猪飼周平「病院の世紀の理論」(2) 第2章「所有原理型医療システムの原型」明治期日本における開業医の形成
所有原理というのは本書にかなり特有な用語である。猪飼氏は、医療システムをまず、専門医と一般医を分離するシステムをもっているか否かで区分する。イギリス型は専門医と一般医を明瞭に区別する行き方である。それに対してアメリカと日本は分離しないシステムである。ここで疑問が生じるかもしれないのは、日本でも病院と診療所という区別、あるいは病院勤務医と開業医というかなり明瞭な区別が存在するのではないかということである。しかし日本が分離しない方に分類されるのは、日本の医学教育においては一般医を教育するシステムが存在せず、すべての医学教育が専門医教育であること、日本の開業医が相当長期間(平均10年くらい)の病院勤務を経てから開業するのでセカンダリ・ケアという専門医領域に充分精通していることなどによる。
次に氏が分類の指標にするのは、プライマリ・ケア担当の医師が自ら病床を所有するかか否かである。日本は所有する。それを「所有原理型の医療」と命名するわけである。アメリカではプライマリ・ケア担当の医師が病院をも利用する形態であるが、その病院はその医師以外の主体によって設立されたものであるので自己の所有するものではなく、アメリカの医療は所有原理型ではないことになる。日本の医療の最大の特徴は開業医が設立した小規模な病院が多いことであり、実は日本の医療の諸悪の根源がそこにあるとする論者は多い。つまり医者が自分の所有する病院において医療をおこなうのであれば、それは金儲けのための医療になってしまうのではないかということである。本書のもっと後で考察されることになるが、日本の医療の欠陥の多くが医療が私的なものとしておこなわれいることであるので、それを公的なものに置き換えていこう、それが日本の医療の改善へのなによりの方策であるという主張が広く行われてきた。それが「医療の社会化」と呼ばれる運動である。その論点については猪飼氏は批判的なのであるが、それはまた別に考察することとして、本章では、日本ではなぜそのような「所有型原理システム」選択されてきたのであろうかという問題が歴史的に考察されている。
明治維新において、他の分野と同様に西洋医学もまた舶来のものとして輸入された。しかし明治維新の1868年当時において、西洋医学もまだ19世紀の医療であり、治療的有効性はそれほど期待できない段階であったことが重要である。明治維新後新たに養成される医者は西洋医に限定されることになり、漢方医は衰退していくことになる。江戸期を通じて日本には病院に相当するものはほとんど無きに等しかった。したがって西洋医学とともに病院という組織もまた輸入されてくることになる。1870代後半には早くもすべての府県に病院が存在するようにはなってはいたが、それでも病床数は西洋諸国にくらべればきわめて少なかった。
1910年頃から「病床の一般病床化」がおきる。病床が患者を治療するためのものとなっていく。西洋諸国においても19世紀においては病院は富裕者がはいるところではなかった。富裕者にとっては自宅のほうが病院よりもよりよい治療環境であったのである。病院は貧者のためのものであり、イギリスにおいては救貧法やフィランソロピーの伝統のもとにできあがってきた。したがってイギリスにおいては、病院は貧者の療養の場から富裕者も利用する治療の場への変換という「病院の世紀」への転換を経験することになる。しかし日本の医療の伝統的な形態は往診であり、病院という形態そのものがほとんど存在しなかった。したがって明治維新以降に建設されることになった病院が担うことになった役割は、1)西洋医学の威力を示す場、2)衛生行政の中核施設、3)西洋医の養成の場、であり、「治療の如きは第二義的であり、貧困者は対象外」ということになった。日本におけるフィランソロピーの伝統の欠如がそれを助長した。したがって病床は上中流階級が占拠することになった。病院が上記のような役割を期待されていたとすると、西洋医学がある程度普及してしまうと、1)と3)の役割が失われてしまう。
1874年に、従来の開業の医師(大部分は漢方医)に無試験で一代限りの医師の仮免状をあたえ医業を継続することをみとめる一方、新たに養成する医師は西洋医のみとし、試験科目から漢方を除いた。これにより日本の急速な西洋医学化が進んでのであるが、中国や韓国においてはいまだに正式な医師として漢方医が存在していることを考えると驚くべきことである、と猪飼氏はいう。これは、明治政府の強力な意思と社会の側でもそれを受容する素地をもっていたことの双方があってできたことであろうとしている。双方に存在したいた西洋信仰ということであろうか?
