池田信夫 与那覇潤 「「日本史」の終わり」(4) 第5章「中国は昔から「小さな政府」」

 
那覇:中国では昔から、地理的な場に拘束されない人間関係を組織してきた。日本のような家制度であれば、自分の跡継ぎひとりができればいい。しかし中国で科挙に受かるためには一人の子供では全く無力である。父系血縁を同じ同族集団(宗族)とみなすことで、巨大なネットワークをつくり、その疑似血縁集団の中で一人優秀なメンバーがいたらみんなで応援して科挙の試験に通るようにさせ、その科挙に通ったひとに宗族メンバーがみなたかるという構造をつくった。
池田:場に依存しないからこそ華僑のようなことが可能になる。
那覇:特定の場への拘束が必要とされる局面では日本人は適合性が高い。国民戦争でも日本人は逃げない(逃げられない)。中国人は徴兵するぞといわれたら土地を捨てて逃げてしまう。ある種の工業化も場に依存することがあり、だからある時期の日本は高度成長を遂げることができた。しかし、現在のように工業がモジュールの組み合わせになれば場への依存がなくなり、日本の利点がなくなってくる。
池田:中国人は金融とか流通といった虚業が得意。日本は実業。
那覇:日本には比較優位という発想自体がない。だから中根千枝の「タテ社会の人間関係」でいう「ワン・セット主義」がでてくる。ミスを潰すのは得意(信頼の日本ブランド)。
池田:ある時代に適合したことが、別の時代にはそうでなくなる。どちらが正しいということではない。
 中国と近代西欧との違いは、近代西洋にある徹底した個人主義が中国にはないこと。
 ガバナンスの方法には二つしかない。評判とか信用の人間関係で縛るか、法律で縛るか。日本は前者、西洋は後者。中国はその中間。朝鮮半島は親族関係においては明かに中国型できた。今の北朝鮮の体制も儒教の制度の影響が大きい。
那覇:中国と朝鮮の関係は、近代以降の「欧米と日本」のそれの相似形。
 ヨーロッパ近代には2種類ある。一つはルネサンスに象徴される人文主義。もう一つがウエストファリア条約的なガチガチの実定法主義。日本は二つの西欧を見ないで、後者のみを西欧だと思ってしまった。
池田:宗時代の科挙は3年ごとに300人が選ばれるのだから、役人は合計しても数千人である。それが一億人の人口をどうやって治められるか? 究極の「小さい政府」で、国家の支配は民衆の生活には及んでいない。
那覇:つまり夜警もしない国家という究極の小さな政府。
池田:上からの統制にかんしては、「逃げる」と「発言する」という二つの選択肢がある。中国は「逃げる」方向、西欧は「発言する」方向。逃げられないところから民主主義がうまれてくる。
那覇:中国は米国に先立つ「元祖ネオリベ」である。とはいっても、最近では共同体から逃げる個人ではなく、自らの生死を共同体と一体化して「尽くす個人」に政治秩序の根源を見出す見方のほうがアメリカという国をうまく説明できるという説が有力になってきているのだが。
 
 ガバナンスの方法には、人間関係と法律しかないということがいわれるが、宗教というのはそこに入ってこないのだろうか? もし神がいないとすればすべてが許されるというのはドストエフスキーだったかと思うが、欧米人にはそういう感じがいまでもあるらしい。だから無神論者などというのは何をするかわからない恐ろしい人間にみえるらしい。
 これも山本七平の本で読んだことかと思うが、欧米人から見ると、ほとんど無宗教の日本人が住む日本がなぜこれほど治安がいいのかがなかなか理解できないらしい。そこで山本氏は不思議がる外国人に「世間」というものの存在が犯罪を防いでいるのだというような説明をしたと書いてあったように覚えている(「日本教」といいう一種の宗教である)。この世間という言葉も英語では何というのだろうといつも気になっている。義理と人情もまた英語になるのだろうか?
