(1)2011・3・18

 
 もう一週間がたってしまった。すでに細部は記憶から消えかけてきているが、東京の小さな病院でそれがどのように影響したかの記録として、以下、少し書いてみることにする。
 
 3月11日(金) 地震がおきた時、外来のブースから患者がちょうどでたところで、少し前にみた患者さんの胸部レントゲン写真をPACSでみていて、ちょっと気になる影があり、すぐにCTをとろうかなと考えていた。揺れがきて、いやに長いな、なかなか止まらないなと思っているうちに数分が過ぎてしまった。それでもようやくおさまったので、その患者さんを呼び込んで、本当は今日CTをとったほうがいいかもしれないのだけれど、今の地震のあとでCTのベッドで横になっているのもいやでしょうから、検査は月曜にしましょうということで納得してもらった。それで、様子をみようと外来の外にでてみると、かなりの数の外来の患者さんと職員が玄関の外にでていた。一方、院内放送では「大きな地震がありましたが、指示があるまでその場で待機してください」という放送が流れている。しばらくするとまた余震がある。さて、外にいる人を建物内に戻したほうがいいかと考えているうちに、それぞれのセクションから大きな被害はなかった旨の報告が入る。それでとりあえず館外にでていたひとを内に戻ってもらい、院内をまわってみる。手術室では幸い手術が終わったばかりで地震になったが、もう一件残っている手術をどうしようかと議論していた。スタッフは不安そうで「延期したほうがいいのではないか」という方向に傾いている。そうであるなら、強行しないほうがいいなと思い、患者さんには申し訳ないとは思ったが今日の残りの手術は延期することとする。そうこうしているうちに交通が大変なことになっているという情報が入ってくる。さて夜勤の看護師さんがでてこられるだろうか? 病棟をまわって勤務を確認してもらう。とても幸運なことに夜勤の看護師さんは幸いなんとか徒歩通勤可能な場所のひとたちであった。
 本日、夜に予定になっていた3月一杯で辞めるドクターや職員の送別会をどうしようかと相談をうける。会が終わったあと自宅への足がないとどうしようもないので、中止とする。
 余震が時々まだくる。来週の手術をどうしようかということになる。やってもいいのではないかという意見とやめたほうがいいのではという意見がでる。テレビをみると一週間くらいはまだ大きな余震がある可能性が高いといっている。それで緊急やむをえない手術をのぞいては手術は中止とする。このときはまだ交通の混乱とか電力供給の問題は念頭になかった。
 そのうちに交通が再開するだろうと思っていたら、今日は動かないままらしいという情報がはいってくる。相当数の職員が帰宅の足がないことになる。事務の方が手際よく食堂の方に夜食の確保を頼んでくれた。結局職員と見舞いに来たかたのあわせて60人以上が病院で夜を過ごすことになった。わたくしも3時間以上歩くのもいやなのでとまることにする。
 
 3月12日(土) 7時ごろ起きてテレビをみてはじめて惨状を知る。8時過ぎに、昨夜から病院に泊まったひとへの食べ物が手配がされている。近くのコンビニへいったひとが「食べ物はなにもないし、携帯の充電器もない」という。日勤の看護師さんの一人から新宿駅で足止めをくって動けないという連絡が入る。しかし、なんとか大部分のスタッフは出勤してきている。休日であることが幸いした。
 すぐに動いても交通が大変であると思い、しばらく様子をみていたが特に問題もないようなのであるので、昼ごろに帰る。交通に大きな混乱はなかった。
 
 3月13日(日) 病院にいく。実は病院が気になったわけではなくて、ホワイト・ディの大荷物を明日の通勤電車で運ぶのは大変なので、今日運ぼうと思っただけである。20人のスタッフのいるセクションから一個もらえば、20倍返し(?)が必要なので、5〜6か所の部署からのバレンタインギフトのお返しが大変な量になる。
 各病棟をまわってみるが、機器の故障もなく平穏であった。
 
