常石敬一「結核と日本人」

 
 著者は科学思想の専門家。結核についての日本の医療史からみた日本の医療の特殊性を論じている。
 
 ヒポクラテスの頃から結核についての記載はある。しかし、それが爆発的な流行をおこすようになったのは、イギリスで18世紀後半から産業革命がはじまり、都市に人が集まり、劣悪な労働・職住環境の下で労働するひとが増えてからである。それを指摘したのがマルクスの「資本論」である。
 ヒポクラテスは病人に、マルクスはその背景にある社会的なものに注目した。
 1882年コッホが結核菌を発見した。細菌学者は社会ではなく結核菌に関心をもった。その後、ツベルクリン反応やBCGも開発された。BCG接種が最初におこなわれたのは1921年であるが、そのころにはすでに結核の流行のピークは過ぎていた。
 1943年、ストレプトマイシンが発見された。1965年、多剤併用療法が確立し、治療期間が一年から半年に短縮された。この成功によって結核の治療は原則として入院ではなく外来通院でおこなわれることになった。
 結核菌が発見されたのは1882年であるが、結核の病態が理解されるようになったのは1930年ごろである。それは結核では感染から発病まで早くても数週間後であり、発症まで何年もかかるひとも多いことによる。また、感染しても全員が発病するわけではなく、発症するのは感染者の10%程度であるとされている。感染して発病する者の70〜80%は一年以内に発病するが、残りの20%は何年もたってから発病する。
 日本では1951年に新結核予防法が制定された。それ以降、結核死は急減している。それで、あたかもそれは結核予防法の成果であるようにみえる。しかし、本当にそうであるのかを検討するのが本書の主目的となっている。
 抗結核剤ができてくる以前には、休養と栄養価の高い食事の摂取のみが結核への有効な対策であった。マルクスが指摘したように都市への貧しい労働者の集中が結核流行の一つの原因であった。イギリス以外の国々でも産業革命の進行とともに結核の流行がみられた。イギリスでは、19世紀後半になって、生活労働環境の改善と栄養状態の改善によって、結核による死亡は徐々に減っていった。しかし戦争などになると、その条件が充たされなくなり、結核はふたたび蔓延した。
 コッホが明らかにしたのは、結核は遺伝などによるものではなく感染症であるということである。抗生物質がない時代、まず考えられたのが血清療法である。そのために開発されたのがツベルクリンであるが、結局これは治療ではなく診断に用いられることになった。一方、BCGは弱毒生ワクチンで、生ワクチンであることよりまったく無害というわけではなく、またその効果についても疑問が呈されている。またそれによりツベルクリン反応が陽転化する可能性があることなどから、結核診断にマイナスになる可能性もあり、アメリカでは使用が推奨されていない。
 感染症は先進国では次第に問題にならなくなっているが、途上国では依然として問題である。とはいっても、日本は先進国の中では一番結核患者が多い国になっている。これがなぜかということを考えるための絶好のコントロールとなる地域が沖縄である。1972年の返還まで、それは日本の医療政策のそとにおかれていたからである。たとえばBCG接種はそこではほとんどおこなわれてこなかった。その比較検討からは日本の結核対策が有効であったとはいえないのではないかと著者は主張する。そもそも結核に対する対策の方向が違っていた。沖縄では患者をみつけて治療していくことが基本になったが、本土ではBCGの予防効果が主な対策であった。
 沖縄では広報(結核は治る病気であるという知見を広める)、医師への欧米流の結核対策の教育、治療設備の拡充、患者の発掘、治療、外来患者看護と在宅治療の普及がなされた。直接監視下の短期化学療法であり、保健師がその中核を担った。米軍の衛生担当部門が指揮して、結核の蔓延状態の把握から対策が出発した。患者数、医者数、病床数、空床、ベッドの回転数などをもとに治療計画をたてた。また医師、看護師、レントゲン技師の再教育をおこなった。患者を見つけて治すということが基本となった。
 日本では基礎データを欠いて計画がつくられる傾向がある。本土では結核制圧計画の主導者は厚生官僚と学者であった。日本の結核予防法は1919年にはじめて制定され、1951年に新法ができたが、基本的に健康人を結核患者から守るという方向であり、隔離が基本となった。
 1964年にWHOは、1)BCG接種は14歳以下にツベルクリン反応は省略して全員におこなう。2)患者発見は胸部レントゲンではなく、有症状者の喀痰塗沫検査を中心にする。3)入院治療は不要で、外来で3者併用療法1年間とする、を勧告した。しかし日本では、これは経済的に貧しい国への対策の勧告であるとうけとって、自分の問題であるとは受け取らなかった。
 日本で行われていたレントゲン所見の病期病型分類は詳細すぎて実用的ではなく、専門家の自己満足の要素が強く実際の臨床にはあまり役に立っていなかったのではないかということがいわれている。日本の結核学が国際標準に達したのは1990年以降ではないかと著者はいう。レントゲン診断は難しいのだから呼吸器症状があればまず痰の検査のほうが現実ではないかという意見も紹介されている。レントゲン検査のほうが痰の検査より手軽であるという意見に著者は疑問を呈している。
 結核の治療は原則として通院で可能ということについてはいまだに日本では普及していないという。標準的な治療をすれば一カ月以内に他人に感染させるおそれがないことも常識にはなっていないという。現在、結核発病即入院というのは先進国では日本だけであるのに、と。
 日本では一度法制化されると、それがなかなか変わらない。現在でも「結核は怖い病気キャンペーン」がおこなわれているのは、一度つくられて組織が自己の存在意義をキャンペーンしているしているのではないか(とまでは著者は書いていないが・・)。
 以上が第4章までの要約で、最後の第5章はこれまで見てきた結核行政からみて、日本の医療全体の問題点を論じたものであるが、一番議論が平板になっている部分で、それは著者が医療の現場についてはあまり詳しくないからではないかと思う。猪飼周平氏の論も引用されているが、猪飼氏の「病院の世紀の理論」にくらべると視点が浅いように感じられた。
 