 世間というのもまたそこから逃れられないものと日本では観念されいるようである。しかし逃げられないからといって発言する方向にいくかといえば、絶対にそうなってはいない。とすれば、逃げられないから民主主義ということにはならないように思う。
 わたくしが若い頃の全共闘運動の活動家はまた東映やくざ映画のファンでもあったという話がある。わたくしは東映やくざ映画というのを観たことがなく、それがどんなものかよく知らないので、以下書くことに問題があることは承知しているが、一種の自己陶酔のようなものがそこにあるのかなと感じている。「有効性は問わない」(あるいは問うてはいけない)というのは三島由紀夫だったらろうか? 神風連? 全共闘の武器?は基本的には棒と石だったわけで、戦車の時代に投石というのは現実政治の観点からは有効性ゼロである。しかし、それは一種の(無言の)発言ではあるわけで、その底流には民主主義への信頼のようなものが、逆説的にではあるが存在していたのだと思う。一方、天安門事件では、民主主義への信頼というのが完全な誤算であったことが示されていた。天安門事件での若者たちは民主主義というのは世界に普遍的なものであって、中国にあってもそれを経ることなしには世界に通用する国家にはなれないという思いがあったのであろう。しかし、民主主義が世界に普遍的なものではないことがそこで示されたのだと思う。
 おそらくソ連の崩壊の時点では、民主主義ということなしにはこれからの国家は存続できないという見方が多数意見となったのだと思う。国民が飢えないのでなれけば国家は存続していけない、ということである。飢えないためにはどうも資本主義の方向しかないし、民主主義なしには資本主義も機能しない、と。東欧の社会主義圏もそれゆえに崩壊した(フクヤマの「歴史の終わり」も主として東欧圏を視野に書かれていた)。
 だが中国が毛沢東路線の失敗を経て、共産党が管理する資本主義という(われわれからみれば訳のわからない)鵺のような体制に移行してしかもそれがそれなりに機能しているようにみえるという事態が出来してきた。民主主義なき資本主義という実験が行われ、それも機能しうることが実証されてきているようにみえる。池田氏も与那覇氏も中国の行き方、つまり民主主義なき資本主義の路線が原理的には不可能ではないことを認めている。「歴史は終わ」らなかった。
 わたくしが解らないのが、世界というのは必然的に個人の方向にむかうのではないかということで、中国もまた個人への希求というのは厳然として存在しているのではないかと思う。もしそうであれば、やはり世界は西欧化していくということなのではないだろうか? 以前読んだトッドの本に、教育の普及は必然的に個の自覚を生み、それが女性を覚醒させ、出生率を低下させるとあった(出産が女性の選択の問題になるので)。今のイスラム圏をみていて、そこに男尊女卑のようなものがあることは否定できないと思うが、フェミニズムの陣営はそれをどうみているのだろうか? インドなどにもまた男尊女卑の動向は歴然とあると感じる。フェミニズムというのもまた西欧の思想である。
 中根千枝氏の「タテ社会の人間関係」は、わたくしのもっているのが2001年刊行の第105刷だから、今から15年くらい前、52〜53歳のころに読んだのだと思う。わたくしはある企業病院に長く勤めていていて、50歳で管理者になったが、そもそも何で企業が病院をもっているのかということがよくわからないままでいた。それで中根氏の本で「ワンセット構成」というのを知って、はじめて納得ができた。「他の集団を必要とせず何もかも自分のところでできる」「構造的に、まさに分業精神に反する社会経済構成」ということである。なにしろ会社の系列には物流部門があるだけでなく、霊園まであるのである。まさに揺り籠から墓場まで。そうであれば当然病院もあっていいわけであるが、明らかにこれは比較優位に反する。