 3月14日(月) 朝、わたくしよりも遠くから通っている事務部長から電車が大変ですよ、という連絡が入る。それで早くでるがJRを敬遠して地下鉄でいったところ大きな混乱なくつくことができた。おそらくこの地震が東北の問題ではなくわれわれの問題でもあることを最初に実感したのはこのころなのではないかと思う。
 昼、臨時の部長会。木曜におこなっている夜間外来をしばらくやめることとする。通勤の足が懸念されるときに、なるべく定時以外の業務をなくすためであったが、今週にかんしては正解であったことが後にわかる。
 急な停電があった場合に自家発電にうまく切り替わるかが議論されたが、定期点検ではうなくいっているが、実際に急な停電となった場合に自動できるかわるという経験がないことがわかる。万一の場合は手動で切り替えるとのこと。
 夜、関連の診療所に顔を出す日であるが、職員を早く返すので来所不要との連絡が入る。
 
 3月14日(火) 夜、定例の部長会。地震後の現在までの状況の報告と自家発電などの確認等。昨日の健診センタの受診予定者の半分はキャンセルとの報告。今日は昨日ほどではないがやはりキャンセルが多い。外来はあまり変わらない。
 
 3月15日(水) 外来は普段とあまり変わらない患者数。明日に予定されていた健診センタのソフトウエアのデモと打ち合わせは中止となる。「計画停電」の範囲に当院が入るかどうかの確認。
 
 3月16日(木) 停電の可能性があるという情報に振り回される。交通の混乱も懸念されるため、なるべく早く職員を返す。夜間外来を中止しておいて、よかった。来週の手術は当院が計画停電の施行範囲に入るか、大きな停電が予告される事態でなければおこなうこととした。
 
 3月17日(金) 被災した方が外来にくる。仙台空港近くで津波に巻き込まれ5時間くらい海水の中にいたという。13日に車で東京に戻り、聖路加病院で応急処置、東大で破傷風の予防接種をしたが、熱が続くとのことで来院。肩の脱臼と両下腿の凍傷など。さいわい大きな異常なく、尿路感染と思われた。明日以降の3連休の間に大きな地震が万一あった場合についての対応を事務部長と打ち合わせて帰る。
 
 テレビで被災地の情報や原発事故の報道を一方でみながら、外来診療をおこなっていると痛感するのが、われわれのおこなっている医療が「平時の医療」であるということである。高血圧とか糖尿病とか高脂血症の治療とかあるいは健康診断とかいうのは、今日の生活が明日も同じに続いていくことを当然の前提としている。しかし、今の被災地では日常の生活がその場もふくめて根こぎにされている。
 
 いくつかの噂:放射性物質が遠からず水を汚染するからいずれ水が飲めなくなる。今のうちに飲料水を確保しておけ、とある政府筋のひとがいっていた。
 子供や胎内の赤ちゃんは大人の100倍放射線に弱いから関東圏の子供などは関西以西に避難すべきである。実際にすでにそうしているひとがいるらしい。
 
 原発事故:早くから海水を注入しておけばよかったというひとがいる。結果論だと思う。医療行為で悪い結果がでたときに、だから別の治療を選んでおけばよかったといえるのは結果がでて、それを知ったからである。だから医療行為ではある行為を選択する場合の基準は確率である。しかし、確率は個々の人のそれぞれの結果については予言できない。原発事故などというのが何回もおきているわけではないので、ある選択をした場合の確率という知識をもっているひとはどこにもいないはずである。それをある程度でも知っているのはそれに関係した学者や技師であろう。しかし、それらの人にとって原発施設というのはいわば自分の腹を痛めた子供なのかもしれない。それをみすみす自分の手で殺すような選択はしなくない。なんとか助けられないかだろうかというバイアスが無意識に働くことはないとはいえないような気がする。To err is human 過つは人の常。現在の原発の事故にかかわっているひとは後から見て最善と思われる選択をしなかった場合はすべて叱責に対象になってしまうように思われる。医療の場にいる人間としては他人事とは思えない。
 
 なお、いうまでもなく、「地震のあとで」というのは村上春樹氏の短編集「神の子どもたちはみな踊る」が「新潮」に連載されたときの題名。