女性的?

 わたくしは大学で2年間初期研修をした後3年目の研修を外の病院でおこない、大学に戻って学位のための研究もどきをおこない、その後また3年目の研修を行った病院に就職し、その後定年までその病院で過ごすといういたって単純な人生をおくったわけだが、その病院には部長先生から「うちにこないか?」といわれていくことになった。就職してしばらくしてその部長先生に「たくさん来た研修医のなかでなんで僕なんかよんだのですか?」ときいたら「今まできた研修医のなかで君が一番ナースと争わない医者だったから」ということであった。男は闘争的。女は協調的! わたくしは多分女性的なのである。
 その病院に30年いた後半15年院長をさせられたが、その15年間一度も病院が患者さんから医療訴訟をおこされることを経験せずにすんだ。もちろん、「この病院はけしからん! 院長を出せ!」ということは何回も経験したが、とにかくそういう場合、ひたすら謝ることで対応した。決してこちらには非がないと思う場合でも謝る。なんで悪くもないのに謝るのかといえば、「ご不快の思いをさせたことはまことに申し訳ない」として謝る。
 とにかく医者は血の気が多いのが多く、自分が間違ったと思っても頭を下げないし、増して自分に非がないと思ったら「おう、裁判でもなんでもおこせばいいだろう! いつでも相手になる!」となりがちである。争いをさけ、なんとか丸くおさめる。こういうのも女性的性向なのだろう。
 川島武宜氏の「日本人の法意識」(岩波新書1967)に「調停いろはかるた」というのが紹介されている。「論よりは義理と人情の話し合い」「権利義務などと四角にもの言わず」「なまなかの法律論はぬきにして」「白黒をきめぬ所に味がある」・・・。裁判関係者がなるべく裁判をおこすな。当事者同士の話し合いで解決せよといっているわけである。
 これを川島氏は「我国古来の醇風美俗」の精神といっている。わたくしは自分では西欧流のごりごりの個人主義者であると思っているのだが、違うのだろうか? 女性的な西欧風の個人主義者?
 それとも「我国古来の醇風美俗」というのが西欧にくらべるとそもそもずっと女性的なのだろうか?