岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(2)

 本書での岩田氏の関心はかならずしも狭義の新型コロナウイルス感染の問題にはなく、この感染流行から露呈されてくる日本の抱える様々問題を指摘することにもあるように思うが、まず巻頭におかれた狭義の医学的論議から見ていく。

1)ウイルスとは何か?: 専門家でない人間にとっては、ウイルスは抗生物質が効かないもの、その反対に細菌とは抗生物質が効くもの、と理解していれば間違いない。
2)新型コロナウイルスとは?: コロナウイルスは従来からは4種が知られていて、普通の感冒の原因となっていた。5番目がSARS(2002年)、6番目がMARS、7番目が今回の新型コロナウイルス。(わたくしは誤解していたが、COVID-19というのはウイルス名ではなく、疾患名らしい。)
3) 新型コロナウイルス感染症は、a)最初の症状はほとんど通常の感冒と同じ。感線しても無症状のまま終わってしまうひとも多く、8割の人は無症状か軽症でおわる。残りの2割は1週間くらいの感冒様症状の後、症状が重篤化する。無症状者、無症状期の感染者も他への感染源となりうる。
4)新型コロナウイルス感染症では高齢(といっても40歳以上をいう)ほど重症化しやすい。亡くなるのは80代から90代に多い。
5)今回のウイルスでは(北海道の経験からは8割のひとは他に感染させない。残り2割がたくさんのひとに感染させている。したがってクラスターが問題となる。岩田氏が本書執筆の時点では患者さんのほとんどはクラスターから感染している。電車やバスでの感染はそれほどないし、街をあるいていて感染することはほとんどない。
6)PCR検査の問題:PCR検査の感度は6~7割程度。ということは陰性であっても3割の患者は見逃される。(逆に、陽性であれば、ほぼ感染していることは確実といえる。)
7)以上から100パーセント確実にコロナウイルスへの感染を言い当てる方法はない。とすれば従来からの医療のスキームである《早期診断、早期治療》という方向を今回はとれない。
8)したがってわれわれが従来から持っていた価値観や世界観を捨てないと、今回のウイルスには立ち向かえない。立ち向かえないならその方向をすてなければならない。
9)必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」であり、その根拠になるのは検査データではなく、症状である。
10)正しい診断名を求めるのではなく、そのひとにどのような対応が必要とされているかの判断が大事である。家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断である。
11)従来からある疾患でこれに似た感染症としてインフルエンザがある。なぜならインフルエンザ診断キットの診断精度はそれほど高くないからである(6割程度)。日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。の場合でも求められているのは正しい診断ではなく、正しい判断なのであるが。
12)今度のコロナウイルスの流行によって、インフルエンザ・キットでの検査過程で患者さんの飛沫をあびて、その結果、医者がコロナウイルスに罹患したケースがでてきて、今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した。(これは岩田氏がもう何十年も前から主張していたことであるのに、ようやくそうなったと岩田氏は本書で書いている。大事なのはインフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない、それがようやく認知されるようになった、と。)
13)だから、日本政府のコロナ対策は概ね正しいと考えると岩田氏はいう。4日間症状が続いたら病院にいくといった方針は、最初から正しい診断を放棄するということであって、もともと正しく診断するという方法論に無理があるのだから、日本のやりかたは間違っていない、と。

 とりあえずここまでが第1章で、本書の「あとがき」の日付が3月23日であるから、すでにそれから1ヶ月以上がたっている現在、上記の内容について岩田氏が見解を変えた部分もあるかもしれない。それはこういう緊急出版的な書物のもつ宿命であって、それはやむを得ない。それを前提に以下、少し感想を書いてみる

