ウェヴ2.0

 今月号の「新潮45」に古市憲寿という方の『「ウェヴ2.0」はどこに消えた?』という文が載っていた。10年ほど前に一時話題になった「ウェヴ2.0」についての論である。
 2006年のベストセラー梅田望夫氏の『ウェヴ進化論』で、氏はウェヴ上に多くの人が参加してくると、もちろんつまらないものも多くなるが、そうではないものもまた増えてきて、今まで発言してこなかった(あるいは発言する機会のなかった)人々が参加してくるようになることで知の裾野がひろがっていき、今まで一部の専門家に独占されていた分野がもっと多くの人に解放されていくであろうという展望と期待を述べていた。
 古市氏の論は、実際は梅田氏の期待の通りにはならなかったということをいっている。なぜか? それは衆愚を排除する機構をうまく作ることができなかったからであると古市氏はしている。梅田氏は「自動秩序形成システム」といったものがネットの中から自動的に「まともな」言論を拾い出してくるような方向ができてくることに期待をしていたのだが、それはできてこなかった。梅田氏自身も、氏のブログも炎上するようなことがあり、「玉」への希望より「石」への嫌気の方が勝って来ているらしい。
 この古市氏の論を読んでみようと思ったのは、わたくしがブログをはじめた動機が梅田氏の『ウェヴ進化論』を読んだことによるからで(それまでは野口悠紀雄氏の『ホームページにオフィスを作る』(2001年)に教唆されてホームページを作っていた)、野口氏の本の時代にはまだ検索エンジンの能力がきわめて低かったので、他人に読んでもらうことを期待するのではなく、自分のための道具としてホームページを作れ、というのが野口氏の主張であった。しかし、梅田氏の本の時代にはすでに検索エンジンの長足の進歩により、書いたものを読んでもらえることが期待できるようになっていた。2001年から2006年の5年間にそれだけの進歩があったわけである。しかし梅田氏の本からすでに8年たって、それに見合うだけの進歩があったかというと、古市氏のいう通りの疑問が生じるわけである。
 今、電車にのれば、眠っていないひとの大半はスマホを見ている時代である。裾野は広がった。野口氏の本の時代、梅田氏の本の時代は、まだホームページもブログも一部のひとのものだった。そして梅田氏が『ウェヴ進化論』で述べていたのは、日本の横並び社会の中では従来であれば埋もれてしまったであろう異能の人、尖った人、変わった人がこれからは生きていける、生きていけるだけでなく社会の中で活躍していけるそういう時代になることへの期待であったのだと思う。そしてスマホがこれだけ普及した現在は、再び横並びの世界、出る杭を打ち、中央値でないひとを排斥する道具としてそれが使われる時代になってきたのではないだろうか?
 思い出しても、『ウェヴ進化論』にあったのは未来への非常に明るい展望であった。インターネットという技術の最先端への信頼であった。インターネットというのは何らか西欧的なものの一つの典型である。『ウェヴ進化論』の時には濃厚にあって現在急速に失われつつあるもの、それは西欧的な何かへの信頼なのではないかと思う。
 『ウェヴ進化論』には民主主義あるいは草の根の多数意見への強い信頼があった。それが消えつつある。なにしろ古市氏の論が収められているのが「悪夢の21世紀」という特集の中なのである。
 

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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ホームページにオフィスを作る (光文社新書)

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