西洋医養成の道には3つがあった。1)大学 2)医学専門学校 3)内務省医術開業試験の3つである。
1886年東京大学医学部ができた。これはドイツ語で教育をおこなう予科3年、本科5年という本格的なものであったが、当時、医学士を出すところはここだけであった。そこを卒業した医学士はただちに医学教育者あるいは軍医や地方衛生の指導者となっていったので、臨床のほうにすすむものはいなかった。そのため、医学専門学校が西洋医養成の大事な場となり、また学歴にかかわらず合格すれば開業がゆるされる医術開業試験も大量の西洋医養成の場となった。そのための予備校としての私立医学校が後に慈恵会医科大学や日本医科大学、東京医科大学となっていった。
このような構造はイギリス型の専門医と一般医の身分構造へと向かう素地をもっているように見える。医学専門学校出身者と開業試験合格者は開業医となり、漢方医からの一代限りの医師もまた開業医であったからである。しかし日本はそうはならなかった。なぜであろうか?
1890年ごろから医学士(すなわち東京帝国大学卒業生)が少しずつ開業のほうにむかうようになり、1900年を過ぎると四分の一が開業するようになる。猪飼氏によれば、その最大の原因は公立一般病院の不振である。1888年から20年の間に、公立病院は223から96にまで減っているのだという。したがって公的病院への就業の道が難しくなった医学士が開業セクターへと流れるようになったのだと。
公立病院の不振は従来は松方財政の破綻と1887年の勅令により府県立医学校兼病院が廃止されたためであるとされてきた。しかし猪飼氏はこれに異を唱える。第一にこの勅令は公立医学校を地方税によって支弁することを禁じているが、病院については規定していない。第二に勅令以前から公立医学校はすでに減り始めている。地方は医学校を維持することが困難になってきていたのであり、この勅令はその現状を追認したものに過ぎないと氏はいう。第3に、このころの公立病院の多くは医学校を併設しておらず、勅令の対象にはなっていない。
猪飼氏によれば、明治期において医学教育については政策意図が存在していたとしても「病院政策」と呼びうるようなものは、そもそも存在していなかった。
氏によれば、当時、衛生に対する理解が進んだので病院はその役割を終えた、医学教育のための場であるなら医学校がなくなったら不要になる、開業医が順調に育ってきているので今後は病院は彼らに委ねてよい、というような議論が公立病院不要論として唱えられていた。いずれにしても1890年ごろには公立病院はその積極的な存在理由を提示できなくなっていたという。戦前は地方財政はきわめて脆弱であり、病院を援助する力がほとんどなく、財政が赤字である病院を維持する余地がなかった。
東大以外に京都帝国大学や九州帝国大学からも医学士が排出してくるようになると医学士すべてを教育職や軍医として吸収していくことが困難になり、医学士は開業セクターへも流入せざるをえなくなった。これが日本の医療の構造を規定することになった。しかし私立の病院は玉石混交であり、木っ端病院とか山師の寄合身上などと陰口をたたかれる病院も少なくなかった。しかし1900年当時帝国大学付属病院においてすら、「遣手あがりの看護婦が長煙管をふかしながら若い看護婦の取り締まりをおこなう」という状態であり、「開腹手術など年に3・4例で、消毒が不十分なために死亡率も非常に高い」という状態であったのだから、仕方がないのかもしれない。
さて、開業セクターに学士・医専卒・試験及第医・漢方医からの一代医という階層が存在するときに共存が可能なのであろうか? イギリスにおいては顧問医と一般医のあいだで患者の奪い合いがおき、その結果一般医からの棲み分けの提案として、一般医からの紹介患者のみを顧問医がみるという現在の体制がつくられていった。
しかし日本においては開業医が集団としてのまとまりを欠いていた。そのため開業医の団体においても医学士が指導的な役割を演じることになった。
20世紀を「病院の世紀」とする猪飼氏の仮説はきわめて魅力的なのであるが、世紀というたまたまの区切りに議論をあわせるためにちょっと強引な論と感じるところがある。「病院の世紀」の前提は治療の有効性の確立ということであろうが、それを20世紀初頭に求めるのはいささか厳しいように思う。それは1940年あたりなのではないだろうか? やはりペニシリンという魔法の弾丸が実用に供されたというあたりがエポックを画したのではないかと思う。それ以前も西洋医学の有効性は存在したであろうが、それは主として公衆衛生方面で発揮されたのであり、個々人の治療ということにかんしてはあまり見るべきものはなかったのではないだろうか? とすれば、もともと病院の伝統がないところに西洋由来の舶来上等として病院を輸入してみても、そんなものが何の役にたつのかということになる。20世紀初頭の公立病院の不振というのはそれによるのではないだろうか? それならば私立の病院ならなぜ成立するのるかといえば、「楡家の人々」の楡基一郎なのではないだろうか? 医療に何もできることがなければないほど、山師的才能のある人間にとっては才能が発揮できるわけだから、学士様の権威をつかえばいろいろなことができたのではないだろうか?