 医者は病院にいて患者を待っている存在であって、道を歩いているひとが顔色が悪かったとしても、あなた症状ないですかなどと声をかけることはしない。だから社会を見る視点が乏しい。考えてみるとわたくしは抗生物質がでてきた時代に生まれた人間なので、「魔法の弾丸」が主役である医療の時代を生きてきたわけである。当然、結核も薬で治す病気という認識なのであった。
 わたくしが結核について、最初にこの本に書かれているようなことについて考えたのは、大分以前に砂原茂一氏の本で、結核という病気は結核の薬が出る前から減り始めていたのだということを読んだときである。浅はかにも、それまでは抗結核剤がでてきたので結核が減ってきたと思っていたのである。およそ公衆衛生学的視点を欠いていた。
 今から思うと、たとえば学生のころ買った日本の内科学の教科書で異様に結核に割かれているページが多いとか、結核と診断がつくと届出を出せねばならず、そこに学会分類といわれていたレントゲン所見の細かい分類を書かねばならないとか、アメリカにいくひとの健康診断書にうっかりツベルクリン陽性と書いてしまうと、一年間抗結核薬の予防投与となってしまうとか、いろいろ変なところがあった。しかし、その多くを日本の結核学が進んでいるためと錯覚していたふしがある。なにしろ日本はかって結核が蔓延していた国なのだからそれについての学問的蓄積があり、それで教科書の記載も多くなっているのだろうと思ったし、学会分類という細かい分類も治療成績の評価のためには必要なのだろうと思っていた。アメリカは大雑把だからツベルクリン陽性というだけで、それ以上細かい検査もしないで結核と決め込んでしまうのだろうと思っていた。日本の結核学が世界標準からいって大きく遅れている(あるいは少なくとも偏っている)というようなことには思いいたらなかった。
 医学は一応は科学に依拠している。日本で結核と診断されるひとがアメリカでは別の病気と診断されるというようなことはないという前提のもとに医療はおこなわれている。とはいっても、胃癌の病理診断基準は日本とアメリカではかなり異なっているといわれているし、ましてや精神疾患の診断においてはさらにその違いは大きいであろうが。しかし、どのように治療がおこなわれているか? その病気の克服にどのような戦略を選択するかということについては、地域によってまちまちであり、とても普遍的なものがあるとはいえないし、そのなかでもとりあえずの世界標準とはかなり異なった方向の医療が日本ではおこなわれていることが本書で示されているわけである。
 日本でのBCG接種がそれほど大きな統計的な根拠があるわけではないのに見切り発車的に法制化されていったことが本書で示されている。現在おこなわれているメタボリックシンドロームを対象とした特定健診も似たような経過で法制化されたのではないかという疑問を本書を読んで感じた。その対費用効果を検討するために充分な臨床的数値がないままに踏み切ってしまったのではないだろうか?
 猪飼氏の本でも「魔法の弾丸」を前提とした「急性期」主体の医療の時代は終わろうとしていて、新しいヴィジョンが必要であることが主張されていたが、結核という病気は「魔法の弾丸」が有効であった病気であったのと同時に、公衆衛生的視点をわれわれに教えてくれるものでもある。確かに著者もいうように、結核の場合、いまだに日本では排菌が確認されれば入院である。それも指定の病院への入院である。そうでないと公的な補助が受けられない。しかし、そもそも公的な補助の対象になるということはそれが特別視されているということである。実際、社会でも特別視されていて、一人結核患者がでると、その人が働いていた会社などでかなりの騒動がおきることがある。一般社会だけでない。病院では診断がつかないまま入院してその後結核と診断されるケースがある割合で発生するが、その時は病院のスタッフにもかなりの波紋が生じる。現在の「結核はまだまだ怖い病気」キャンペーンも、結核特別視を解消する方向ではなく強化する方向に寄与している可能性が高い。本書は結核も普通の病気であるということを一番根底にあるメッセージとしてもっているのであるが、あまり一般のひとが読みそうな本ではない。しかし、医療者のなかにおいても、そう思っていないひとも多いのかもしれないので、医療者(少なくとも日本の)が読んでも有効であるのかもしれない。
 

結核と日本人――医療政策を検証する

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病院の世紀の理論

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