上橋菜穂子 津田篤太郎 「ほの暗い永久から出でて 生と死を廻る対話」

 実はこのお二人ともほんの少し前までまったく存知あげなかった。上橋氏は文化人類学者のようだが、児童文学として有名な方らしい。野間児童文学賞 本屋大賞 日本医療小説大賞 国際アンデルセン賞作家賞などとある。一方、日本文化人類学章受賞ともあるから、児童文学方面だけでなく、学問の分野でも高名なかたのようである。一方、津田氏はNTT東日本病院の膠原病科部長で西洋医学東洋医学の両方を取り入れた診療に従事している方とある。
 なぜこの両氏の往復書簡の本に辿り着いたのかというと、最近進化論の見地から書かれた「なぜ男の給料が女より高いのか」といった本を取り上げたので、同じテーマを論じている山口一男氏の「働き方の男女不平等 理論と実証分析」(日本経済新聞出版社 2017年)を思い出した。この本を知ったのは確か氏がこの本で何かの賞をとった時に新聞で紹介されていたからである。当時は産業医の仕事をしていたので、やはりこういう本も読まねばならないかなと思い入手した。しかし例によって最初の方と最後の方だけ読んで抛りだしてあった。
 それで、ネットで山口氏を検索してみたら「政治と宗教的原理主義の結びつきはなぜ危険なのか」という氏の論文が見つかった。そこに上橋氏の「鹿の王 水底の橋」というファンタジー小説が紹介されていたわけである。この作品には3つの異なる医療倫理が登場人物たちによって体現されていると山口氏はいっている。すなわち、1)科学的合理主義一辺倒、2)科学的合理主義を基本とするが、患者の心の安寧を同時に重んじる立場、3)土着の宗教の疾病観に全面的に依存する医療の3つである。
 最近問題になっている「世界統一家庭連合」を論じる文のイントロとして上橋氏の「鹿の王 水底の橋」が紹介されているわけで、当然3)は否定され、さりとて1)でも駄目で、2)が推奨されるという方向で、この作品が紹介されている。
 それで山口氏の論で知った大橋氏についても調べたら、この上橋氏と津田氏の対話(といっても往復書簡)を知ったという経過である。
 それで上橋氏の「鹿の王 水底の橋」も取り寄せたのだが、冒頭の「ひゅう、ひゅうと風が唸り、無数の雨粒が窓硝子に叩きつけられては、透明な線を引いては消えて行く」という書き出しからしてわたくしには駄目だった。「ひゅう ひゅう」「無数の雨粒」「透明な線」・・みんな出来あいの言葉であって、説明文であり、マンガ(劇画)の説明文にみえてしまう。おそらく上橋氏は物語を構想することにおいて優れた才能を持つ人なのだろう。
 この「ほの暗い永久から出でて」もでも、永久を「とわ」と読ませるらしい。「出でて」は文語である。文語と口語が混じっているのも好みではない。
 ではあるが、津田氏のことも知りたいと思い、とにかく読んでみることにした。
 「はじめに」で、上橋氏は津田氏とは2015年に母親の肺がんをきっかけで出会ったことを紹介している。
 本章は上橋氏の「蓑虫と夕暮れの風」から始まるが、そこで氏は「人以外の生物で、性交の瞬間を、他者の目につかぬよう隠すべきこと、としている生き物はいるのでしょうか」という疑問を提示している。「医学」というのは、「自分のような厄介な思考や感情」と「冷徹で機械的な「世界」との狭間とを揺れ動いているなにか」ではないか、という。
 それに応えて津田氏は「陽の光、燦々と降り注ぐ海で」という返答で、多くの生き物が環境に適応して生きるのに対し、ヒトは環境を自分に向いたものに変えていくという全く別の戦略を発達させた生き物であることを指摘する。そして、効率よく遺伝子を書き換えるシステムとして性(セックス)があるのだ、とし、「人間が性を「秘め事」にすることと、死を恐れ、遠ざけることは同根のものかもしれない」といっている。
 次が上橋氏の「見えるもの、見えないもの」で、そこに「東洋医学の説明に「気」がでてくると、とたんにアヤシイ感じになってしまう」という津田氏の著作での論にふれ、「宗教を信じる心と代替知を求める心とは、同じものなのだろうか」という岸本葉子氏の言葉を引き、「非科学的」ということを論じている。「東洋医学の「気」と、「宗教」は、まさしく、西洋科学を絶対視する思考に慣れ親しんでいる私たちにとっては、つい、同じ箱に入れてしまって、その本質を見誤ってしまう可能性が高いものの典型」と言っている。
 それに津田氏が「切り口を変えると、見方が変わる」で答える。「科学的」には手段がなく、不治となったものを、どうすればよいのか、「私たちは言語や科学で記述できるのは世界の一部に過ぎず、ましてやコントロール可能な領域はさらに小さいことを忘れがち」であり、「ガンには」多くのケースで「自然治癒怜」が存在する」 しかし「根拠に乏しい治療を妄信し実行に移すのは「宗教と同じ」で「非合理的」である。しかし「自分が直面している状況に関して、切り口を変えると、全く見方が変わってしまうことはある」と。
 それ対し上橋氏は「母の贈り物」の章で、哺乳類の多くが、生殖年齢=寿命であるが、人間は生殖年齢を過ぎたあとも非常に長く生きる」ことを指摘する。そして上橋氏の母の死がせまっている状況にあることをいい、それを知って様々な本を見て行ったなかで星野恵津夫氏の「がん研有明病院で今起きている漢方によるがん治療の奇跡」に出会った、という。そこで、漢方で化学療法の副作用を軽減できること、がんそのものにもある程度の効果がみとめられる場合もあって、西洋医学だけで対処するよりも身体的に楽な時間を過ごしている患者がいることを知ったという。「人は必ず死ぬのであるが、それがありありと見えてくるのが重篤な病気にかかったときであるが、がんを治すのではなく、がんと共に生きる」ことを津田医師から教わり、「漢方で支えていただいたお蔭で、母は一年半とても元気で過ごせました」という。
