きるという主体性の観念」は世界中に浸透してきており、相当な専制国家であっても正面切ってこれを否定することは困難になってきている。個人として生きるという選択は、ほとんど孤独の選択と同義であり、古代中国の思想的伝統である「世の中から切り離された私は存在しないという調和の観念」からすれば悲惨な人生の選択と同義であるのかもしれないが、それでも、「国家に命を捧げる」ことが、あるいは「何らかの大義のために身を投じる」ことが幸せを意味するという説は容易には受けれられないだろうと思う。
 古代ギリシャで生まれ、いったんは中世で失われた「個」は、ルネッサンスで再発見されらとしても、それが世界に普及したのはプロテスタンティズムによってであり、それが原型に近く保存されているのがアメリカということなのであろう。アメリカは原理主義的であり、それゆえに別の原理主義とも厳しく対立する。
 もしも文明が人間関係の洗練ということであるなら、儒教の中国は紀元前から文明化していたわけであり、江戸期の日本もまた文明化していた。ギリシャ・ローマでの文明からいったん後退し暗黒化したヨーロッパも18世紀にはそれを取り戻していたとすれば、19世紀は明らかにそこから後退していたわけで、その後退がそのまま保存されているのがアメリカなのかもしれない。
 著者の見解とは異なって、わたくしは「個人」というのは近代西欧で発見(発明?)されたのだと思っている。ギリシャ以来の「個」というのは英雄的な「個」、秀でた「個」であったように思うのだが、それとは別にとるに足らないような「個」、平々凡々な「個」にもまた「物語」は宿りうるのだという見方は西欧近代にはじめてでてのもので、その具体的な形態が小説なのだと思う。まさに「小人の説」である。現在、世界を席巻しているのはギリシャの発明した英雄的な「個」ではなく、西欧近代が発見した「個人」である平凡な人間に宿る「個」の系統である、と思う。
 中国の昔にも鼓腹撃壌する「個」はいたわけだが、それは世界の中に自分に応分の領地を確保している「個」であって、全宇宙と対立するような肥大した「個」ではなかった。
 アーレントの「人間の条件」などを読んでいて驚くのは、意見をいう「個」、議論をする「個」、討論する「個」への篤い信頼であって、表現しないものは存在しないも同然なのだから、労働する「個」などほとんど価値ないものとされている。
 だからギリシャの「個」による政治は民主政という名で呼ばれても貴族政でもあるという印象がぬぐえない。それに対して現代の「個人」は自分では世界のなかのただ一人と思っていても、世界からみればなきに等しい「個」であるんどあから、それによる政治は民主政ではあるのかもしれないが、また衆愚政とも見られてしまう。
 問題は科学である。科学は「モノ」をあつかう学であって(などというとあちこちから矢が飛んできそうであるが)、それゆえにこれが西洋の独擅場となるのは当然なのであった。わたくしがかかわる医療にかんしても、わたくしは基本的に「科学」としての医学に信をおいていて、東洋医学とか漢方というものには不信が強い。本書にも書かれているように、中国医術の背景には陰陽と五行の説があり、「気」という概念がキーになる。しかし、陰陽も五行も背景になんらの実体も持たないものとわたくしには思えるので、それは西側における体液説と似たような印象である。黒胆汁云々の体液説はモノで説明していく「科学」に駆逐されてしまった。だから体液説もどきの原理から効能を説明をしようとする東洋医学の行き方にはどうしても納得できないものを感じる。理屈はどうでもいい、効果があればいいではないかというのに納得できない。もちろん、漢方薬に有効なものがあることは間違いない。しかし、効けば理屈はいらないといわれても困る。どうしても理屈を知りたいのである。遺伝子の塩基配列のただ一つのミスコピーがこの病気をつくるといった説明をきくとわたくしはうれしくなるのであり、その点、完全に「西洋=モノ」路線に毒されている。
 しかし同時に、医療の場には「気で病む病」というのもあって、ここでの「気」は本場中国における「気」とは非常に異なったものであろうが、それでも「気」という言葉でしか表させないニュアンスがあるとも感じる。そうであるなら、「科学」としての医学は、わたくしが後から理屈として取り入れたもので、潜在的には東洋的思考法ががわたくしの奥深くに以前から入り込んでいるのかもしれない。