 まず、従来からあるインフルエンザ診断キットの診断精度が60%くらいとは思っていなかった。もっと高いような気がしていた。外来で臨床経過からまずインフルエンザをうたがって検査をする場合、キットで陽性とでる確率は80~90%はあるように思っていた。発症からあまり早期では診断能が下がるとされているが、発症から半日くらいたっていれば臨床的にインフルエンザを疑う場合の陽性率はそのくらいあるように感じていた。「日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。」というのも事実であると思うが、検査が好きなのではなくて、臨床に熱心なのだと思う。
 診療所で患者さんを診ている場合、心電図やレントゲンはそこで検査できるとしても、検体検査は通常は外注であるので結果がでるのに半日から一日かかる。しかしインフルエンザ・キットはその場で10分たらずで結果がでる。インフルエンザには特効薬がある。とすると診断から治療までが外来に患者さんがきたその時点で完結する。それが熱心な先生方にとっての快感なのではないかと思う。
 インフルエンザには特効薬があるといっても、高々、発熱の経過を1~2日短縮できるだけである。そうであるなら基礎疾患をもたない患者についてはインフルエンザと診断がついても特にインフルエンザ薬を処方せず、家であたたかくして寝ていなさいという対応もありうるわけである。事実、インフルエンザ薬の処方の半分は日本でされているという話をきいたことがある。それは日本が医療機関へのアクセスへの敷居がきわめて低いことも多いに関係していると思うが、日本では診断がついてそれへの薬がある場合に、その処方をしないということはまず考えられないからである。
 『今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した』というのは事実ではあるが、それはインフルエンザの確定診断の利益より新柄コロナウイルス感染のリスクのほうが大きいという現時点での判断による臨時的な対応であり、日本医師会が方針を変えたのではなく、今回のコロナウイルス感染の流行がおさまれば、また従来のやり方の戻るのだとわたくしは理解しているのであるが、違うのだろうか?
 ここでも一番の問題は《正しい診断ではなく正しい判断》が大事なのであるという主張、ひいてはPCR検査をどの程度積極的におこなうべきかという問題である。日本のPCR検査数は先進国としては例外的に少ないといわれていて、それが感染者数の見掛け上の少なさということにつながっているとして、感染の実態が把握されていない、日本の感染者数は過少に評価されているのではないかという批判を世界からうけているらしい。この点については岩田氏は大筋においては今までの日本のやりかたは間違ってはいなかったという立場のようである。
 この点については、わたくしはまったくの不勉強で特に意見を持たないが、一般に今回のような感染症の場合には、感染の拡大の時期と広がりによって対応の方向が変わるらしい。感染拡大の初期においては、クラスターの把握とそこに関係したひとの網羅的な検査が重要であるらしい。しかしある程度広がってしまった場合には、現在行われているような行動変容の要請をしながら、その効果をみていくという方向に転換することになるらしい。そしてその効果判定の一つのツールとしてPCR検査も使われうるということのようで、現在の日本でのPCR検査数は明らかに他国と比べても少なく、それによって感染の実態が過小評価されているという批判を他国から受けるようになっているらしい。
 臨床の末端にいる人間の実感としてはやはりもう少し普通にPCR検査ができるほうが臨床の自由度は増すように思う。通常の臨床において念のための検査というのはしばしばおこわなれている。まず、この病気ではないと思うが、万一そうであるといけないから念のための検査というのはよくおこなわれている。せめて、それに使える程度には検査ができる体制になってもらいたいと思う。わたしのような竹の子医者は、念のためと思ってCTをとったらびっくりというような経験を少なからずしているからである。
 「必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」である」のだとしても、正しい判断をつねにおこなえるわけでもないのだから、検査を出すというのも正しい判断を下せなかった場合の安全ネットとして機能することもあるのだろうと思う。
 この患者さんの病気は何かということを議論しだしても意見が一致しないことはしばしばある。その場合どこからか機械仕掛け神様がでてきて、超越的な立場から裁定をしてくれないと議論は無限退行に陥ってしまう。現在、医療の場において、その神様の役割をしているのが病理診断である。病理診断もしばしば過つ。それは臨床をはじめてしばらくするとどんな医者でも痛切に感じるところである。しかし、そうであっても生検の病理診断が胃がんとかえってくれば、「ぼくの判断は胃がんではない」といってそれを無視することはなかなかできるものではない。病理診断ほどではないにしても、血液検査をふくむ検体検査もそれに近い役割を臨床で果たしていると思う。
 もちろん、岩田氏がいうのは臨床で大事なのは、「インフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない」ということであり、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断であるか」ということである。昔、ある確か電解質バランスについて書いた本を読んでいて、その著者が「医者が外来をやっていて考えているのは、ただ一つ、この患者ひょっとして急変して夜、救急車で舞い戻ってくるということはないだろうな!」ということだけであって、診断名は何かなどということはほとんど念頭にない」ということを書いていて、妙に記憶に残っている。たいがいの病態は医者の診断や介入とはかかわりなく自然に勝手に治ってしまう。新型コロナウイルス感染症も多くは不顕性感染であり、発症しても軽微な症状の場合が多いが、一部症例ではある時から急激に悪化するとされている。だから、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきか」の判断が非常に難しい。もしも、ある程度の確率で感染の有無を簡単に判定できる方法があれば、「家に帰して経過をみてもいい」症状の患者であっても、「もしこういうことが出てきたら、すぐに相談のこと」といったアドヴァイスをあらかじめしておくことが可能となる。
 今朝の新聞に「37.5度以上が4日続くこと」といった従来の検査推奨基準が変更されたことが書かれていた。従来からの方針は明らかに検査抑制を意図してきたように思われる。私見であるが、それが必要とされた最大の理由が、検査の必要の可否の判定や検体の運搬に保健所が主としてかかわる体制で検査体制が構築されたことにあるのではないかと思う。私見では保健所というのは独自の指揮命令の権限をほとんどあたえられていない。そこに過重な負荷をかけるような仕組みでは、それがうまく機能しないのもやむをえないと思う。
 かりに日本のコロナウイルス対策がそれなりにうまくいったのだとしても、それは意図した結果としてそうなったのではなく、日本の従来からの保険医療体制の制約からたまたまそうなったのであって、いわば怪我の功名に過ぎないかもしれないということは十分にありうることのように思う。これは本書の後半(p130以降)で論じられる「日本にCDCに相当する機関がない」という問題ともかかわると思われるが、その点についてはまた別に論じたい。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

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