 さて、ここが問題で、一人の人間に二つの治療メニューを試すことはできないから、「漢方で支えていただいたお蔭で、母は一年半とても元気で過ごせました」ということの検証は不可能である。
 「私たちの輪郭を形作るもの」の章で津田氏は「人類は「性」システムそのものを忌避する方向に動いているとし、経済先進国の人口減少はそのためであろうとし、中進国もいづれその後を追うだろう」としている。また「医者は患者さんの最後には、なにもして差し上げることは無くなって、ただ立ちつくすだけ」だが、それどころか、「患者さんにたくさんのことを教えていただくだけになる」という。氏は麻AĪが進歩すると残るのは凡医のしていたこと、ファーストエイドの分野かもしれないという。なぜなら「人間は死ぬ」ということをAĪはうまく扱えないから、と。
 そこにこんなことが書かれていた。看護で「患者さんの部屋に入る時は必ず3回ノックする。必ず挨拶をする。患者さんの目をみて言葉をかける。触れるときは手のひら全体で触れる」という看護法があるのだという(ユマニチュード)。それに対して「重度の認知症などでは、そんなことをしても意味がない」という反論が出た。しかしそれでもこの看護法を続けると、せん妄の患者さんが驚くほど回復することがあるのだそうである。「人間らしく扱うこと」が大事である、と。
 100年前のスペイン風邪でも漢方が卓効があったのだという。今のコロナにおいても漢方はある程度の有効性があるのではないか、と津田氏はいっている。
 わたくしはごりごりの西洋医学の教育のなかで育ったので、漢方について教育を受けた記憶はまったくない。それで長く偏見をもってきた可能性がある。一つには漢方薬は保険収載されるに際して二十盲検のような手続きを経ず、中国千年だか二千年だかの歴史で有効性が証明されているといったことで収載されたという経緯があることで偏見をもっていたのかもしれない。今の若い先生方は我々の世代よりずっと漢方に関心をもっているようで、多く漢方薬を処方している。
 わたくしもB型Ⅽ型のウイルスに直接アタックする薬が開発される以前は小柴胡湯と桂枝茯苓丸を処方していた。これで肝機能検査の数字がよくなるとされていたからである。ミノファーゲンⅭの注射というのもしていた。
 とにかく患者さんに治療法はありません、というわけにはいかない。見捨ててはいないですよ、ということを示す手段としての漢方処方であり、注射であったように思う。
 今の若い先生方は我々の世代よりずっと漢方に関心をもっているのは、西洋医学の限界ということを感じているからではないだろうか? 西洋医学抗生物質という魔法の弾丸を手にしたことで一気に信頼をえた。「時に癒し,しばしば和らめ,常に慰む」なんて言葉が残っているのは、過去においては、多くの場合「慰める」ことしかできなかったからで、それが魔法の弾丸を手にしたことで傲慢?になり、常に慰むことを忘れてしまった、そういうことではないだろうか? 
 先に引用した「星野恵津夫氏の「がん研有明病院で今起きている漢方による漢方によるがん治療の奇跡」の「漢方で化学療法の副作用を軽減できること、がんそのものにもある程度の効果がみとめられる場合もあって、西洋医学だけで対処するよりも身体的に楽な時間を過ごしている患者がいる」というのは星野先生が後輩であるので直接話をきく機会があったが、わたくしの持った印象では、がん研有明病院で手術をしたが再発した、あるいは手術自体ができなかった患者さんの紹介さきとして星野先生の外来があったのではないかということである。星野先生は漢方の効果を信じているから最後まで患者さんを見捨てずにいる、そのこと自体が有効であったという可能性もあるのではないかということである。
 漢方薬というのは薬の本でも特殊な扱いをされていて、抗菌薬、糖尿病薬、・・・の後に巻末に「漢方薬」という項目がある。なぜなら漢方は疾患別に有効というのではなく、症状別に効くということで西洋医学に基づく薬の分類には馴染まないからだろうと思う。薬の本で真っ先にでてくるのは抗生物質である。やはり西洋医学の薬を代表するのは抗生物質なのである。そして巻末にまあこれも載せなければという感じでアイウエオ順に漢方薬が収載されている。わたくしが有効性を実感しているのは芍薬甘草湯で足がつった時などに著効を示す。だから以前よりは漢方への偏見は減ったと思うが、それでも若い頃に持ってしまった偏見も相変わらず根強く残っていることも感じている。
 中井久夫氏は「臨床些談」(みすず書房 2008)で、「ガンを持つ友人への私的助言」で、ストレスを減らす。笑え。などと共に、大健中湯、補中益気湯十全大補湯などを薦めている。「臨床些談 続」(みすず書房 2009)では、1970年代に漢方薬が二千年の経験を理由に臨床検査を省略して保険に収載されたことは西洋人には理解できない話だろうとも書かれている。また近代医学は主戦場を重視、中医学兵站を重視ともいわれている。
 わたくしは若い頃には主戦場を重視、歳をとると兵站重視になるのではないかと何となく思っている。