 昔、山本七平さんの本を読んでいて、「共同体」ということを考えていたことがある。その関係で小室直樹氏の「危機の構造」などで、機能集団と共同体ということを教えられた。本来は機能集団であるはずの会社が日本ではすぐに共同体に転化してしまうこと、中国の共同体は血縁集団であるが、日本はそうではなく平気で養子をとるなど中国とは共同体とはいってもその様相が異なること、などを学んだ。
 日本社会の病理の多くはこの日本の独特な共同体構造に起因するというのが小室氏の主張であったが、氏は根っからの西洋の学問の人でその奥義を極めることを目指したひとでもあったので、小室氏の論は西洋の視点からの日本批判であるようにも思えた。
 丸山真男の「日本の思想」もまた西洋の視点からの日本批判であったと思うが、そこでの「日本」あるいは川島武宣氏の「日本人の法意識」などでも用いられる「日本」や「日本人」という語はこのニスベットの本を見る限り、決して日本に固有のものではなく、非=西洋ということであって、「東洋の思想」「東洋人の法意識」とした方が実態に近いのかもしれない。その点で、多くの日本人論、日本文化論は西洋との違いをいっているだけで、非西洋の日本以外の国との比較がないという小谷野敦氏の論は正鵠をえているのだと思う。
 ここから先、書くことはほとんどが後知恵によるが、わたくしが20歳ごろからいろいろと考えてきたことは、「科学」としての医学はつまらないものだなあということと、人文科学と社会科学というのはとても「科学」などといえるものではないなということの間の往復であったように思う。医学を考えるときには「科学」だけではない方向から見る視点を好み、人文科学や社会科学を見るときにはもう少し科学的になれよと思うという単一ではない視点、立場から見てきたように思う。
 医学は単なる「モノ」への関心ということからでてきたわけではない点で「科学」とはいえない側面を持つ。人間がいるから医学ができてきた。工学などもそういう側面を持つから、医学は応用科学であるとすればすむ話なのかもしれない。しかしそうとばかりは言えない面があって、生命の一回性ということ、しかも人間はそれを知っているということがなければ、医学というのは今とは全然異なったものになっていたはずである。科学は再現可能性に大きく依拠するから、もともと一回性ということはうまく扱えない。
 一方、人文科学や社会科学については、それが客観的な学問として成立するのかという疑問があって、その学問をしている自分という視点がないのは変ではないかという思いがずっとある。最初に自分の視点があり、その視点から見えてくるいろいろなものから学問ができてくるのだから、その出発点が消えてしまって、客観的に自分の外に学問があるような見方は変ではないかという思いである。
 もちろん、人文科学も社会科学も人間がいるからこそできてきたもので、そうであるなら医学は自然科学よりも人文科学に近いのかもしれない。おそらく東洋というところは人間にかかわることにしか関心をもたずに来たので、人間とはかかわりのない人間の外にある「モノ」に興味を持つという西洋の行き方のほうが異常であり、東洋のほうが普通なのではないかと思う。
 そう考えれば、わたくしは明らかに東洋に親和性のある考え方をする人間であり、わたくしの考えからすれば自分のほうが正常の側にいることになるのだが、困ったことに医学を仕事にしていて、西洋的な「物質」志向の行き方の威力を十分に感じているので、「科学」の場において、「東洋」は「西洋」とは別の方向によってではあるが、また非常な威力を持つなどという言説に接すると、??と思ってしまう。
 わたくしの若いころ、ニューセイジ・サイエンスといわれる派がカリフォルニアなどから発信していた。量子力学が到達した認識は実は東洋ではずっと以前から知られていた叡智なのであるといった話で、本書でもp26に示されている道(タオ)の印といったものがその象徴として盛んに用いられていた。不確定性原理といったものが、西洋的な分析的見方(よくデカルト的という言い方をされていた)の限界を示したので、あらためて東洋の叡智にわれわれは回帰しなければいけないといったことがいわれていた。この周囲にいたG・ベイトソンは結局ニューエイジ・サイエンスで唯一生き残っている思想家のように思うが(L・ワトソンは確信犯的に非=西洋の姿勢で周囲をからかっていたひとで、この人も残るのかも知れないが)、ビリヤード球の世界と蟹の世界、力がすべてを決める世界と関係が重要となる世界の違いを説いた。ベイトソンの姿勢には神秘的なものは一切なく、科学への偏見もなく、東洋への劣等感もなく、示した見取り図には今でも見るべきものがあるのではないかと思っている。
