入院日記(3) 四日目

 
 だいぶ落ちつたのですこし長い文章も打てるようになった。
 手術の前日に入院し、翌日手術で今日が手術後2日目なのだが、どうも手術の日というのが現実感がなくて、何となく、まだ入院後3日のような気がする。
 入院した日は暇で、あまりすることがない感じで、看護師さんに病歴を話したり、麻酔科の担当のひとがきて確認をしたりということがあるが、主なことは主治医からの手術の説明である。とはいっても自分の勤務している病院に入院するのであるから主治医は同僚であり、わたくしとしては一々説明をきかなくてもわかっているのであるが、わたくし以外の家族の誰かにも説明しておかなければならないということがあって、その説明が相当な時間をとることになる。あとは承諾書の山である。かりにわたくしに何かがあっても病院を訴えるというようなことは絶対にないのだから、そんなものはいらないようなものなのだが、それでも必要ということらしい。とにかく病院機能評価というのがおこなわれれるようになってから、どんどんと紙が増えてきて、医者の仕事のかなりがその書類の作業になってきている。今まではあまりにいい加減だったということは確かにあるが、この反動で今度は不必要に承諾書が増えてきている。手術の承諾書はもちろん、輸血、抗生物質の投与などすべてに承諾書が必要となる。これはちゃんと説明をしたという証拠であり、説明したからといって、何かあったときに責任を回避できるということではないのだが、インフォームド・コンセントの時代であり、とにかくインフォームしたという証拠を残しておく必要があることになる。
 ということで初日は承諾書のサインと手術後の説明、麻酔の説明など広い意味でのインフォームの儀式で終わってしまう。手術にかんすることは夜の9時に飲まされる下剤と睡眠剤の服用くらいである。普段午前1時までおきている人間が9時に寝るというのはつらくて、個室にいるのでお目こぼしで10時服用にしてもらった。寝られるかなと思ったがなんとなく眠れてしまった。
 手術日は6時おきで、血圧・検温等の測定、7時に浣腸、9時から点滴がはじまる。実は浣腸も点滴も生まれてはじめてで、点滴なんていうのは針を刺しっぱなしになるわけで、嫌だなと思っていたら全然痛くはなかった(爆)。
 後やることは弾性ストッキングの着用なのだが、術後合併症としての血栓症の予防である。これをしておけば血栓症がおきないということではないが、おきたとしても病院としてはちゃんと予防策を講じましたという弁明ができることになる。とにかく今日の医療は防衛的になっている。
 午後一時に手術室にいく。心電図、血圧計、酸素のモニターなどをつけて、じゃあこれから麻酔です、といわれたらすぎにわからなくなってしまった。気がついたのが午後8時くらいで、手術室をでたことも、部屋にかえったこともまったく覚えていない。仰向けで、血圧計、心電図などがついているし、足には血栓予防の機械がついているし、酸素マスクもしているしで、体動ができない。なんとなくお腹がいたいような気がするが、それほどではない。何となく考えるのは、手術はうまくいったのかなということであるが、どうも手術室であるいは部屋の戻ってから説明があったのかもしれないが記憶から飛んでしまったのかもしれない。ベッドサイドのモニターに時間がでていて、見るとまだ午後10時だったりする。12時くらいに「痛み止めとか鎮静剤とか使いますか?」ときかれたので、お願いすることとする。それで痛みが軽くなりうとうとしてきて、眠ってしまった。もっとも二時間ごとに血圧測定があるのでそのたびに醒めてしまうが。
 翌朝、6時くらいに採血。だいぶ頭がはっきりしてきて、尿管カテーテルがはいっているはずなのに全然違和感がないななどと考える(入れたのは麻酔がかかったあとなので覚えていない)。挿管されていたはずなのに、特に喉に違和感もない。心電図などが次々にはずれ、尿管のカテーテルも抜去(抜くときは違和感はあった)。点滴も中止(一応、鎮痛剤を使う可能性を考えてキープしたが結局使用しなかった)。レントゲンをとりにいく。歩けるような気もしたが、車椅子に乗せられる。レントゲンで問題なしとのことで、昼から食事が始まることとなり、歩行が開始となる。起きるときなどお腹に響くが通常の動作ではあまり痛みはない。昼から飲み薬で痛み止めと抗生物質がはじまる。歩いていると何となく前屈姿勢となってしまう(そのほうがお腹の痛みが少ない)が、無理して歩いているというほどではなく、庇っているという感じのほうが強い。
 それで今日で術後二日目であるが、お腹にはいっていたドレーンという管が抜けて、すべての管がなくなった。後は痛みがが大したことがなければ、退院も可能ということになる。実は今週は外来を休みにしてあるので、家で休んでいて外来を休むものなんだしということもあり、来週の月曜は外来があるが、通勤するのも大変であれば、抜糸予定の来週の火曜日までは入院していて、月曜は病室から外来にいこうかと今は考えている。
 医者というのは因果な商売で特に病室を受け持っているときには原則として遠くにいけない。患者さんが急変したりした時には常に駆けつけられるように連絡可能でかけつけ可能であるところにいなくてはいけない。医者になって最初のころは電話、しばらくしてからポケットベル、最近では携帯電話の時代になって、ますます逃げようのない「猿回しの猿」状態になっている。その義務をまぬがれるのは夏休みとかあるいは学会で不在などの時などだけで、誰かに代理を頼んでおかない限り正月でも遠くにはいけない。学会にでかけて東京を離れるときの開放感というのは、何よりもこれで病院から連絡がこないという開放感である。わたくしは病室を担当しているときにすべての患者さんの臨終にたちあっていると思う。もちろん、急変して病院にかけつけたときにはすでに亡くなっているということはある。しかし、死亡診断書を誰かに頼んで書いてもらったという経験はない。だが、これはとても非人間的な生活というべきで、最近では、こういう場合に当直医にすべてを任せるというのがだんだんと普通になってきているようである。それは当然の動向であると思うが、わたくしが若いときにきいた話では、同僚のお父さんがかなり大きな病気でどこかに入院したときの話として、朝、病棟に主治医の顔が見えないと、家族が「どうしたのだろう、交通事故かなにかでこられなっくなったのではないだろうか」と心配しているというのである。それでとにかく主治医の顔が見えると安心するというのである。何かあったときに代理の医者では的確な判断ができないのではないかという不安は家族にはつねにあるらしい。煩瑣な書類を作るよりも主治医がなるべく顔を出すほうがよほど訴訟の予防には効果的なのではないかとわたくしのような古い医者は思ってしまうのだが、今現在は、手術という公認で仕事を休める立場にいるのだから、もう少しその特権を利用させてもらおうかなとなどといささいかずるいことを考えている。内田樹さんもどこかでいっていたが、病気になることの何よりの特権はその間、社会的義務をおおっぴらに降りることができるということなのだから、もう数日はそれを使わせてもらおうかと虫のいいことを考えて考えている。