ナイチンゲールはクリミア戦争で有名になったわけであるが、1950年代の戦場の野戦病院というのがどのようなものであったというのは考えるだに恐ろしいものがある。ナイチンゲールが清浄な空気というようなことをあれだけ強調するのも、それ以外に有用なものがほとんどなかったということなのである。
猪飼氏は日本に救貧法的な志向が存在しなかったこと、フィランソロピー的な伝統がなかったことが日本の医療を大きく規定したとする。19世紀の西欧の病院はそのための収容の施設が主たる役割であった。21世紀がふたたび「病院の世紀」でなくなってくると病院はふたたび治療の場ではなく収容の場という役割も担うことになるのかもしれない。そうすると再び、そのような伝統を欠くことが、これからの日本の医療の方向に大きな影響をしてくることになるのかもしれない。
それと、日本では開業医が設立した病院が多いのは事実であるが、現状においては大規模な病院は何らかの公的な背景を持っているのではないだろうか? つまり勤務医の大部分は雇われなのであって、自分で病床を所有していない。日本の病院が所有原理型であるといわれてもなんとなくピンとこない理由がそこにある。多くの勤務医が病院にいる理由はセカンダリ・ケアのほうがプライマリ・ケアよりも面白いというのが第一であると思うけれども、お金のことを考えなくてもいいというのもまた大きいのではないだろうか? 病床を所有して(つまり自分の医院あるいは病院をもって)従業員に給料を払う苦労とか銀行に頭を下げて資金を借りることとか、そういったことに頭を使いたくないというのが大きいと思う。わたくしはかつて一度も開業のことを考えたことがない。父が終生勤務医であったので医者というのはそういうものと思っていたのが大きいのかもしれないのだが。弟が銀行員で、医者になってしばらくすると「なぜ開業しないのだ」ときいてきた。その当時の銀行から見ると開業医というのはとても儲かるものであったようで、いくらでも金を貸すという雰囲気であった(今は様変わりしていて、銀行はなかなか貸してくれないようである)。そこそこ食べられていけばいいので、お金のことに気をつかうのはいやだと思っていたので、とんでもないと思ったが、気がついてみると、年齢がいって病院の経営について責任を持つような立場になってしまっていた。しかし医療法で病院のトップは医者でなければいけないことになっているから、そうなっているのであって、あまり当事者意識がもてない。医者に経営者としての能力があるはずはないのであり、実際には裏方のかたが全面的に動いてくれているのであるが、日本の勤務医がお金のことにあまり関心がないというのが自慢にならないことであることは間違いないであろう。岩田健太郎氏もいうように「開業医は一般に勤務医の知らない知の領域に精通している人が多いです。例えば、お金のこと」というのは本当だと思う。勤務医がお金のことに疎いことが日本の医療費を押し上げている可能性は高いと思う。
昔読んだ池上&キャンベルの「日本の医療」では、日本の医療体制が現在のようであるのは、江戸時代から医業というのが自由開業制であったという伝統によるとされていた。それでなんとなく納得していたのだが、本書でも述べられているように、病院というもの自体が江戸時代にはほとんどなかったわけである。そうすると一般的な感覚としては、開業医が作るような小さい規模の病院までは、自由開業制の延長の中にあるのであり、高度先進医療を担い先端的な医療を行う病院だけが西洋由来のそれとは別の公的な役割を担う(本当の?)病院なのであろうか? 病院と診療所との間に線を引くのではなくて、《大病院》と《中小病院と診療所》という間に線が引かれるのだろうか?
次の第3章は日本における医師のキャリア形成の問題を論じている。
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