 病院は会社のなかでは福利厚生部門に属したので、収支のことはうるさくいわれず、管理者としては楽であったが、企業立の病院は「ワンセット構成」という日本ローカルに依拠していることを勉強してしまうと、グローバル化が現実の問題として進行していくなかで、そういう病院の形態は厳しいということは感じていた。それでついに昨年、わたくしの勤務していた病院を企業が手放すことになったのだが、その時には幸いわたくしはもう管理者を降りていた。本業特化がすすむなかで、企業としては産業医療というように法律的に規定されたこと以外にはかかわりたくないと思うのは当然であるが、図らずも医療の場にいて、グローバル化の進行の波の一端を経験することになった。
 そのこともふくめ、産業医療に従事していて感じるのは、グローバル化という意識はトップのほうには濃厚にあるが、下にいくほど、いまだに義理と人情の属人的な世界に生きているのだということである。一宿一飯の恩義の世界、「何もいうな。黙って俺について来い」の世界、背中で泣いている唐獅子牡丹の世界である。全共闘運動の後、多くの活動家がヘルメットを脱ぎ、覆面を捨て、背広に着替えて企業戦士へと転身していった。そこにはひょっとして東映やくざ映画の世界から義理人情の世界へという一貫性があったのかもしれない。内田樹さんだって当時の活動家で現在は古き良き日本のおじさんの応援団である。内田さんは映画もまたよくみる人である(あった?)ようだが、東映やくざ映画もその守備範囲であるのかは、寡聞にして知らない。
 橋本治さんに「完本 チャンバラ時代劇講座」という無類に面白い本がある(なにしろ、巻頭に「失われた善き人々へ ー 」とある)。そこでいわれていたことは、チャンバラ時代劇というのは歌舞伎が大衆化したものということであったように思うが、そうすると東映やくざ映画は、チャンバラ時代劇の現代版なのだろうか? 橋本さんはやくざ映画は嫌いといっているが。
 今、取り出してきてパラパラと見ていたら、いろいろと面白く、数十ページまた読んでしまった。大仏次郎の「赤穂浪士」(これは昭和2年から3年にかけて新聞連載されたものらしい)の話なども出てきていて、堀田隼人とか蜘蛛の陣十郎とかの名前を思い出した。これは大分以前にNHKで大河ドラマ化されたのである。堀田隼人のほうが誰だったか忘れたが(林なんとか? 要するに典型的なニヒルというような役で眠狂四郎の先祖みたいな像なので、ある種の俳優がやれば誰でも様になる役であった)、蜘蛛の陣十郎が宇野重吉だったことは間違いない。その小説で堀田隼人は「自分にはそんな希望は皆目感じられない。ただ、灰色の壁が目の前に立ちふさがっているのが感じられる。たたこうが、押そうが、びくともしない岩畳な壁である」など感じている。三島由紀夫の「鏡子の家」の先取りのようである。
 「椿三十郎」も延々と論じられている。この映画の原作は、山本周五郎の「日日平安」で、このブログの題もそこからとったのであるが、題名は「日々」であると思いこんでいたし、読みも「ひび」だと思っていた。本当は「にちにち」らしい。ブログの題意は、もちろんわたくしが椿三十郎であるとか、それに従う熱血漢の青年たちであるなどというつもりではまったくなく、映画で小林桂樹が演じていた小心な下級武士の日録というつもりである(山本周五郎の原作にはこの下級武士はでてこない。原作の主人公の菅田平野は三船敏郎(あるいは椿三十郎)とは似ても似つかぬ腹を空かせた情けない武士ではあるのだが、それでもわたくしなどよりは大分腕っぷしは強そうである。せめて菅田さん程度の「武士は食わねど高楊枝」の精神を持つ「虚栄心の強い偽善者」くらいにはなりたいものである。
 話が全然関係ないほうにずれてしまったが、いずれにしても、日本では今、グローバル・スタンダードと義理人情の世界が同居している。とすれば、当然、簡単には「日本史」は終わらないということである。
 第6章は「西洋近代はなぜ生まれたのか」
 

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