 ケストラーという人もいた。「ホロン」というようなことを言っていた。部分は全体をこえるというような話である。人間を構成するすべての部品を集めても人間にはならない。機械のそれぞれの部品はただそれだけのものであるが、それが組み合わされるとある目的を持つ機械ができあがる。というような論をしていると、モノには目的がないが生命には目的があるというような方向がどうしてもでてきてしまう。するとダーウィン流の進化論は単なる偶然の積み重ねで今の生命のありかたを説明してしまうので、それはおかしい。ということで、ケストラーは獲得形質の遺伝をなんとか擁護しようとしていた。
 モノーの「偶然と必然」もいろいろな方面から批判されていた。どうもこのあたりには西洋に伏在する人間は特別という意識が関係しているような気がする。これがキリスト教の「人間だけが「魂」を持つ」という教義に由来するのか議論があるところであろうが、医学をやっていれば、人間もただの動物であるということは自明で、何で人間を他の動物から画然と区別される特別な存在であるとするのか理解できない。
 不思議なのは西欧の脳科学者がしばしば神秘的な方向へいってしまうことで、いくらの脳を調べてみても「魂」がみえてこないと、いきなり肉体から独立した「魂」というほうへいってしまうらしい。腹が空いているときに何か食べればどんな動物でも「うまい!」と思うはずで、もちろん人間以外の動物は言葉を持たないから「うまい!」とは思わないにしても、何らかの深い満足感を感じているはずで、精神などといってもその延長線上にある何かにすぎないわけで、何でそれを特別あつかいするのかわからない。西洋の思考は何か変なのである。イデアが西洋を動かしてきたのだとして、個性とか自由とか合理性とか普遍性とかいった抽象語は西洋だからこそ、あれだけの猛威をふるったのであろう。西欧においては、言葉ができると実体もまたあることになってしまう傾向がある。
 東洋というくくりからは日本も中国もともに東洋であるが、いろいろな本を読めば読むほど(というほど読んでいるわけではないが)、中国というのは日本とはまったく違う国である。それでも日本と中国の距離と日本と西欧の距離のどちらが離れているのだろうか? 農業を基盤とするか商業を基盤とするかと、それなりに安定した国家体制ができているか乱世であるかという二つの側面がそれを規定するのではないかと思う。共にの農業を基礎にしていても、それなりに安定した江戸時代をもった日本と、常に他民族の侵入をうけ西欧への敗北も経験した中国との違いが影響してきているのではないだろうか?
 著者のラッセル批判が面白かった。ラッセルは東西冷戦時代に、東側から責められたら戦わずに降伏しろといういうな主張をしていた。東西が戦えば核戦争で人類は滅亡する。戦わずに降伏すれば人類は存続できる。結論は明らかというような論理だったと思う。その当時きいても変な理屈と思ったものである。
 著者は西洋人としては東洋的見方を理解している人間であると思うが、それでもやはり西洋の人間であるなあということを随所で感じる。西欧的思考の前では東洋的思考、東洋的思考の前では西洋的思考と相手によってカメレオンのように態度を変えているわたくしとしては身につまされる。著者も西洋と東洋の双方からその態度の不徹底を指摘されているのではないかと思う。
 本書を読んでいて、北中淳子氏が「うつの医療人類学」で論じている、精神医学におけるメンタル不調についてのさまざまな見解の対立ということも、分析的な見方と包括的な見方の対立ということでかなり理解できるところがあるのではないかと感じた。それで次は北中氏の本をみていきたい。
 

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

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(日本人)

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日本の思想 (岩波新書)

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おどろきの中国 (講談社現代新書)

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小室直樹の中国原論

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うつの医療人類学

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